すちゃらかフェミをコテンパンにやっつけたったの巻

「すちゃらかフェミ」を名乗るid:akupiyoが、上野千鶴子の『女遊び』が出た時にはセクハラという言葉さえなかったというでたらめを書いたので批判したら、懲りずにまた「はてなブックマーク」でコメントを寄せた。「はてブ」では短文しか書けないため、こちらで答える。

id:denpatiroさんは米で生まれた概念を日本人全員が瞬時に知る能力を持っているとお考えか。「セクシュアル・ハラスメント」という言葉の、新聞記事での初出、CiNiiで書籍、論文の初出を確認されることをおすすめする。

 詭弁である。
 おれはそんなことを、書いていない。前回の記事のどこをどう読めばそんな解釈になるのか。読解力がないのは、どちらの方か。これを、わら人形論法という。おれの意見を、自分に都合よくねじまげて紹介し、それに反論することで、おれを言い負かせたように見せかけているのである。
 前回のおれの意見を短くまとめると、以下のようになる。
A・1988年には、すでにセクハラという言葉はあった。
B・仮にセクハラという言葉が一般的ではなかったという理由で、「なかった」ことにしたいのなら、これは事後法の問題になる。
 Aなら、id:akupiyoの主張は虚偽である。Bなら、事後法の問題について答える義務がある。かんたんな論理学である。
 id:akupiyoに、逃げ道はない。
 それでもなお当時はセクハラという言葉はなかったと主張するなら、証明責任は、先にその主張をしたid:akupiyoにある。まずはあなたが証明せよ。話はそれからだ。
 ただしこれは、存在しないことの証明(いわゆる悪魔の証明)であることを言い添えておく。
 前回の記事を以下に引用する。

ウィキペディアによると、「セクシャル・ハラスメント」という言葉は、1970年代初めにアメリカで生まれた造語である。日本では、1986年「西船橋ホーム転落死事件で加害者の女性を支援する女性団体が、セクハラという言葉を使い出した」との記述がある。

 おれは日本での事例についても、ちゃんと触れている。
「米で生まれた概念を日本人全員が瞬時に知る能力を持っているとお考えか」というid:akupiyoのコメントには、私はそんなことは微塵も考えておりません、と律儀に答えておく。日本では、1986年にすでにセクハラという言葉はあった、という反証を出したのだから、id:akupiyoはそれに答えよ。
 ウィキペディアがソースでは、気に入らないらしい。それで新聞記事や学術論文を調べよときたか。
 しかし、新聞記事や学術論文を日本人全員が読むとお考えか。id:akupiyoによれば、1988年にセクハラという言葉が「ない」という定義は、日本人全員が知っていなくてはならないらしい。それなら現在もセクハラという言葉は、ない。これも詭弁である。
 おすすめされたので、CiNiiを調べてみた。

アメリカに見る労働環境と性差別
性的いやがらせ(Sexual Harassment)と公民権法第七編(The Title 7)
奥山 明良
判例タイムズ 35(14), p18-32, 1984-06-01

 1984年の論文ですが、何か?
 1988年にはセクハラという言葉はなかったんですよね?

セクシャルハラスメントと女性に対する性暴力 (女性の権利は今<特集>)
宮永 由起子
自由と正義 38(12), p54-60, 1987-11

雇用における「性的いやがらせ」-アメリカの事例を中心として
水谷 英夫
法学 50(6), p1007-1052, 1987-01<論説>アメリカの働く女性と性的いやがらせ(Sexual Harassment):ヴィンソン事件を中心に
奥山 明良
成城法学 (23), 1-31, 1987-02

 1987年の論文ですが、何か?
 いっぱいありすぎて書ききれないので省略しますが、何か?(コメント参照)
 1988年にはセクハラという言葉はなかったんですよね?
 宮淑子というジャーナリストがいる。1984年に出版された『ドキュメント性暴力』(サンマーク出版)と『セクシュアリティ』(現代書館)の中ですでに、セクシャル・ハラスメントについて書いている。
 さらに、「西船橋ホーム転落死事件」などの関係者に取材した『セクシュアル・ハラスメント』(教育史料出版会)という本を、1989年に出している。
 そのあとがきによれば、1984年に『朝日ジャーナル』誌上で、宮淑子、落合恵子、渡辺圭の鼎談が行われた。アメリカ在中のフリー・ジャーナリストだった渡辺圭は、この記事の中で何度も「セクシュアル・ハラスメント」という言葉を口にし、その被害の深刻さを訴えている。

  日本では、強姦はようやく語られ始めてきたけど、雇用関係における性的いやがらせに対する告発は、まだぜんぜんない。
渡辺 アメリカでも、セクシュアル・ハラスメントに関する告発はまだ少ないです。調べると、ひどいケースがすぐ出てくるの。(中略)四人に一人は被害にあっているという調査報告もあるのね。セクシュアル・ハラスメントは、とても表面に出てきにくいの。(中略)女をいびりだすためという例もあるのね。消防署に女の消防士が入ると、わざと猥談したり、ポルノの本を見せたりする。自動車労連なんか、会社と協約を作って、「セクシュアル・ハラスメントはいたしません」というのを書かせたの。
(宮淑子『セクシュアル・ハラスメント』教育史料出版会・P212-213より引用)

 記事の初出は、1984年の『朝日ジャーナル』である。渡辺圭はその翌年、「パワー社会が生む性的いやがらせ」という記事を『エコノミスト』(1985年1月22日号)に書いている。
 1988年にはセクハラという言葉はなかったんですよね?
 1980年に、アメリカの女性たちが『Stopping Sexual Harassment a Handbook』という小冊子を発行している。
 それを一人の日本人女性がアメリカから持ち帰る。彼女は仲間たちと協力して翻訳し、編集、発行まで手がける。それが1988年、「働くことと性差別を考える三多摩の会」によって自費出版された『日本語版性的いやがらせをやめさせるためのハンドブック』である。
 マスコミで紹介されると六百部の自費出版はすぐに売り切れ、新たに二千部が増刷された。
 セクハラという概念と言葉は、このような人たちの地道な活動があってこそ広まったのである。
 タレント学者はそれに乗っかり売名を果たした。市井の活動家たちの成果を奪い、おのれの権威を築いたのである。id:akupiyoのコメントは、しょせん上野千鶴子を権威付けしたいがためのものである。嘘を書いても訂正しないところも、上野ゆずりか。
「この本が出た時はセクハラという言葉さえなく」というのなら、それまで差別と戦ってきた女性たちの努力はなんだったのか。あなたは彼女たちの存在を無視したのである。
「ほんとに上野の本読んだんか、と疑いたくなるような読解力」と書き、「米で生まれた概念を日本人全員が瞬時に知る能力」などと茶化し、あなたは俺を愚弄したつもりであろうが、この自称ジェンダー研究者が本当に愚弄しているのは、それぞれの職場でセクハラと戦ってきた名もなき女性たちである。
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セクシュアル・ハラスメント―性的いやがらせ・おびやかし

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