電子書籍『毒ガス攻撃とバックドロップ――小山田圭吾で文藝春秋は二度死ぬ』の中から、「なぜ『架空インタビュー』をやったのか」を公開します。
これは、中原一歩『小山田圭吾 炎上の「嘘」』(文藝春秋)の中に、あきらかな事実誤認があることを指摘したものです。これについて、事実を重んじる「ノンフィクション作家」の中原一歩からも文藝春秋からも、いまだ何の弁明も訂正もありません。
興味を持たれた方は、是非一読してみてください。
■なぜ「架空インタビュー」をやったのか
中原一歩『小山田圭吾 炎上の「嘘」』(文藝春秋)には、いくつもの間違いがある。
中原一歩は、第5章のロッキング・オン社に対する説明で、次のように書いている。
一歩間違えれば、大問題になりかねない記事もあった。最たるものが「架空インタビュー」だ。実際は取材をしていないのに、編集部が取材をしたかのように記事を創作する。普通では考えられない手法である。しかし、初期の『ロッキング・オン・ジャパン』ではこれが名物コーナーにさえなっていた。ジャーナリズムを標榜する一方で、面白ければ何でもあり。それが彼らのポリシーだった。(198頁)
中原一歩は、渋谷陽一らが1972年に創刊した洋楽ロック専門のミニコミ誌『rockin'on』(以下『ロキノン』)と、日本のロックを専門とする『ロッキング・オン・ジャパン』(1982年創刊、以下『ジャパン』)とを混同している。
「架空インタビュー」という企画が載ったのは洋楽誌の『ロキノン』の方である。『ジャパン』ではない。それも1970年代のことである。
創刊間もなく経営危機に陥った『ロキノン』は、海外アーティストに取材する資金もなく、苦肉の策として「架空インタビュー」という企画を打ち出したのだ。
1977年6月号の『ロキノン』には、レッド・ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジへの「架空インタビュー」が掲載されているが、記事タイトルに「架空インタビュー」であることが明記されている。
もちろん、それでも問題ではあるが、当時はミニコミ誌のやっていることで、読者も「架空インタビュー」だとわかった上で読んでいた。よく言えばインタビューの形式を模したロック批評であったし、インタビューをパロディとしたお遊び(悪ふざけ)企画だった。したがってこれをまじめに受け取って、「実際は取材をしていないのに、編集部が取材をしたかのように記事を創作する」という説明は事実を反映していない。
また、「ジャーナリズムを標榜する一方で、面白ければ何でもあり。それが彼らのポリシーだった」という中原一歩の説明には、悪意がある。
「初期の『ロッキング・オン・ジャパン』ではこれが名物コーナーにさえなっていた」という説明に至っては、二つの雑誌を混同した、明らかな事実誤認である。
おや、これって、どこかで聞いたことのある言い回しだな(笑)。
ようするに、『ロッキング・オン・ジャパン』は平気でこのような捏造をやる雑誌だから、小山田のインタビューも創作された、ということにしたいわけだ。これに続けて、『POPEYE』(マガジンハウス)でフリッパーズ・ギターの記事が創作されたというエピソードを並べるのは、読者に、当時の雑誌はどこもこんなふうに取材もせず架空の記事を創作していたんですよ、と思わせようとする悪質な印象操作である。
当然ながら、まったく別の出版社のまったく関係のない雑誌『POPEYE』が記事を創作していようが、それと『ロッキング・オン・ジャパン』の問題は別であり、山崎洋一郎が記事を創作したとことを裏付ける証拠とはならない。
すなわち、「架空インタビュー」はロッキング・オン社が経営危機に陥ってやむなく始めた1970年代の企画であり、今とは事情が違う。
誰がこんな話を中原一歩に吹き込んだのかは知らないが、事実誤認のまま山崎洋一郎を攻撃するのは、深刻な報道被害をもたらすものであり、中原一歩は直ちにこの記述を訂正し謝罪すべきである。