中原一歩研究(1)その金脈と人脈

玉砕覚悟の徹底追及第7弾! 中原一歩とサヨクオールスターズ

 ホラッチョ川上ことショーンKがテレビから消えてずいぶんになる。経歴詐称であれだけ大騒ぎしていたのに、今ではその名前さえ忘れている人も多いのではあるまいか。
 ショーンKの経歴詐称を暴いたのは「週刊文春」であった。その「週刊文春」で中原一歩が小山田圭吾についての記事を書き、それが「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」の作品賞に選ばれたと聞き、私は怒りや嘆きよりも、思わず笑ってしまった。
 この国のジャーナリズムは昔から何も変わっていない。

 中原一歩こと本名・中原大弐は、元ピースボート共同代表である。難民や在日朝鮮人や米軍基地などの社会問題に関わり、政府に抗議する勇敢な左翼活動家であった。十年余りの活動の後、突然ノンフィクション作家に転身し、浜田敬子が副編集長をしていた朝日新聞出版の雑誌『AERA』で、執筆を始める。
 元ビースボート共同代表という経歴は隠したままで。

 2011年には、東日本大震災の被災地・石巻を取材し、『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)を刊行する。だが、密着取材した石巻災害復興支援協議会代表理事の男は、巨額の復興資金を詐取したとして逮捕され有罪判決を受ける。
 それでも中原一歩の評判は落ちるどころか、ますます洛陽の紙価を高め、講談社文藝春秋NHK出版といった大手出版社から続々と著書を刊行する。
 さらに『AERA』では長年にわたり政治ルポを連載し、『本当に君は総理大臣になれないのか』では、小川淳也の当選を後押しするなど、政界にも強い影響力を持つほどになった。

 だが、その経歴詐称が暴かれることはなかった。
 立憲民主党がネットメディアの「Choose Life Project」(CLP)に1500万円もの資金提供をしていたことが発覚し、示現舎の三品純によれば、両者を仲介したのが中原一歩が社長を務める広告代理店「株式会社社GENAU」だった。
 中原一歩に比べれば、ショーンKの経歴詐称など、かわいいものではないか。そんな中原一歩先生が書いた検証ルポ「小山田圭吾事件」が、 「雑誌ジャーナリズム大賞」だという。これが笑わずにいられようか。
 本物の悪党は見逃され、コソ泥が抹殺される。こんなことでいいのだろうか。
 そんな思いで私は当ブログで中原一歩の経歴詐称を暴いた。だが、世間の反応は冷たく、たとえば「週刊文春」でも連載を持つ人気エッセイストの青木るえか先生は、Twitterで次のように書いた。

『孤立無援のブログ』って今どういうことになってるのかと思ったら「中原一歩はピースボート共同代表で左翼活動家」とかいってて目まいがした……
青木るえか@daikix 2021年12月29日午後4:26)

 このような若い頃から面白主義で生きてきたサブカル文化人は、政治や社会問題について無知で、老人になってもテレビを見て感想を書くか芸能人の追っかけをするぐらいしか能がないので、しょうがないところもある。それにしても、である。

 立花隆が「田中角栄研究――その金脈と人脈」を雑誌『文藝春秋』に発表した時、政治記者たちは「あれに書いてあることなんて、どれも知っていることばかりだ」と言ったという。それを聞いた立花隆は、「知っているならなぜ書かなかったのか」と問うた。
 これが「報道しない自由」というものだ。
 僭越ながら、私も同じ思いである。政治記者たちに問いたい、中原一歩の経歴詐称を知っていたならなぜ書かなかったのかと。
 この国のジャーナリズムは昔から何も変わっていない。


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立憲民主党マネーに群がる物乞いジャーナリストとタレント文化人

 たかまつなな立憲民主党によるCLP問題が発覚した時、真摯に謝罪し、Twitterに次のように書いた。

ちなみに弊社も、広告代理店を経由して、立憲民主党からPRの相談をもちかけられています。予算はかなりの金額でした。もちろん特定政党からお金をもらうこと、特定政党のPRをすることは主権者教育とは真逆のことだと思うのでやってはいません。組織の理念が揺らぐことだと思います。
たかまつなな/時事YouTuber @nanatakamatsu 2022-01-05 22:09:50)



 彼女が断った立民マネーのPR仕事は、その後どうなったか。当然、別の誰かが受けたであろう。どこのジャーナリストか、タレント文化人か知らないが、立憲民主党からカネをもらって宣伝している輩がいるのである。

 CLP問題によって、そのメディア工作の一端が明らかになった。
 立憲民主党は平成29年以降、博報堂に10億円超ものカネを流しているので、ここでいう広告代理店とは博報堂である。
 須田慎一郎の「別冊!ニューソク通信」(YouTube)によれば、立憲民主党から博報堂に流れたカネが、中原一歩社長の「株式会社社GENAU(ゲナウ)」を経由して、ネットメディア「Choose Life Project」(CLP)に渡った。
週刊新潮』(2022年1月20日号)によれば、こうした「迂回スキーム」を考案したのは事務局トップの秋元雅人と福山哲郎前幹事長。秋元雅人は、市民運動が何より好き。そこで左翼活動家たちがメシを食えるようにと、彼らに会社を作らせ、そこを通じてビラ作りや広報といった党の業務を外注している。
 つまり、立憲民主党のカネで左翼活動家たちを養っているのだ。
 政治資金の原資とは、言うまでもなく我々国民の税金や寄付金である。
 その金が、左翼活動家の給料となっているのである。
「迂回スキーム」の何が問題か。政治資金収支報告書には、政党が直接支出した相手と金額しか記載されない。したがって、平成29年以降、立民から博報堂に10億円超が支出されていることは確認できるが、そこから先のカネの流れはわからない。
 これは世間にばれずにメディア工作をしたい政党にとっても都合がいいし、カネを受け取って宣伝するタレント文化人にとっても都合がいい。
 令和2年度の収支報告書によれば、『日本会議の研究』で知られる菅野完の会社「株式会社コーポレーション」は立民から、750万円以上のカネをもらっている。また、江川紹子有田芳生辻元清美からお車代をもらっていることも、収支報告書の記載から確認できる。上杉隆にいたっては、小沢一郎木内孝胤牧義夫前原誠司の収支報告書に記載がある。
 このようにジャーナリストとしては、特定の政治家から金をもらっていることを世間に知られるのはまずいわけで、そのために博報堂などの広告代理店を間に、かませるわけだ。

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立憲民主党渋谷系隠し砦の三悪人

 日本共産党は、かつて「代々木派」「代々木系」などと呼ばれていた。党本部の最寄り駅が代々木駅だからだ。立憲民主党の党本部は渋谷とは関係ないが、なぜか息のかかった会社が渋谷に集まっている。商業登記簿からそれを見ていこう。

「株式会社GENAU(ゲナウ)」
 2018年1月29日に「合同会社GENAU」として設立された。2020年4月8日に、東京都渋谷区恵比寿3丁目に所在地の変更があり、2021年4月1日に、株式会社への組織変更が行われる。
 中原一歩が、本名の中原大弐名義で代表取締役を務める。取締役は映像作家の石崎俊一。

合同会社GENAU」
 設立時の代表社員は中原大弐、業務執行社員として石崎俊一、「哲学女子」の田代怜奈。
 合同会社とは、出資者と経営者がイコールで、出資したすべての社員に会社の決定権がある。したがって石崎俊一と田代怜奈は、たんなる従業員だったというのではなく、中原大弐と同じく、出資して経営にも関わっていたということだ。

「株式会社FRAGEN(フラーゲン)」
 田代怜奈は、2020年10月31日に合同会社GENAUを退社。2020年11月02日に、「株式会社FRAGEN(フラーゲン)」を設立。その本店所在地は渋谷区恵比寿3丁目で、「株式会社GENAU(ゲナウ)」と同じ住所である。
 立憲民主党からCLPへの資金提供が発覚後、所在地を恵比寿2丁目に変更している。

「株式会社CLP(Choose Life Project)」
 代表取締役は佐治洋で、取締役は工藤剛史。本店所在地は恵比寿2丁目で、田代怜奈の「株式会社FRAGEN(フラーゲン)」とわずか1.8キロしか離れていない。
 代表取締役の佐治洋の住所と、「株式会社GENAU」代表取締役の中原大弐の住所は同じである。CLP問題の発覚後、二人そろって住所を変更している。

「一般社団法人 GO VOTE JAPAN」
 田代怜奈が発起人の団体である。特定の政党や主義主張にかかわらず、広く投票行動を呼びかけ、投票率を上げることを目標に掲げている。所在地は渋谷区桜丘町。
 代表理事は、元・博報堂の牧野圭太と、クリエイティブディレクターの辻愛沙子である。
 政治資金収支報告書によれば、立憲民主党は平成29年以降、博報堂に10億円超ものカネを流している。

DOMMUNE株式会社」
 代表取締役宇川直宏。本店所在地は渋谷PARCO。旧商号は「株式会社マムンダッドプロダクションズ」。

ロックとサブカルの聖地「ロフト」コネクション 平野悠、ウエノヨシノリ、石崎俊一

合同会社GENAU(ゲナウ)」を中原大弐、田代怜奈と共に設立し、いまも「株式会社GENAU」取締役を務める石崎俊一とは、何者であろうか。

 2011年には、ライブハウス「新宿ロフト」や「新宿ロフトプラスワン」の運営会社として知られる株式会社ロフトプロジェクトに勤務していた。映像班に所属し「じゃむお」というニックネームで呼ばれるその姿は、ロフトが制作したいくつかの映像作品中に見ることができる。
 ロフトラジオ第8回「3.11 東北大震災 ーその時ロフトはどう動いたか?ー」(YouTube)に平野悠、ウエノヨシノリ、石崎俊一が出演している。
 それによれば、下北沢駅周辺における再開発の見直しを求めていた市民運動団体「Save the 下北沢」において、平野悠と石崎俊一が出会い、それがきっかけで石崎はロフトで働くことになった。
 平野悠はロフトプロジェクトの代表取締役であり、公式サイトの経歴によれば「大学時代はご多分に漏れず新左翼運動にはまり、大学をやめて郵政省に入省し、新左翼系労働運動に従事。逮捕歴3回。70年逃走、そして自立」とのことである。
 平野悠はピースボートの世界一周クルーズにも参加し、そこで当時クルーズ・ディレクターをしていた上野祥法(ウエノヨシノリ)と知り合い、上野もロフトで働くことになる。
 そして勤め始めたその年に、東日本大震災が起こり、石崎俊一とウエノヨシノリはボランティアとして被災地の石巻に向かう。


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ピースボートの「石巻だよ!全員集合」浜田敬子、藤井誠二森達也、森健

 なぜ石巻かというと、この地がピースボートのボランティアを受け入れていたからだ。ピースボート共同代表(当時)の山本隆が中心となって石巻でボランティアを始め、震災から一月後の4月19日に一般社団法人「ピースボート災害ボランティアセンター」を設立している。
 この時期、ピースボートはそれまでの政治色の強い団体からのイメージ転換を図ろうとしていた。古市憲寿が『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書 2010年)で指摘したように、商売のためには政治性を消した方が有利だからだ。

 それで東日本大震災を機に、ボランティア団体という面をアピールし始める。もちろんボランティア参加者たちに、被災者の役に立ちたいという純粋な思いがあったことは疑えないが、巨額の復興資金を詐取して逮捕された男がいたように、ものごとには裏がある。
 そして、元ピースボート共同代表という経歴を隠して、ノンフィクション作家に転身した中原一歩もまた、雑誌『AERA』の派遣記者として石巻で取材を始める。中原一歩を起用したのは副編集長(当時)の浜田敬子である。
 辻元清美と親しい浜田敬子は、最近でも自分がエグゼクティブ・アドバイザーを務める「ビジネスインサイダー・ジャパン」に、中原一歩のインタビュー記事を掲載している。
 中原一歩が石巻で取材した成果をまとめたのが『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)である。その「あとがき」には、次のような謝辞が述べられている。

 この本の執筆に当たっては本当に多くの人にお世話になった。
 中でも、ほぼ「密着」状態で取材をさせていただいたピースボートの山本隆さん、石巻災害復興支援協議会の伊藤秀樹さん。「石巻モデル」に参加されている多くのNGОやボランティア、行政、大学関係者の皆様には心から感謝を申し上げる。

AERA』副編集長の浜田敬子さん、朝日新書編集長の首藤由之さん、担当編集者である福場昭弘さん、数多くの写真をお貸しいただいたフォトグラファーの上野祥法さんにも合わせて感謝を申し述べたい。
(P203-204)

 中原一歩と山本隆はピースボートの同僚であり、密着取材した伊藤秀樹は復興資金を詐取して逮捕され実刑判決を受けた。そんな本が今も訂正もされず売られている。浜田敬子、首藤由之、福場昭弘には、中原一歩をノンフィクション作家として世に出した責任がある。
 そしてボランティアに参加していたウエノヨシノリが、「フォトグラファーの上野祥法」としてここに登場する。元ピースボートのクルーズ・ディレクターをしていたウエノヨシノリもまた中原一歩の友人である。
 中原一歩の『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』はピースボートのサイトで宣伝され、 上野祥法もこれを称賛する書評を書いている。ようするに、ピースボートのPR本である。ジャーナリストの藤井誠二森達也も森健も、中原一歩の経歴詐称を知っていながら黙っていた。
 これが成功体験となり、中原一歩のメディア工作はここから快進撃を始める。

(中原一歩研究2に続く)

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