タケシズ

北野武の映画『TAKESHIS'』の、あまりのくだらなさに、ちゃぶ台をひっくり返す。(イメージ)

お笑い芸人が片手間に撮った映画を誉めそやす映画界をからかうために、わざと駄作を撮った、としか思えない。その映画さえ、ほめる奴がいるんだから、もはや痴愚神礼賛。

「野球というのは退屈さを楽しむスポーツである」と、蓮實重彦が書いてから、亜インテリはさかんにこのフレーズを使いたがる。どれほどの駄作でも必ずどこかで、「これは退屈さを楽しむ映画である」などと書いて気取ってみせるやつが出てくるが、これほど馬鹿にした批評もあるまい。

竹中労は、戦後の「ホメ屋ジャーナリズム」を次のように批判している。

「ホメ屋といってもばかにしつつもちあげるんだから品がない。結局はもっと差別的になっただけなのに、自分が偉くなったんだと勘違いする芸人も出る」
(『芸能人別帳』ちくま文庫の解説より引用)


お笑い芸人のたけしは面白かった。

ポール牧が色紙に「ドーランの下に涙の喜劇人」と好んで書くのを、バカにし、画家になった片岡鶴太郎を、お笑いが芸術家ぶりやがって、と嘲笑していたビートたけしは。