客「呉智英の『吉本隆明という「共同幻想」』をどう思うね」
主「思ったよりよかった。呉智英はネタの使い回しが多いから、しばらく読んでなかったんだ。吉本隆明批判も、それまでの随筆で何度かやってるけど、どうもピントがずれているような気がした。しかし本にまとまってみると、ああ、そういうことか、と理解できた」
客「吉本の異様な思考形態を、ここまで辛辣にあばいた本は他にないんじゃない?」
主「小浜逸郎の『日本の七大思想家』も、吉本には手厳しいよ。吉本の『最後の親鸞』だけどさ、『歎異抄』を論じるのに吉本は親鸞の言葉を直接引用せずに、私訳でやってるんだぜ。しかもそれが誤訳だらけ。もう学問的な手続きはめちゃくちゃ。俺はこの指摘を読んで、へなへな、となったね」
客「新約聖書のマタイ伝を『マチウ書』と勝手に変える奇妙な癖は、生涯抜けなかったんだね」
主「『共同幻想論』も『言語美』も、学問的には何の価値もないってことを、もっと早くに誰かがはっきり言うべきだったね」
客「まともな学者の間では、そんなこと常識だったんじゃないの?」
主「山口昌男は『共同幻想論』をきちんと批判してた。でもそれを吉本が例の調子で罵倒してさ、それっきりアカデミズムから忌避されてるね。それがかえって孤高に見えて、信者からは崇め奉られちゃうわけだ」
客「きみだってけっこう吉本を読んだ口だろう」
主「俺なんか傷が浅いほうだぜ。吉本を読んで過激派になったやつもいるからな」
客「学問というより宗教だな」
主「アカデミズムを批判するのはけっこうだが、学問的な手続きを無視しては、いけない。吉本の理論は、信者の中でしか通用しない。呉智英は、吉本の本が翻訳されないのは悪文で意味不明だからだと書いているが、根本的には、吉本の概念や言葉の定義が特殊だから、翻訳不可能なんだ。吉本の使う言葉は、哲学や言語学などの専門用語との互換性がない。だから世界の学者と共通の土台の上で議論するということができない。そこが西洋の分析哲学に則ったうえで、独創的な概念を打ち出している大森荘蔵とのちがいだね」
客「なんだか吉本というのは、独力で二次方程式の解き方を考えている感じだな」
主「教科書をバカにしちゃいけないってことさ。スタンダードな知識ってのはありがたいものだぜ。それを身につければ世界中のすぐれた哲学書が読めるようになるんだ。正統な学問を学ぶか、異端の思想を崇拝するか、どちらが発展性があるかは論をまたない。吉本の特殊で難解な本を読んでいる若い人たちには、まずは教科書を読めって言いたいね」
- 作者: 呉智英
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/12/07
- メディア: 単行本
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