紋切型ばんざい

客「武田砂鉄の『紋切型社会』を読んだかね?」
主「立ち読みで、放り出した。フローベールの『紋切型辞典』やビアスの『悪魔の辞典』があるのに、なんでわざわざそんなのを読まなくちゃならない」
客「まあそう言うなよ。本田靖春竹中労が好きで、紋切型ばかりの社会に本気で怒っている。なかなか頼もしいじゃないか」
主「紋切型の何が悪い。バラバラの個人が社会を成立させるには紋切型が必要なんだよ。電車が時刻どおりに到着するのも、紋切型があればこそだ。その恩恵を受けているやつに、紋切型を批判する資格なんかない。
 マニュアルを捨てろ、電車の運転手は時刻表なんか守るな、上野駅に停まりたくなけりゃすっ飛ばして群馬まで行っちまえとか、そこまで書くなら立派だけどな」
客「たしかに紋切型を批判するのに、正論をもってしても、それこそ手垢にまみれた紋切型の批判になってしまうんだよな。この本の帯に書かれている著名な作家の推薦文なんか、紋切型のオンパレードだ」
主「だから80年代の批評は、それを相対化してたんだ。泉麻人の『東京23区物語』を読むと、どこの区に住んだって恥ずかしいし、渡辺和博の『金魂巻』を読むと、貧乏人も金持ちもどっちも恥ずかしいって気にさせられた。言葉なんてしょせんぜんぶ紋切型じゃねえか。『紋切型社会』にしたって、誰それがこう言った、この本にはこう書いてある、といった引用ばかりで著者の自分の頭で考えた意見ってのは、どこにあるんだね? その引用も、高田純次伊集院光や劇団あひるなんちゃら、といったぐあいだぜ。オレはおまえらとはちがうぜって感じの意識高い系と同じで、べつの紋切型社会を生きてるだけじゃねえか」
客「オレがおもしろく思ったのは、結婚式のスピーチにサンプル文を使うのはけしからんって怒ってるところだな。だけどこの論法だと、歌舞伎や落語の台本だって、サンプル文みたいなもんだろ。たとえシェークスピアだってさ、そういう決まった型の文章を読んで、演じて、それを見て感動する客ってのも、考えてみれば結婚式と同じかも知れないな」
主「結婚式なんかそういうもんだろ。森本あんりの『反知性主義』を読んでいたら、“知的な好奇心を小馬鹿にし、自分が信奉する考え以外を意識的に諦める『反知性主義』と呼ばれる動きが広がっている(P144)”なんていいかげんなことは書けないはずだがな」