ここんとこがノーベル

もうずいぶん前になるけど、本多勝一の講演会に行ったことがある。とくに熱心な読者でもなかったし、まあ一度くらい実物を見ておこうかという、そのていどの関心だった。

本多氏は右翼に狙われているとかで、いつも変装していて、決して素顔を見せないという噂だったので、はたしてどういう姿で現れるかと思ったのだが、壇上に登場した姿は、白髪のカツラに黒いサングラスで、やっぱり変装していた。

ノーベル賞の授賞式をテレビで見たけど、あの豪華な晩餐会に招かれた日本人受賞者の貧しさというか、品のなさというか、タヌキみたいな老人が、似合わない燕尾服を着せられて、英語ができないことを恥じ、テーブルマナーを知らないことを恥じ、美しい西洋貴族の中であたふたしているさまを、見せられるのは日本人としてつらいものがあった。

ワイドショーはあの日本人受賞者の言動を、おもしろおかしく伝えていたが、その生涯をかけた研究に敬意も払わず、ああして嘲笑の的とするマスコミというのも、じつに残酷なものである。

あれなら、イグノーベル賞の授賞式の方が、最初から冗談だとわかっているぶん、救いがある。なにしろ受賞者は、式のスピーチで聴衆から笑いをとることが要求され、さらに、スピーチが長すぎると、ヌイグルミを抱えた少女が舞台にでてきて、「おじさん、話が長いよ」とか言って、受賞者を、壇上からひき下ろすそうである。

それでまあ、そういうのを横目に見ながら、本多勝一がノーベル賞を、侵略賞であり、人種差別賞であると批判していたのを、思い出した。
まあ今のおれの評価では、本多というのもメッキが剥げた左翼文化人の一人ぐらいにしか、思っていないが、そのコラムには保守的な言説もあって、そういうところは今でも好ましく思っている。

食堂では、「ライス」ではなく、断固として「ごはんをください」と言う、とかね。