すごい美人が訪ねてくる。宗教の勧誘だった。
その教団がいかにインチキであるか、語る気になれば、いくらでも語ることができるが、面倒に巻き込まれるのもいやなので、早々にお引取り願った。お目付け役みたいな、おばさんも一緒だったし。
しかしまあ、ああいう、うら若き美人が、邪教に洗脳されている姿というのは、なんとも痛々しい。この寒空に、ああして、あちこちの家を訪問し、そのたび、門前払いを食らっているのだろう。
アニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を思い出す。
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早見慶子『I LOVE 過激派』(彩流社)を読む。
著者は、東京理科大・薬学部卒業後、戦旗・共産主義者同盟のメンバーとなり、8年の組織活動と、7年のアジト生活を経験。
この本のタイトルもちょっと「人として軸がぶれている」かんじだけど、内容も、なんか石原真理子を思わせるんだよね。大塚英志が『彼女たちの連合赤軍』で、永田洋子を「乙女ちっく」と評したけど、この人も山口百恵の大ファンだとか書いていて。
雨宮処凛の自伝『生き地獄天国』を読んでも、若い頃に、過激なものに惹かれる心情は、わりとわかるんだよねえ。処凛さんは、早めに足を洗ったようだけど、早見さんは、1980年代バブルの頃に、青春のすべてを極左活動に捧げたわけで、そのぶん喪失感が大きいのか。
田中森一の『反転』は、バブルの饗宴を語りつつ、ようするに自慢話に尽きたわけであるが、あの手の話は、マスコミでも報道されてたし、おれとしては、『I LOVE 過激派』のほうが、おもしろかった。
スガ秀美『1968年』、坂口弘『あさま山荘1972』、立花隆『中核VS革マル』、松下竜一『狼煙を見よ・東アジア反日武装戦線“狼”部隊 』、などのあとに続く、左翼運動の記録として。
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『姉ちゃんの詩集』、読んだ。
ケータイ小説なんかよりずっといい。でも、詩そのものはつたないけれど、それをめぐる物語がじつにいい。
カフカも宮沢賢治も、アンネの日記も、他人に読ませようと思って書かれたものではなかった。『姉ちゃんの詩集』の根底にも、それらと同じピュアなものがある。
つかこうへいは、劇団員のアパートに忍び込んで、あいつらの日記を盗み読みたい、とその昔、エッセイに書いていたが、その「日記」というのは「ブログ」とは違うものだと思う。
しかし出版されて、商品となったあとに、それが文学的にどうかというのはまた別の話で、やはりこれは、2ちゃんねるのスレで読まれるものであろう。