本当は怖い靖国神社

 原武史『知の訓練』を読む。
 大相撲の女人禁制というのが明治以降の「創られた伝統」であることが話題になったが、それをいうなら靖国神社も明治以降に創られたものだ。
 その前身は明治2年に建てられた東京招魂社である。ここでそれ以前にはなかった、人を神としてまつるという宗教がうまれた。それまでにも菅原道真平将門徳川家康など、特異な人間を神としてまつるという風習はあったが、東京招魂社においては、戊辰戦争で死んだ普通の人たちがみんな等しく神としてまつられることになった。その数、7,751人、これだけの神が一挙にまつられたのである。
 明治12年に社号が「靖国神社」と改められると、さらに西南戦争日清戦争日露戦争と戦争のたびに、神としてまつられていく人が増えていく。お国のために戦って死んだ人たちは無条件で神になるので、第二次大戦後には2,466,000柱を超えた。(神様の単位は「柱」)。
 これはアーリントン国立墓地や千鳥ヶ淵戦没者墓苑のような戦死者を追悼する施設とは、まったく性質が異なる宗教施設である。なにしろ戦死者を神としてまつるのである。東条英機らの戦争指導者さえ神とするのである。
 靖国神社では、「国家のために一命を捧げられた方々」が身分・勲功・男女の区別なく、一律平等に尊い神霊(靖国の大神)としてまつられる。しかしこの平等性こそが問題なのだと原武史は述べる。身分の低い者や女性でも戦争で死ねば英霊になって敬われるという逆転した価値観により、死が美化され顕彰され、それが国民を戦争へと向かわせる大きなモチベーションにつながっていった。(84頁)
 日本が近代国家となるためには、信教の自由を認めなければならなかった。そのため大日本帝国憲法でも第二十八条で「信教ノ自由ヲ有ス」と一応は認めている。しかしそこで問題となったのが国家神道のあつかいである。靖国神社の祭事は陸海軍が統括しており、その他の神社は内務省神社局によって管理されていた。つまり神社の神主は公務員であり、国家が宗教に介入していた。
 そこで明治政府は、「神社神道は宗教ではない」というアクロバットな取り決めをした。神社神道は宗教じゃないから、国家が管理しても問題ないし、憲法違反にもならない。たとえ仏教徒キリスト教徒が神社に参拝したって問題ない。だって神社は宗教じゃないんだもん。というわけで信教の自由も政教分離の原則も守られると考えた。
 こうして国家神道は成立した。そしてそこから、「いかなる宗教を信仰していようと、日本国民は必ず天皇を崇敬し、神社に参拝しなければいけない、これは「臣民タルノ義務」である、という論理が可能となった。これが国家神道なんです」(103頁)。
 しかし戦後、GHQは国家神道こそが戦争の重要な要因だったとしてこれの解体に乗り出す。しかしアメリカは信教の自由を尊重し、靖国神社などを廃止するのではなく、これら神道もまた一つの宗教団体にすればよいと考えた。そして神社神道は、仏教やキリスト教諸派などと同じような宗教法人となった。
 靖国神社も今では単立の宗教法人である。これに首相や閣僚が参拝するのは、あきらかに日本国憲法第二十条の政教分離の原則に違反する。

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