バックに大物が

遙洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(筑摩書房)に、こんな記述がある。
遙洋子が、テレビ番組で、意見の対立する先輩芸人と、議論になった。言い負かされそうになったその先輩芸人は、彼女に対し、「おまえ、いつもと言いようが違う。さてはバックに大きいコレがついたな!」と親指を立てた。
もし自分が議論に強くなったのなら、それは大学で勉強した成果だ、と彼女は考える。しかし、その日以後、彼女は、「バックに大物の男がいるタレント」と人から言われるようになる。

そんな放送を見ていた、これまた大物タレントが、格闘する私を不憫に思ってくださったのか、後日、私に声をかけてくれた。
「芸能界では、ぼくがあなたを守ります。」

私に、ほんものの大物がついてくれることになった!
正直な感想をいうと、うれしかった。

どれほどジェンダー論を学んでも、自分のジェンダーバイアスは消えることはなかった。自分より背が高く、がっしりしていて、男らしい男性に、それも、私よりもずっとポジションが上の男性に、「守ります」と言われると、どうしようもない喜びを押さえきれない。

「ぼく、守る人、わたし守られる人」に、待ったをかけたのがジェンダー論なのに、それが幻想であることも暴かれているのに、うれしいんだからしかたない。
これが、ジェンダーバランス。わたしの心の中の<女らしさ>である。

わたしはその日から、ことあるごとに、
「わたしのバックには大物タレントの○○さんがついてます!」
と、言うようになった。

皆、一様に「オオッ!」と驚いてくれるので、効果はてきめんだった。
ジェンダー論を学ぶことと、ジェンダーから解放されることは
別の話だ。
(単行本P129より引用)


彼女が芸能界にいられるのは、芸があるからではなく、パトロンのおかげなのね。