電子書籍シリーズ第2弾『小山田圭吾 冤罪の「嘘」――中原一歩先生、経歴詐称をしていませんか?』で書いた「あとがき」を公開します。
本文に興味を持たれた方は、是非一読してみてください。
■あとがき
告発は正当な手段でやらなければ、効果がない。とはいえ、どのような手段が正当なのか、というのは難しい。
私が書いた「小山田圭吾における人間の研究」は告発だったのだろうか。たしかに、小山田圭吾のいじめを世間に知らしめた点では告発である。しかし、私が書かなくても、『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』の現物があるのだから、いずれ小山田圭吾は炎上したとも思う。
いくつかの偶然が重なった結果として、現在がある。
もしも、小山田圭吾が東京オリンピック・パラリンピックの音楽を引き受けていなければ、炎上もせず、今も世界各地をツアーで回っていたかもしれない。グラミー賞を受賞していたかもしれない。
それでもやっぱり、いつか何かのきっかけで炎上したのではなかろうか。
それほどまでに、あの記事は障害者への差別意識にまみれた醜悪なものだった。にもかかわらず、小山田圭吾と沢田君との間に友情があったなどと擁護する人たちが、続々と現れたことに私は戦慄さえ覚えた。
愚の骨頂である。
私がいくらブログで反論を書いても、相手が議論に応じることはなかった。学者や批評家を名乗る者さえそうだった。私をブロックして、誹謗中傷を投稿し続けた。
私は法律を武器にすることにした。法律書を読破し、六法全書を引き、裁判例を調べ、自分で訴状も準備書面も書き、ディスプレイの向こうの顔の見えない相手の身元を調べ上げ、提訴し、裁判所に引きずり出してやった。
たった一人で始めた戦争である。「孤立無援のブログ」とは、我ながらいい名前をつけた。
どのような手段が正当なのか、というのは今もわからない。告発には時間がかかるし、うまくいくとも限らない。
しかし、理不尽だと思うなら、許せないと思うなら、闘うしかない。
私の前作『小山田圭吾はなぜ障害者をいじめなかったのか: 根本敬から読み解く「村上清のいじめ紀行」 』がおかげさまで好評を頂いたので、本作を刊行することができた。
酔狂なことに、「危ないイチゴ」という出版社は、私の本をもう一冊出してくれるそうだ。したがって、本作で名前が出なくて安堵している者もいるだろうが、おまえらへの批判は、次作でやる。
障害者いじめに群がった奇怪な人々よ、震えて眠れ。