いいかげんな日本人

 パオロ・マッツァリーノ『歴史の「普通」ってなんですか?』を読んだ。
「伝統」という日本語は、英語のtraditionの訳語として明治時代に作られた比較的新しい言葉だという(104頁)。ああ、なるほどと思った。伝統を重んじる保守思想も、近代主義への懐疑から生まれたわけだから、当然これは近代以降に生まれた新しい思想なのだ。
 著者によれば、「伝統とは、ちょっと長めの流行にすぎません。伝統は永遠でも不変でもありません」。本来の伝統とは、ローカルで多様性のある文化であり、国家で統一された伝統なるものは、捏造されたフェイクである。
 それでいろいろな「伝統」が検証されているわけだが、どれもおもしろい。
恵方巻」というのは、大阪の船場地区だけで行なわれていた伝統行事が、コンビニチェーンの戦略により全国区へ広がった、とされるが、実際は船場地区にさえそんな伝統はなく、数件の商家だけがやっていた「わが家の習慣」に過ぎなかった。(151-152頁)

 初詣は、江戸時代くらいまでは、自宅から見てその年の恵方にある神社に詣でるのがしきたりだったが、明治以降、日本人はこの古くからの伝統を捨てて、自分が行きたい神社を自由に選んで詣でるのがあたりまえになった。(152頁)

 日本の一般家庭が祝日に国旗を掲揚していたのは、日中戦争・太平洋戦争下の八年間くらいだけのこと。それ以前にはそんな習慣はなかった。事実上の国家命令として、戦時中に強制されてやっていたことで、戦争が終わると、みんなめんどくさくなって祝日の国旗掲揚はやめてしまった。(153-158頁)
 ああ、うつくしい日本の伝統に涙が出る、ほど笑った。