北尾修一氏への公開質問状

 北尾修一様
 拝啓
 強い日差しに向かって元気に咲いている向日葵のように、北尾修一氏におかれましては、ますますご活躍のこととお喜び申し上げます。
 私は「孤立無援のブログ」をやっている電八郎と申します。
 この度、北尾修一氏が運営されておりますブログ記事「いじめ紀行を再読して考えたこと」において、当方への言及があると伺いまして、拝読させて頂きました。
 いくつか疑問に思うところがありましたので、お手数をおかけしますが御回答頂ければと存じます。

目次

1・ブログを期間限定公開としている理由。

 ブログ記事「イントロダクション」は7月20日に公開して、23日に公開終了予定でした。「02」「03」は7月23日に公開して、26日までの公開終了予定でした。いずれも7月31日まで延長されていますが、どうしてこんな短期間しか公開しないのですか?
 私への悪いイメージだけ拡散させて、反論の時間を与えず、逃げるつもりなのでしょうか。
 さらに、7月末で記事を削除した後、400円で売っています。私への批判は、ビジネスですか?
 北尾修一氏は、西澤裕郎氏の取材に答えて、「こちらは思ったとおりのことを書きます、そのかわり全責任はこちらが取りますから、ってことでいいんですよ」と述べられています。この言葉と矛盾しているように思います。
壊れていく出版業界で、飄々と結果を残していく1人出版社「百万年書房」の現在──北尾修一に訊く | StoryWriter

2・天声人語子は「孤立無援のブログ」を読んだか

 北尾氏は、私のブログが「元記事の文脈を恣意的に歪めている」と主張されています。
 そして、7月21日「朝日新聞」の天声人語欄を引用して、「この天声人語の執筆者は本当に元記事にあたったのかどうか、私には甚だ疑問です」と書き、あたかも私のブログ記事が、天下の朝日新聞までも、だました、かのように書いています。証拠はあるのでしょうか。
「毎日新聞」も「日刊スポーツ」も国会図書館で原本を閲覧しています。マスコミ関係者でなくても、遠隔複写サービスを利用すれば簡単にコピーが入手できる時代に、報道関係者がその手間を惜しむわけがありません。
 私には、天下の朝日新聞の「天声人語」を書くほどの、雲の上の偉い人が、こんなド底辺のクソムシみたいなブロガーの書いたことに、コロッとだまされたとは到底思えないので、もし間違いであれば訂正してください。
 また、元記事の一部を切り取って報道した「毎日新聞」と「日刊スポーツ」にも、「元記事の文脈を恣意的に歪めている」と抗議なさるおつもりですか? 抗議しないのならそれはなぜですか?

3・旧い知人とは誰か?

 北尾修一氏は、「もう何年も会っていない旧い知人から」、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」のコピーと、手紙を受け取ります。手紙には、以下のような文言がありました。

「この問題、鬼畜的要素の固有名詞をカットアップして短文化し、あたかも鬼畜に仕立てあげ脚色されたもの。作ったやつは誰か?  これは調べあげた方がいい。」
「自分も罠にハマるところだった。バックナンバー引っ張り出して読んで良かった。」

 この手紙をきっかけに、北尾修一氏のブログは一気に転調し、私への攻撃が始まります。
 この手紙主は、いったいどういう意図をもって、北尾氏にこんな手紙を送りつけたのでしょうか。この手紙がなければ、北尾氏のブログは、別の内容になっていたはずです。
 この手紙主に、私のブログへの悪意があるのは明らかです。それも自分ではやらずに、北尾氏を情報操作し、批判させる。じつに手の込んだ遣り口です。
 北尾氏もまた、この手紙主に、利用されたように思います。冷静に考えてください。この手紙主は、北尾氏にも悪意があり、北尾氏をハメたのです。
 どうか、旧い知人とは誰なのか、その正体を明かしてください。

4・太田出版社長名義の謝罪文

 北尾氏は、私が意図的な編集をすることによって、元記事が「読んだ誰もが気分の悪くなるような内容」になったと言い、現物の記事は、小山田圭吾の優しさや、障害者との友情物語を表現したものだと主張されています。
 しかし、太田出版は社長名義で、次のような謝罪声明を公表しました。

 当時のスタッフに事実・経緯確認を行い、記事を再検討した結果、この記事が被害者の方を傷つけるだけでなく差別を助長する不適切なものであることは間違いないと判断しました。

 北尾氏は、この経緯確認に参加されましたか? その際に、ブログに書かれたのと同じ主張をされましたか? しかし謝罪声明には、北尾氏の主張は全く反映されていません。それはなぜだと思われますか?
 まずは太田出版の岡聡社長に抗議し、謝罪声明の修正または撤回を求めるのが筋ではないですか。なぜそれをしないのですか?
 また、小山田圭吾は謝罪文の中で「記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されております」と述べています。
 これについて、元記事の編集者である北尾修一氏の見解を教えてください。元記事は、事実ではないのですか? その責任をどうお考えですか?

5・М氏のプライバシーの暴露

 北尾氏は、次のように書いています。

 で、ここからちょっとデリケートな話なので慎重な書き方になりますが、会って話してすぐに分かったことがあります。M氏は壮絶ないじめサバイバー(生還者)で、鬱屈した表現欲求の塊みたいなものを内に抱えている人だと、最初に会った時点で分かったんですね。

 本人の了解を得ずに、他の人に公にしていない性的指向等の秘密を暴露する行動のことを「アウティング」と言い、一橋大学アウティング事件を通じて、その違法性が広く知られるようになりました。
 北尾氏もまた、「ちょっとデリケートな話」と断っているので、この認識はお持ちだ思います。プライバシーに関わることを、本人の了解を得ずに、ブログで公にしていいとは思いません。
 これは、М氏の了解を得た上での暴露ですか? また、「いじめサバイバー」なら、障害者の人権を侵害する記事を書いても許されるとお考えですか?

6・元記事と「壮絶ないじめサバイバー」との矛盾

 元記事で、村上清は自分のことを次のように述べています。

 僕も市立中学・高校とエスカレーターで通っていたので、他人事とは思えなかった。僕の当時の友人にはやはりいじめ加害者や傍観者が多いが、盆や正月に会うと、いじめ談義は格好の酒の肴だ。盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。」(『QJ』vol.3 本文53p)

 僕自身は学生時代は傍観者で人がいじめられるのを笑って見ていた。短期間だがいじめられたことはあるから、いじめらっ子に感情移入することは出来る。(『QJ』vol.3 本文52-53p)

 小山田さんとのいじめ談義は、同じ学校の奴とバカ話しているようで、凄く楽しい時間だった。独り占めするのはもったいないので、僕がシビレた話を掲載しよう。
(『QJ』vol.3 本文55p)

 また、栗原裕一郎氏は「この村上清っておれの元担当編集だよ。クソふざけた野郎でね、こいつのせいでおれは太田出版と縁を切ったんだが、ふーん、この記事、村上だったんだ」とツイートしています。
 村上清が「壮絶ないじめサバイバー」だというのは本当ですか?  
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7・年賀状の掲載許可

 沢田君が出したとされる年賀状について、記事本文で小山田は「僕は出してなかったんだけど」と語っているのに、年賀状には「手紙ありがとう」と書かれています。この矛盾を説明してください。
 また、この年賀状は誰が提供したものなのか、雑誌に掲載するのに、沢田君とその母親の許可を得ているのか、教えてください、

8・年賀状のレイアウトをしたのは誰か?

 北尾修一氏は、「いじめ紀行 小山田圭吾の回」が「沢田君の年賀状」を掲載している理由について、あれこれ想像しています。すると、編集者であった北尾氏は、元記事のレイアウトには関わっていないのでしょうか? ゲラも見ていないし、校正にもかかわっていないのでしょうか?
 別の編集者か、外部のデザイナーにでも委託したということでしょうか? 
 まさか自分でレイアウトを決めておいて、「記事のラストとして上手いなと思います」、などと絶賛するのは、どうなのでしょうか.。
 この記事の作成には、どれだけの人がかかわっていたのですか? そして北尾氏が担当したのは、どこですか?

9・小山田圭吾はいじめの「アイデア担当」

 北尾氏は、いじめの実行犯は別の人で、「小山田さんは周りで笑いながら引いていた、というポジションです」と書いています。しかし、元記事には、「小山田さんは、いじめグループの中でも"アイデア担当"だったらしい」(『QJ』vol.3 本文55p)と、はっきり書いてあります。
「ロッキンオン・ジャパン」の記事でも、小山田圭吾は「アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという」加害者だったことを認めています。
 それでも小山田圭吾は、本当は優しい性格だったと思われますか? その証拠はありますか?

10・小山田圭吾は笑ったか

 北尾修一氏は、私のブログが悪意を持って元記事を編集したと非難しました。しかし、雑誌記事というものは、そもそも編集されてできているのです。小山田圭吾にインタビューして、それを文字に起こします。

「この場を借りて謝ります」
「この場を借りて謝ります(笑)」

 たったこれだけの操作で、印象はがらりと変わります。元の原稿に、(笑)をつけるか、どうかです。
 録音テープを、文字に起こしたのは誰ですか? 小山田圭吾は本当に笑いながら語っていたのでしょうか。それとも、誰かが、その言葉に(笑)を付け加えたのでしょうか。何のために?
 小山田圭吾のインタビューを収録した音源がまだ残っているなら、公開してください。それが、事実を検証するということではないですか。 

 その文章についての責任が、村上清にだけあるとは思いません。
 考えてもみてください。
 フリーライターの仕事というのは、依頼された原稿を書いて、それを編集者にわたせば終わりです。
 その原稿が、そのまま雑誌に載ることはまずありません。
 編集者が読んで、赤を入れながらチェックし、活字や段組みを決め、脚注や写真のレイアウトを指定し、校正を繰り返し、印刷会社へ入稿します。記事の始めから終わりまですべて責任を持つ、それが編集者の仕事です。
 出版社の社員でもなければ、商業誌での編集経験さえ全くなかった村上清には、記事を編集する技術も権限もなかったのです。それができる立場にあったのは、誰ですか? 

11・「いじめ紀行」の企画者は、誰か?

 編集者の仕事というのは、まず自分で企画を考えることから始まります。そして編集会議を経て、承認されます。初めの企画がそのまま通ることは珍しく、たいてい複数の編集部員で何度も企画を練り直します。
 ところが北尾氏の記述を読むと、「いじめ紀行」は始めから終わりまで、村上清が一人で企画して取材して、執筆して、動き回っているように見えます。いや、北尾氏が、村上清を編集発行人の赤田祐一に紹介したと述べています。
 そして次のように書いています。

 当時の私はぺーぺーのダメ編集者で、時間を持て余していました。そんな私にとって、自分が引き合わせたA氏とM氏が組んで、しかも当時すでにスターだった小山田圭吾さんを取材をするというんで、「これは勉強になるに違いない」と思って、やじ馬(見学者)として取材現場に同席させてもらっていたわけです。

 北尾修一氏は、入社2年弱だった当時の自分をやたらと卑下しています。
「太田出版のまったく使い物にならないダメ新入社員だった」「いつ太田出版をクビになってもおかしくない自分」。
 これも北尾氏がそう語っているだけで、本当のところはわかりません。

 しかしながら、北尾氏が公表している経歴によれば、太田出版に入社の翌年には、樫村政則『完全失踪マニュアル』(1994/10/1)を企画してヒットさせています。『Quick Japan』(vol.3)と同じ時期には、バクシーシ山下『セックス障害者たち』(1995/7/1)を企画し、当該紙面にはこの書籍の広告が掲載されています。
 この華々しい経歴を見ると、私には北尾氏が「ぺーぺーのダメ編集者」とはとても思えません。むしろ敏腕編集者です。当時、「聞いたこともない無名のライター」だった村上清にとってはなおさら、有名出版社のベストセラー書籍を企画した編集者というのは、雲の上の存在だったでしょう。その編集者から声をかけられたら、なんでも言う通りに従うでしょう。

 いえ、これは私の想像です。まちがいがあれば訂正してください。
 北尾氏が書いていることが、私にはどれも信じられないのです。何の証拠も示されていないのです。ただ、当時の記憶ではそうだった、と北尾氏が書いているだけなのです。企画書の現物も写真も、ないのです。

 これを信じろという方が、無理です。
 北尾氏が、自分は「やじ馬(見学者)」と書いているのは、自分はこの記事に関わっていない、と暗に読者に思わせるための、巧妙なレトリックではないですか。責任をすべて、村上清ひとりに押し付けていませんか?
 フリーライターの権限など知れています。なぜなら、その原稿に問題があれば、編集者は後からいくらでも修正できるからです。

 雑誌『マルコポーロ』が、ホロコーストを否定する内容の記事を掲載して大問題になった時、論文の執筆者よりも、その記事を掲載した雑誌の編集・発行者の責任が重く問われました。
 編集者の責任は、それほど重いのです。北尾修一氏がそれを知らないはずがありません。
 北尾修一氏がいくら「ぺーぺーのダメ編集者」「やじ馬(見学者)」と称しても、その職責からは逃れられません。
 町山智浩氏は、次のようにツイートしています。

 村上さんは当時、ライターです。QJの編集者に依頼されて取材に行ったので、企画したのは編集者、掲載を決めたのも編集者です。その後、QJの編集者は現在、別の出版社に移りました。

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 私はこれを最初に読んだとき、元記事に書かれていることと違うので、とまどいました。しかし、今になってこの指摘は正しいのでは、と思うようになりました。当時、町山智浩氏は、宝島社から洋泉社に異動されてからもヒット作を連発する花形編集者でした。『Quick Japan』(vol.3)の裏表紙にも『映画秘宝』の広告が掲載されています。
 事情に通じていると思われる町山氏は、北尾修一氏が自分の責任から逃れているのを、暗に非難しているのかもしれません。北尾修一氏が、今こそ自分の責任と向き合うよう、諭しているのかもしれません。

 村上清が小山田圭吾に出したとされる取材依頼レターは、本当にあるのでしょうか。

「聞いたこともない無名のライター」が、売れっ子ミュージシャンの小山田圭吾に、そんなに簡単に会えるものでしょうか。日々大量のファンレターが届く中で、「聞いたこともない無名のライター」が出した取材依頼レターなどに目を止めるでしょうか。
 ライブやレコーディングで超多忙、大手商業誌からいくらでも取材依頼がある中で、「聞いたこともない無名のライター」の取材を、小山田圭吾の事務所が許可するでしょうか。
 だけど、「太田出版・編集者」という肩書があれば、どうでしょう。
 北尾氏は、小山田圭吾が企画を承諾したことについて、こう書いています。

 これは小山田さんからの、M氏商業誌デビューへのお祝い。そうとでも考えないと、小山田さんがここまで協力的な理由が謎すぎるんです(繰り返しますが、当初は渋っていた企画です)。

 私には、この謎が解けました。
 小山田圭吾が協力したのは村上清ではなく、北尾修一氏ではないですか。この企画も、北尾氏が強く推さなければ、編集部の企画会議を通らないはずです。
「03-「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」は、ご自身でもそう書かれているように、すべて北尾氏の妄想です。しかしその妄想は、北尾氏にとって、都合が良すぎませんか?
 企画したのも、取材したのも、原稿を書いたのも、すべて村上清。だから自分には責任はない。読者にそう印象づけようとしているようにしか、読めないのです。
 元記事の中で、村上清はこう書いています。

 以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。
 残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。
(『QJ』vol.3 本文64p)

 北尾修一氏も取材現場にいて、「笑っている」と村上清は書いています。この一文を、北尾修一氏はブログで削除しています。ここに意図がないとはとても思えません。
 村上清はなぜ、この一文を忍ばせたのか。それを私なりに推理すると、こうです。

「ちゃんと記録に残したよ、北尾さん。あなたが取材現場にいたことを。そしてみんなと一緒に笑ってたことを。この記事が問題になっても、自分だけ上手く逃げようなんて思わないでね」

「聞いたこともない無名のライター」と、太田出版の編集者。そこには逆らえない力関係があります。村上清は、自分が、利用されているのに気づいていたのでしょう。無名のライターがなぜいきなり商業誌で22ページもの連載が持てたのか、それはこの企画は過激でリスクが高く、もし問題となった時、責任を負わせてクビを切れるスタッフが必要だったのです。だから連載のタイトルも「村上清のいじめ紀行」なのです。

 元記事において、編集する権限を持っていたのは北尾修一氏に間違いありませんね。村上清に命令できる立場にあり、取材にも同行しています。
 こうして、ブログ記事「03-「いじめ紀行」はなぜ生まれたのか」の根拠はすべて失われます。責任逃れの妄想、いや、それは妄想を口実にした、悪辣な印象操作です。
 作り話は、やめましょうよ。あなたの美しい思い出話は、矛盾だらけです。
 北尾修一さん、あなたは26年前に何をしたんですか? 本当のことを教えてください。

12・元原稿の最終チェックをしたのは誰か?

 北尾修一氏はブログの中で、しつこいくらいに「覚えていない」「記憶力が悪い」「おぼろげな記憶」「記憶力のなさ」「想像すると」「すっかり忘れていました」と書いています。
 それなのにある場面では、「突然26年前の記憶が蘇ってきました」となります。いくらなんでも、おかしくないですか。都合の悪いことは記憶にないと書き、都合の良いことだけ覚えている。これではまるでどこかの政治家や官僚じゃありませんか。
 たとえば北尾氏が『Quick Japan』(vol.3)を語る次の文章を、みなさんはどう思いますか?

●ものすごく良い記事でも、ものすごく酷い記事でも、度を越したものは読むといつまでも覚えているので、そう考えると、この記事はおそらく当時の自分にとって「(企画としてはセンセーショナルだけれど)テキストとしては可も不可もない、それほど刺さらないものだった」という可能性が高いんです。

 実は私は、問題の記事「いじめ紀行 小山田圭吾の回」(雑誌『Quick Japan』vol.3)を、刊行直後の26年前に読んだきり、これまで一度も読み返したことがありませんでした。

 これまでに何度も「いじめ紀行」はネットで炎上しています。その担当編集者が、26年もの間、一度も読み返したことがないって、あり得るのでしょうか。まして北尾氏は、1999年2月より2003年8月まで(vol.23~vol.50)、雑誌『Quick Japan』の編集長を務めているのです。
 第3号はリニューアルされた最初の号で、「小山田圭吾記事のおかけで爆発的に売れた」のです。北尾氏は当時の自分を、「太田出版のまったく使い物にならないダメ新入社員だった」と回想しています。
 そのダメ新入社員が、新雑誌の企画を担当し、それが大ヒットした。のちに編集長となる出世の足掛かりになったともいえます。北尾氏の人生においても、ターニングポイントとなった雑誌のことを、こんなにもきれいさっぱり、忘れてしまえるのでしょうか。

 なぜ、北尾氏は、「いじめ紀行」を覚えていないと言ったり、自分はダメ社員だったと強調するのでしょうか。それは、自分はこの件には関わっていない、だから責任はない、読者にそう思わせるための詐術だと思います。
 当時、編集者の北尾氏は、具体的に何の仕事をしていたのでしょうか。

 北尾氏は、「切実な問題意識を持って立ち上げた企画」だと強調しています。しかし、たとえどれほど高尚な理念があっても、読者が読めるのは出来上がった記事です。残念ながら読者には、「切実な問題意識」は伝わらなかったのです。表現方法が間違っていたのです。
 太田出版は次のように謝罪しています。

 1995年刊『Quick Japan 第3号』は「いじめ紀行」というシリーズの第一弾として小山田圭吾氏へのインタビューをもとにした記事を掲載しました。この記事が、表現方法、記事の影響についての思慮そして配慮が足らないままに世に出たことにより被害者の方をはじめ多くの方を傷つけたことを深くお詫びします。

 同じことを、竹熊健太郎氏も指摘しています。
(「小山田圭吾が受けた「40年後の罰」、いじめられた側が語る当時の背景」週刊女性PRIME)
小山田圭吾が受けた「40年後の罰」、いじめられた側が語る当時の背景 | 週刊女性PRIME

 いじめられた側にしてみれば思い出したくもない過去でしょうし、無理やり取材してもセカンド・レイプになってしまいますから、これはそうとうに時間をかけて、いじめられた側とコンタクトをとり、信頼関係を築いてから取材する慎重さが必要だったと思います。それができた上で小山田さんのインタビューをすれば、まったく異なる記事になったでしょう。その意味では、慎重さを欠いた記事だったと思います。
 結果的に取材に応じているわけですが、初めは小山田さんも躊躇しています。また、元記事を読むと担当ライターの村上氏と編集部は単に“いじめ自慢”を助長しようとしていたわけではないことがわかるんですが、結果的にいじめられた相手の談話が載せられなかったことで、小山田氏の一方的ないじめ自慢と受け取られても仕方がない記事になってしまいました。
 だから私は、記事そのものをボツにするか、いじめられた相手の取材ができるまで、掲載を延期するべきだったと思います。

 結果がすべてです。
 美しい風景を描きたい、と心で思っても、絵が下手なら伝わりません。勝つつもりで試合に臨んでも、負ければそれまでです。
 雑誌に掲載された「いじめ紀行」は、「露悪的で、読んだ誰もが気分の悪くなるような内容」だったのです。そうなったのは、この記事の最終チェックをした人の責任です。これでいいと、ゴーサインを出した人の責任です。
 それは誰ですか?

 町山智浩氏も竹熊健太郎氏も、編集者の責任が最も大きいと示唆しているように思われます。
 北尾修一さん、あなたはこの意味で「ダメ編集者」だったのです。責任を回避して、ごまかしてばかりいる今もなお「ダメ編集者」なのです。

 北尾修一氏は、私のブログが元記事を意図的に編集していると責めました。しかし、そもそも雑誌の記事は意図的に編集されたものです。私の編集責任を問うのなら、元記事の編集責任はどうなりますか。
 元記事を編集したのは、誰ですか?
 そもそも、こんな企画を小山田圭吾に提案しなければ、何も起こりませんでした。露悪的でない編集をしていれば、誰も気分が悪くなりませんでした。記事がボツになっていれば、誰の目にも止まりませんでした。この雑誌がなかったら、こんな騒動は起こっていませんでした。
 北尾修一氏はブログの最後で、小山田圭吾と村上清にこう呼びかけています。

 私には未来を変えることできませんので、このことは動かせない事実です。おふたりのために何かできることがないかと考えるのですが、この文章を綴って世の中に放つ以外の方法を思いつきません。
 でも。
 こういっては怒られるかもしれませんが、それでも26年後の私の中には、小山田さんと村上くんがこうやって力を合わせて作った記事が残っていることを、良かったと思う気持ちが拭えないのです。
 もちろん26年後のふたりは絶対そう思っていないでしょう。
 だって、今この瞬間も、ふたりは別々の場所で泣いているかもしれないのですから。

 北尾修一さん。編集者だった自分の立場を忘れていませんか?
 この二人は、あなたが巻き込んだのです。あなたが、泣かせる原因を作ったのです。そうではないのですか? お答えください。
 この雑誌がなければ、太田出版も謝罪することはなかったのです。
 あなたが「村上清のいじめ紀行」を編集して世に出さなければ。
 その自覚がないまま、こうした言葉が綴れるあなたのその冷酷さに、私は心底ぞっとします。 

 ちがいますか?
 北尾修一さん、あなたに私を責める資格がありますか?

 北尾修一さん、あなたは私を、なめてますよね。
 ジャーナリストや音楽評論家、お友達の有名人を総動員して私に圧力をかけて脅せば、ビビッて泣き出し、逃げ出すと思っていますよね。こんなド底辺のクソムシみたいなブロガーなんか、簡単にひねりつぶせると思っていますよね。

 出版社を経営し、音楽界や芸能界にも幅広い人脈のある立派な北尾さんとは違い、私はただのクソムシです。自覚しています。
 でもね、北尾修一さん。

 クソムシにも、意地はあります。

 忌野清志郎の本を出している人が、こんなことをして恥ずかしくありませんか。

 いえ、少し書き過ぎました。申し訳ありません。
 私はただ、事実が知りたいだけです。

 もしかしたら、北尾修一氏も誰かに利用されたのかもしれません。旧い知人からの手紙が、本当にあるのなら。
 また、太田出版に入社二年目だった北尾氏には、上司がいたはずです。もしかしたら、その人をかばっているのかもしれません。
 だけどもう、そんなことはやめにしませんか。仲間内での、かばい合い、隠蔽、情報操作。その陰で誰かが傷つき、虐げられているのです。

 私の書いたことに間違いがあれば、訂正してください。
 乱筆乱文幾重にもお詫び申し上げます。 
 お忙しい中お手数をおかけして大変恐縮ではございますが、お返事お待ち致しております。

 電八郎
 敬具
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