世界のために君たちはどう生きるか

 ピーター・シンガー著・関美和訳『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと』を読む。
 子供が浅い池でおぼれているのを発見し、あなたが池に入って引き上げれば簡単に子供を助けることができる状況において、子供を見殺しにするのは悪である。まして自分の靴が濡れるからという理由で子供を助けないのは悪である。靴が濡れることと、子供の命を比較すれば、子供の命の方がはるかに価値がある。靴が濡れるというほんの小さな犠牲を払えば子供の命を救えるのであるから、あなたは池に入って子供を助けなければならない。
 ピーター・シンガーはこの原理をあらゆるものに適用していく。いかにすれば効果的に他者を救えるか、その方法が徹底的に考えられていく。
 私たちは、必要のないものに金を浪費している。少し節約して、効果的な寄付をすれば、それだけでたくさんの社会貢献ができるにもかかわらず。
 ダイエットのためにスポーツジムに通う余裕があるのなら、そのバカ高い月会費を、盲目の治療に効果をあげている組織に寄付すれば、多くの盲人を助けることができる。なぜそうしないのか。
 平均的な年収の一割をきわめて効果の高い組織、たとえば、幼児の主な死亡原因となっているマラリアを予防するための蚊帳を配布する組織(アゲンスト・マラリア財団)に寄付すると、その程度の寄付でも、一生のうちに百人の子供の命を救える。スーパーヒーローでなくても、だれにでも数百人の命を救う力があるのだ。
 年収が多ければ多いほど、多額の寄付ができるので、助けることのできる子供の数も増える。だから多く稼げる職業に就いて、多く寄付するのが善い。こうした考えはアメリカの富裕層に影響を与え、ビル・ゲイツらが実践している。
 寄付は、効果的でなければならない。一人の難病患者の治療に一億円かけるよりも、その一億円で発展途上国の百人の子供の命が救えるなら、後者を選択すべきである。大好きなバッドマン俳優と競演したいという白血病の子供の夢をかなえてやるために百万円が必要なら、その金をアゲンスト・マラリア財団に寄付すれば、もっとたくさんの善きことができる。
 しかしながら、「スポットライト効果」によって、マスコミが取り上げる特別な難病患者らに寄付が集中することで、本当に救済が必要な、生命の危機にある子供たちが見捨てられるという弊害が起こる。一億円の寄付を、一人の極小未熟児の手術のために使うか、それとも大勢の子供たちにワクチンを接種するために使うか。
 ここまでならさほど異論もあるまい。だが、ピーター・シンガーの思考はさらに先へゆく。一人の子供の命を救うよりも、二人以上の子供の命を救うほうが、善きことであるという原理をどこまでも徹底させる。有名な「トロッコ問題」もこれで結論が出せる。たとえ一人の命を犠牲にしても、五人の命が救えるならそうすべきである。それでいいのだ。
 自分の子供が難病で死にかけてて治療に一億円がかかるなら、もうあきらめて、その一億円を発展途上国の子供たちの命を救うために使おう。
 腎臓はひとつあれば生きていけるので、もうひとつは移植が必要な人に提供しよう。
 この原理は人間だけでなく動物にも適用されるべきだ。ペットの犬や猫の命を守ることも大事だが、動物実験と工場畜産をやめさせれば、もっと多くの動物の命を救うことができる。本当に助けるべきは牛やブタなどの家畜である。
 ここまでくると反発もあろうが、現在もっともラジカルな思想である。

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