- バカのバカによるバカのための小山田圭吾まとめサイトが爆誕!
- ©︎IfYouAreHere委員会(コーネリアスファン有志)というバカ
- 知的障害者の首にひも付きの箱ティッシュをぶらさげてやるのが友情だというバカ
- 小山田圭吾の謝罪文を「公式文書」だというバカ
- 太田出版・村上清の嘘を信じるバカ
- 原稿チェックをさせない雑誌が悪いというバカ
- 自分も匿名のくせに匿名を批判するバカ
- バイブル商法でバカをだますバカ
- 「毎日新聞」や「報道ステーション」は信用しないけど、「週刊文春」は信用するバカ
- 25年以上も公式に謝罪せず、スルーし、黙認していたバカ
- 「バカまとめ」に、”いいね!”するバカ
バカのバカによるバカのための小山田圭吾まとめサイトが爆誕!
インターネットにはびこるデマやフェイクニュースは、今や最大の社会問題となっている。
「関東大震災での朝鮮人虐殺はなかった」
「小山田圭吾はいじめをしていない」
などもそのたぐいだ。
加藤直樹は『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(ころから株式会社)の中で、虐殺否定論者の特徴を次のように挙げている。
基礎的な歴史的知識の欠如。
自説に都合のよい史料しか読まない、それ以外の史料は無視するか、歪曲する。
自らの勝手な空想で歴史を説明しようとする。
歴史的事実など本当はどうでもいい。ただそれらを否定するのが目的。
小山田圭吾によるいじめ否定論者の特徴も、だいたいこれに当てはまる。
しかし大きな違いは、「虐殺否定論」を掲げる産経新聞、日本会議、自民党文教族らは、これがデマだとわかったうえで広めている。詐欺と同じで、ずる賢い人間がバカをだましているのだ。ここには知性の格差がある。したがって、正しい知識を啓蒙することで、詐欺被害を食い止めることもできよう。
ところが、「小山田圭吾いじめ否定論」はそうではない。
バカが書いて、バカが読んでいるのだ。
「小山田くんはいじめてない」と本気で信じているバカがインターネットでそれを広め、「小山田くんはいじめてない」と本気で信じているバカがそれを読んで納得する。バカ同士のキャッチボールである。
ここには知性の格差がなく、みんなバカである。
バカはバカなことを書き、バカが書いていることしか読まない。したがってずっとバカのままだし、自分がバカであることにも気づかない。
「2021年夏に起きた小山田圭吾氏の炎上問題について時系列の整理とファクトチェック」という匿名のまとめサイトがある。
これこそバカの見本である。
©︎IfYouAreHere委員会(コーネリアスファン有志)というバカ
バカは、いつもクソ長いタイトルをつける。
「2021年夏に起きた小山田圭吾氏の炎上問題について時系列の整理とファクトチェック」
(以下「バカまとめ」と略す)。
この匿名のまとめサイトの作成者は、「©︎IfYouAreHere委員会(コーネリアスファン有志)」である。id:kobeni_08
私のブログ記事を含めて、他人の著作物を許可も取らずに転載して並べただけのバカまとめサイトのくせに、マルシーのコピーライトマーク(著作権表示)までつけているところが、バカである。
冒頭の「prologue」から、バカ大爆発である。
「基礎的な歴史的知識の欠如」どころか、読み書き算数もできないレベルのバカである。
バカは次のように書いている。
本件は、問題となった雑誌の発売が25年以上前であり、また学生時代のエピソードは約40年以上前と、全容を理解するにはかなりの時を遡らなければなりません。
(引用元「バカまとめ」)
自分でこう書いておきながら、このバカまとめには「1990年代から2021年まで」の都合よくカットアップされた情報しかない。それで事実確認ができたつもりなのである。その事実確認の手段も、「雑誌記事などの客観的資料を用いてファクトチェックを付記しています」というのだからバカである。
そのファクトについて、バカは次のように書いている。
※当サイトでは、2021年に報道・拡散された情報を検証するため、小山田氏本人・第三者によって文字化・記事化された資料に基づく情報・証言等を「ファクト」として扱っています。
これだと、すべての情報が「ファクト」になる。バカは日本語もまともに書けない。
こんなもので検証とは笑わせる。
もはや歴史学研究法における史料批判という概念さえ知らないバカなのだ。
知的障害者の首にひも付きの箱ティッシュをぶらさげてやるのが友情だというバカ
バカのまわりには、バカしかいない。正しい知識に出会う機会はないし、たとえ出会ってもバカだからわからない。
このバカは、『月刊カドカワ』(1991年9月号)の記事をファクトだとしている。だが、当該記事「スピリチュアル・メッセージ」は、そもそも公正なインタビュー記事ではない。
音楽ライターの平山雄一が手がけた読み物で、小山田圭吾へのインタビューを元にしてはいるものの、インタビュアーの発言はすべてカットされ、小山田の発言のみを恣意的に切り貼りして作られている。つまり、構成者である平山雄一による脚色が強く働いているのだ。構成者しだいでどのような人物像でも作られるのである。
したがって、ほとんど証拠能力がない。
しかし、このバカはこの切り貼り記事を、さらに自分の都合の良いようにカットアップして、次のように書く。
インタビューにはいじめに関する描写はなく、Kさんとの小学校時代の出会いから高校卒業までの11年間で、お互いの成長とともに関係が変化していく様子が回想されている。
まったくのデタラメである。当該記事の中でも、同級生を「知恵遅れ」と蔑視し、さらにJ-CASTニュースでも報じられたように、小山田はいじめ告白を行っている。
いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田君の嫌なこと」とかいうタイトルで作文書かれてね(笑)。別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集は見せられなかった。ぼくがそいつをいかにして迫害したかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑) まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃんと印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部をかけて復警した(笑)。
(『月刊カドカワ』(1991年9月号)
『月刊カドカワ』は本来文芸誌だったが、見城徹が編集長になった1986頃から人気タレントに書かせた稚拙な小説やエッセイを掲載するようになり、芸能雑誌と揶揄されてもいた。しょせん、その程度の読み物である。
このバカはこんな読み物をファクトだとする。
いつも鼻を垂らしていたKこと沢田君が、小山田が買い与えたひも付きの箱ティッシュを首から下げていたというエピソードを引用し、ことさら美しい友情の証として喧伝するのだ。
同じ場面が「村上清のいじめ紀行」では、小山田圭吾によっていかに差別的に語られているか。次に引用しておこう。
「沢田はね、あと、何だろう……”沢田、ちょっといい話”は結構あるんですけど……超鼻詰まってんですよ。小学校の時は垂れ放題で、中学の時も垂れ放題で、高校の時からポケットティッシュを持ち歩くようになって。
進化して、鼻ふいたりするようになって(笑)、『おっ、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。
ちょっといい話でしょ? しかも、ちゃんとビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、『首に掛けとけ』って言って、箱に沢田って書いておきましたよ(笑)。それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。それで五・六時間目まで持つようになった。かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって」
(引用元『クイックジャパン』3号 P59-60)
小山田圭吾の謝罪文を「公式文書」だというバカ
バカは自分をかしこそうに見せたがる。だから意味もわからずに、かしこそうな言葉を使う。
この「バカまとめ」は、1991年の『月刊カドカワ』の記事から始まるのだが、それにつけられているリンクが、小山田圭吾の謝罪文、はてな匿名ダイアリーによる「記事の一部書き起こし」、片岡大右の捏造論文、というひどさである。
こんなものが論拠となると思っているバカである。
しかも小山田圭吾の謝罪文には、「公式文書」という表記まである。
大笑いである。
いじめ加害者の謝罪文を「公式文書」扱いとは、前代未聞のバカである。
当人がいじめの事実を否定したところで、それはいまだ何の立証もされていない。
太田出版・村上清の嘘を信じるバカ
バカは自説に都合が良ければ、どんなものでも切り貼りして使う。
このバカは、「村上清のいじめ紀行」でさえ、村上清の言い分を丸ごと認めて「本記事でいじめを支持したり、ましてや称揚する意図は、当初から全くありませんでした」という一文を引用するのである。
これが全くのデタラメであることは、「クイック・ジャパン」第4号の編集後記において、「“いじめ”についてのみ喋ってもらうというハードコアな企画」なのに、「よく引き受けてくれた」と「感謝」していることからも明らかである。
「村上清のいじめ紀行」は、障害者いじめを支持して、称揚するのが目的だったのである。太田出版ではこういう編集者が出世するのである。
さらに村上清は、次のように書いている。
今回、本記事の「原文」としてネット上で最も参照されたであろうブログの記事が必ずしも元記事原文のままではなく、少なからず削除・切り取りされたものであったことは、今夏のオリンピックのタイミングで知りました。
これも真っ赤な嘘である。
村上清は、@kiyoshigrimaceというアカウントで、2009年10月からツイッターをやっていた。
なんで鍵垢にしたのだろうね。2012年には「村上清のいじめ紀行」が掲載された『クイック・ジャパン』3号の復刊までやっている。
「村上清のいじめ紀行」がネットで問題視されていることを、オリンピックの時まで知らなかったなどありえない。
昔の『QJ』を読んで気付いたこと。『QJ』3号で小山田圭吾を表紙にしたら「音楽誌と間違えて買ってくれた人が結構いた」から「爆発的に売れた」。「音楽のことは一切聞かず、“いじめ”についてのみ喋ってもらうというハードコアな企画」なので編集サイドも「よく引き受けてくれた」と「感謝」していた。 pic.twitter.com/1Z0sLHX27R
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) 2022年1月7日
https://web.archive.org/web/20161115165352/https://twitter.com/kiyoshigrimace
https://web.archive.org/web/20161129081425/https://twitter.com/kiyoshigrimace
原稿チェックをさせない雑誌が悪いというバカ
バカは自分勝手な思い込みだけで生きている。バカが、知性の光に照らされることはない。
『ドラゴン桜』で知られる「バカはちまき」を、ずっと頭に巻いて生きていくようなものである。
この「バカまとめ」は、『ロッキング・オン・ジャパン』の記事について次のように書いている。
今から約27年前の1994年1月号、廃刊寸前だった『ロッキング・オン・ジャパン(以下、ROJ)』はその危機を脱するためのリニューアル号として、表紙にコーネリアスこと小山田圭吾氏(当時24歳)を迎えた。
小山田圭吾氏の半生を振り返る2万文字インタビュー内で、「全裸で紐で縛り、自慰行為をさせ食糞を強要してバックドロップをした」という過激な見出しが掲載された。
ロッキング・オン・ジャパンはインタビューしたミュージシャン側に発売前の原稿確認を一切させない方針だった。
読者を必死でミスリードさせようとするバカの涙ぐましい努力が伝わってくる文章である。
つまり、大昔の「廃刊寸前」だった『ロッキング・オン・ジャパン』が、売り上げを伸ばすために、小山田圭吾の過激なインタビューを捏造して、原稿チェックもさせないまま出版したと言いたいわけだ。
バカによるエクストリーム擁護である。
そもそもジャーナリズムにおいては、絶対に原稿チェックなどさせない。取材相手に原稿チェックなどさせたら、相手にとって都合の悪い事実を報道できないではないか。
朝日新聞社の峯村健司記者が、安倍晋三元首相のインタビューをした「週刊ダイヤモンド」編集部に対し、発売前に誌面を見せるよう求めたとして、懲戒処分を受けたというニュースがあったばかりだ。
原稿チェックとは、他者による編集権への介入である。このような編集権への介入は、絶対に許されない。
『ロッキング・オン・ジャパン』は、ジャーナリズムを標榜し、小山田圭吾もそれをわかったうえで取材を受けた。したがって当該インタビュー記事は、ジャーナリズムとして、小山田圭吾の真実を報道したのだ。
同じく、ニュージャーナリズムを標榜している北尾修一だって次のように語っている。
──すごく気になったことを訊いてもいいですか? 例えば大森靖子さんを取り上げている章があるじゃないですか。それは本人とか事務所に確認というのは?
北尾:まったくしてない。それは大森靖子さんに限らす、『ポスト・サブカル焼け跡派』で取り上げた全員に対してそう。
──批評というのはそういうものだと?
北尾:好き勝手書いておいて、それを確認してください(=お墨付きを与えてください)って、そんな図々しい話はないですよね(笑)。こちらは思ったとおりのことを書きます、そのかわり全責任はこちらが取りますから、ってことでいいんですよ。
──そこがすごいなと思って。僕がこの世界入ったのは2000年の終わりぐらいだったんですけど、チェック文化みたいなものがだんだん強くなってきているように感じていて。最近はライヴ・レポートでさえチェックさせろって言ってくるところが多い。それはさすがにメディアが馬鹿にされすぎじゃないかと思うんです。
北尾:ライヴ・レポートのチェック⁉ 昔はさすがにそれはなかったけどね。
──全部とは言わないし、それこそ僕がずっと追わせてもらっている人たちからはライヴ・レポートを事前に見せてほしいと言われたことなんてないですよ。そこは信頼関係でもあると思うんですけど、なんでも事前にチェクしてくださいというのが当たり前になっちゃっている音楽業界は異常だなと思います。
北尾:逆の言い方になっちゃうけど、書き手にとってはチェックされた方が楽なんですよね。本人や事務所のチェックなしで公開して、何か問題が起きた場合は書き手の責任になってしまう。チェックしてもらえば書き手やメディアと事務所の共同責任になる。でも、そんなことを続けるとそのメディアも書き手もいつまでも自立できないと思うんですけどね。
──『ポスト・サブカル焼け跡派』は、そういう意識を持っている北尾さんだからこそ出せた批評本だと思います。
北尾:いやーどうだろう。そんな大したことでもなくて、あくまでも普通のことですよ。TVODのふたりは(電気グルーヴを批評した章を)石野卓球さん本人が読むことを想像したときはさすがにプレッシャーを感じていたみたいですけど(笑)。まあ、生きている人を批評するってことは、そういうことですよね。なにかあったら当然本人からの反論もくるし。
──そこの最終責任は北尾さんが引き受ける覚悟があるから出しているわけですもんね。
北尾:それはもちろん。
──そこの覚悟の問題ですよね。僕もそこで踏み切れないところがある。
北尾:別の言い方をすると、有名人の人気にぶら下がりたくないんですよね。誰誰さんのことを取り上げたから、その人のファンの何割かが本を買ってくれて万歳! みたいな発想と違うところで勝負していたい。相手がどんなに凄い人であれ、そこは対等に仕事したいなっていう思いはあります。
(引用元「北尾修一に訊く」)
このようにジャーナリスト気取りで立派な志を説いている北尾修一が、私の批評に対してデマだ捏造だと誹謗中傷したことは、絶対に許すべきではないし、健全なジャーナリズムと批評のためにも百万年書房は遠からず潰れるのがよかろう。
それはそうとして、北尾修一のいた『クイック・ジャパン』もまた、編集長の赤田祐一のもとで「ニュージャーナリズム」を標榜し、小山田圭吾もそれをわかったうえで取材を受けた。したがって「村上清のいじめ紀行」は、ジャーナリズムとして、小山田圭吾の真実を報道したのだ。
少なくとも原稿チェックをさせる芸能雑誌の提灯記事よりも、信頼できるソースであることは確かである。
自分も匿名のくせに匿名を批判するバカ
バカは平気で矛盾したことを書く。
このバカは、当ブログのことを「匿名のネットユーザーが運営する個人ブログ」などとわざわざ書き、あいかわらず次のような妄想とデタラメによる誹謗中傷を行っている。
この匿名ブログによる2誌の内容を掛け合わせた切り抜き・編集により、多くの人々が元インタビューには登場しない、実在しない被害者である「小山田圭吾氏から小・中・高に渡って食糞や性的虐待などの凄惨ないじめを受けた障害者」を想像しショックを受け、憤ることになった。
(引用元「バカまとめ」)
それじゃ聞くが、「©︎IfYouAreHere委員会(コーネリアスファン有志)」というのは匿名じゃないのかね。
「こべに」というのは匿名じゃないのかね。
「生まれは田んぼ カヒミカリィファンのおませな7歳」というカエルコ兄妹は、匿名じゃないのかね。
「遊井かなめ」「はっぴーりたーん♪」「真夜中の残虐ラーメン」「含羞と諧謔」「world's end sequence」「ちえ」「とびだし」「碧ちゃん」「猫子さん」「光ひかり」「ロック」「週一母さん」「おのむー」「ぬこ山田」「澁谷のマリー」「マキマキ」
というのは匿名じゃないのかね。
バイブル商法でバカをだますバカ
バカには論理がない。ものごとを論理的に思考できるならば、そもそもバカにはならない。
このバカまとめが典拠としているのは、どこの馬の骨かわからない「こべに」なる匿名の子育てブロガーが作ったまとめサイトである。それには東大非常勤講師の片岡大右も関わっている。
片岡大右は自分が作成協力していることを隠して、こべにのまとめサイトを自分の論文のソースとして使用。それを岩波書店が掲載。すると今度は片岡大右の論文をソースとして、「こべに」がまとめサイトを更新。
愛の連係プレー。捏造のキャッチボール。自作自演の情報ロンダリング。
Twitterで生まれたフェイクニュースが、東京大学非常勤講師の片岡大右と、埼玉県立大学・准教授の高村夏輝、南山大学講師の大月英明といった御用学者によって、権威づけられるのだ。
エコーチェンバー現象からインフォデミックへの転換とは、まさにこのことである。
Twitterの蛸壺の中でエコーチェンバーされたヨタ話が、岩波書店の権威によって情報ロンダリングされたのだ。
なにも目新しい現象ではない。
バイブル商法というのがある。
『サメの軟骨がガンを撲滅する!』 『気がつけばメシマコブでガンが消えていた!』 『ガンは生プロポリスで治る!』などという本を医学博士の肩書で出版し、それをもとにセミナーを開いて、健康食品を売りさばく。そういう詐欺商法が昔からあるのだ。
ヨタ話でも東大の学者先生が書けば信用する、岩波書店なら信用する、そういうバカを相手の商売である。
「毎日新聞」や「報道ステーション」は信用しないけど、「週刊文春」は信用するバカ
バカは自分の信じたいことだけを信じる。
小山田くんの味方をしてくれるメディアのことは信じるけど、それ以外はぜんぶ捏造。
中原一歩は元ピースボート共同代表で、立憲民主党からカネをもらって政治活動をしている広告代理店の社長である。その経歴を隠してジャーナリストとして健筆をふるい、朝日新聞出版の『AERA』で何年にもわたって偏向した政治ルポを執筆し、『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』というノンフィクションで密着取材した人物は、のちに巨額の詐欺事件で実刑判決を受けた。
そんな中原一歩は、「数週間かけていじめの舞台となった和光学園の当時の同級生等を取材した」と書いているのだが、DOMMUNEに出演時には、小山田の同級生6人に電話で話を聞いた、と語っていたので推して知るべしである。
そもそも「週刊文春」(2021/07/20)は、いち早く小山田圭吾の親族と同級生に取材し、次のような証言を得ている。
(引用元「障がい者イジメ」小山田圭吾“一派”を抜擢したのは「渡辺直美侮辱男」だった)
一体、小山田氏とはどんな人物なのか。
「89年、中学時代の同級生・小沢健二らとバンド『フリッパーズ・ギター』を組んでデビューを果たしました。91年の解散後は『コーネリアス』名義でソロ活動を行う傍ら、レコードレーベルを立ち上げた。90年代の音楽シーンを席巻した“渋谷系”の代表格です。オノ・ヨーコがジョン・レノンと共に立ち上げた『プラスティック・オノ・バンド』のレコーディングにも参加しています」(音楽ライター)
父親は昭和の歌謡コーラスグループ「和田弘とマヒナスターズ」の三原さと志で、母方の叔父は日本歌手協会の会長を務める歌謡界の重鎮、田辺靖雄氏だ。
その田辺氏が語る。「彼の音楽は一部のコアな人たちに受けるファッションみたいなもの。サブカルチャー的な仕事で有名になる中で、楽屋のノリで喋ることを良しとしたのかもしれませんが、あまりにも生々しすぎます。僕たちの仕事は半ば公人であることを弁(わきま)えるべきなのに……」
小山田氏が「障がい者イジメ」をしていたのは、小学校から高校まで通った都内の私立・A学園。中学の同級生で、府中市議を務める稲津憲護氏が振り返る。
「A学園には、裕福な家庭や芸能人の子供が多い。制服はなく、ファッションセンスやお金持ちかどうかで友達同士の“順位”が決まる雰囲気がありました。おやまっちゃん(小山田氏)はギターをやっていてオシャレで、やんちゃなグループだった。一方で、A学園は多様性を重視する教育方針を掲げており、障がいを持つ子供たちも健常者と同じクラスで学んでいました」
小山田氏は謝罪文で〈事実と異なる内容も多く記載されております〉などと綴っていたが、別の同級生はこう証言する。
「小山田君たちがイジメをしていたのは有名な話です。掃除用具を入れるロッカーに閉じ込め、出口が下になるように倒して出られないようにしたり、真冬なのに無理やり教室からベランダに出させて鍵を閉めてしまう。その場面を写真撮影して『いえ~い、締め出してやったぜ』と喜ぶ生徒もいました」
学生時代の冗談では済まない振る舞いは、それだけではない。前出の「ロッキング・オン・ジャパン」では、万引きの“常習犯”だったことも明かしている。
〈調布のヘンなショッピングセンターみたいな超万引き場所みたいなのがあってさ。で、最初はくだらないもん盗んでたんだけどだんだんエスカレートして〉、〈マジで100万近くになっちゃってて〉
「障がい者イジメ」に「万引き」。そんな小山田氏がなぜ、五輪開会式の作曲担当に抜擢されたのか。
25年以上も公式に謝罪せず、スルーし、黙認していたバカ
バカは決して自分が悪いとは考えない。ぜんぶ周りの誰かのせいにする。
小山田圭吾は、雑誌の刊行から25年以上、一度も「公式」に謝罪してこなかったのである。
NHKの番組担当者に弁明しようが、レコード屋の店内イベントでファンの質問に答えようが、そんなことで「公式」に謝罪したことにはならない。
いじめ騒動後に、小山田がやったことはTwitterで謝罪したのと、「週刊文春」で中原一歩のインタビューを受けたのと、公式サイトに謝罪文を掲載したことだけである。それも日本語と英語とで内容を微妙に変えての謝罪である。
この25年間、音楽ライターもジャーナリストも、共演したミュージシャンも誰も小山田に罪を問わなかったのである。ファンも黙認してきたのである。
沢田太陽も北沢夏音も柴那典も、ジャーナリストの森健も、「村上清のいじめ紀行」を読んでいながらこれを障害者差別だと認識もせず、おのれの人権意識の低さと、これを黙認してきた責任逃れから、今ごろになって編集者の責任だの私のブログの責任だのと騒ぎ立ててるのである。ただの責任転嫁である。
さらに「バカまとめ」は、ファンの責任を隠蔽するために、「小山田くんはいじめていません!」「小山田君はずっと後悔して反省してました!」と、歴史の捏造までするようになったのだ。
映画界や演劇界の性暴力がいまさら話題になっているが、園子温については十年以上前からそうした噂があり、渡辺文樹監督の上映会で告発されてもいた。それでも黙認してきた周りの関係者も同罪である。
園子温、荒木経惟、蜷川幸雄、渡辺直己、宮沢章夫、松江哲明、広河隆一、古井由吉……、権威を笠に着て性暴力やパワハラを行う者たちについて私はブログで一貫して批判してきたのであり、小山田圭吾はまぎれもなくその一人である。
この極悪な障害者蔑視を、25年以上もスル―し、黙認してきたおまえらも同罪なのだ。
「バカまとめ」に、”いいね!”するバカ
バカは、自分がバカだとは知らない。ずっとバカのままである。
バカとして生まれ、バカとして死ぬ。
バカはどこにでもいる。
もしも、あなたのまわりに、「2021年夏に起きた小山田圭吾氏の炎上問題について時系列の整理とファクトチェック」というサイトに「いいね!」をしたり、リツートしている人がいたら、
それはバカである。
小山田くん、ガンバレ!
小山田くん、ガンバレ!
やったらできる! やったらできる! やってやるぞ!
ついてる! ついてる! スーパーハッピー!
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