小山田圭吾と村上清と根本敬

目次

「絶対に押すなよ!」が「押してくれ!」になる理由

 ダチョウ俱楽部の上島竜兵が「絶対に押すなよ!」と言えば、「押してくれ!」という意味である。
 教師が頭の悪い生徒に向かって「バカ」と言うのと、愛し合っているカップルの女性が彼氏に向かって「バカ」というのでは、同じ「バカ」でもぜんぜん意味が違う。
 このように文脈を知らなければ、言葉の本当の意味を理解することはできない。

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 根本敬を知らない者に、「村上清のいじめ紀行」の本当の悪質さはわからない。
『クイック・ジャパン』第3号に掲載された「村上清のいじめ紀行」が、根本敬から強い影響を受けていることは、当時を知る読者にとっては常識だった。しかし、その常識が共有されなくなり、こべにのようなニワカのこたつライターが、自分勝手に都合の良い解釈をすることがまかり通っている。id:kobeni_08
 タッチアップの意味も知らない者が、得意げに野球の解説をしているようなものだ。

「お前は黙ってろ!!」

 これは、根本敬『人生解毒波止場』のあとがきに書かれた言葉である。「でも、やるんだよ!」と共に、「根本敬ワールド」を象徴する言葉だ。これさえ知らずに「村上清のいじめ紀行」を語っているやつら全員に、改めてこの言葉を捧げたい。

「お前は黙ってろ!!」

「いい顔のオヤジ」とはどういう意味か

「村上清のいじめ紀行」の本文には、はっきりと根本敬への言及がある。つまり、村上清と小山田圭吾は、「根本敬ワールド」を共有しているということだ。
 村上清が「いじめられっ子」の消息を取材し、村田さんが現在、パチンコ屋の住み込み店員をやっていると知らされた小山田圭吾は、こう答えている。

「でもパチンコ屋の店員って、すっげー合ってるような気がするな。いわゆる……根本(敬)さんで言う『いい顔のオヤジ』みたいなのに絶対なるタイプって言うかさ」
(P68)

 本文の欄外には注記があり、「根本敬特殊漫画家」というものと、「いい顔のオヤジ」には、「例えば、山谷・寿町・西成などにいる、昼間から酒を呑んでる男の人などを指す。詳しくは根本敬著『因果鉄道の夜』KKベストセラーズ刊」とある。
 この注記だけでも、これがホームレスや日雇い労働者を侮蔑した言葉だというのがわかる。かつては浮浪者を「レゲエのおじさん」と呼んでいたことがあった。それの根本敬ワールドによる言い換えが、「いい顔のオヤジ」である。
 小山田圭吾は、村田さんのことを、ホームレスみたいなのに絶対なるタイプだと侮蔑しているのだ。

 根本敬とは『ガロ』出身の漫画家である。デビュー十年目のインタビュー「コミック雑誌はいらない」(1991年6月22日収録)では、次のように語っている。

 そこら辺のヘラヘラした若者を一万人描くまでもなく、土方のジジィ一人を描けば、自ずと俺の思ってる「ワールド」だとか「宇宙」というものが語り尽くされてる(笑)。

 で、この本は一応デビュー十周年記念となっているけど、十年のうちに「ガロ」は同人誌だから別にして、所謂コミック雑誌に載ったのは五回だけ!(笑)

 でもなんだかんだ言って、今の自分は日本の漫画界で一番好きに出来る位置にあると思いますけどね。他の人だったら許されないけど、こいつじゃあキチガイだから仕様がない、って。

 音楽で例えると一般の漫画家は歌謡曲。プロデューサーがいて、ちゃんとしたホールでコンサートして、TVに出たり、宣伝してとかさ。明解だし。最近はニューミュージックも盛んだけど。で、ガロの漫画というのはフォーク。皆生ギター一本で弾き語りしているのに近いよね。狭いライブハウスで三人位の客の前で演ってるような世界だからね(笑)。
(引用元「コミック雑誌はいらない」『豚小屋発犬小屋行き』青林堂・所収)

 この時点で、根本敬はマイナーな「特殊漫画家」だった。しかし、1993年にKKベストセラーズから出版した『因果鉄道の旅』がヒットし、悪趣味系サブカルチャーを代表する作家となる。その功罪は別項にて考察するが、「いい顔のオヤジ」が何を意味するか、もうおわかりだろう。

『因果鉄道の旅』では「街で出会った素敵なオトコ」と呼ばれ、『人生解毒波止場』(洋泉社)では「ドヤで出会ったブルースマン達」として掲載されている。

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「いい話」の本当の意味

 根本敬が「いい話」を、文字通りの「Good story」として使うわけがない。根本敬ワールドにおける「いい話」とは、次のような意味である。 

 仲山君から電話でイイ話の報告有。
 近所に住むダウン症の女子高生(ぐらいの年)が近ごろ真っ赤なボディコンを着用で歩いているとの事。何ンでも娘を不憫に思う両親が、「せめて服装だけでも同世代の子と同じ流行の格好をさせてやりたい」との親心から、娘のためにボディコンを購入したとの話である。
 イイ話だ。
(『人生解毒波止場』P274 太字強調原文ママ

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 相模大野という所で港さん出演の映画の撮影があるというので見に行く。合い間に港さんがイイ話を沢山して下さった。たとえばこんな話。
「俺はオマンコ嘗めんのが好きで、よく嘗めるんだけど、あんまり奥まで嘗めると、あれって酸が出るだろ、だから歯がダメになるし、胃もやられちゃうんだよ。だから本格的に嘗める時は太田胃散やパンシロン飲んでから嘗めるんだよ」
(『人生解毒波止場』P257太字強調原文ママ

 船橋幻の名盤解放同盟員)と夜遅く246沿いのファミリーレストランで内田(因果者の王者『因果鉄道の旅』参照)の悪口を言っていたら、隣のテーブルのイイ顔(イモ掘り系)が、何やら息巻いているので耳を貸したところイイ話が聞けた
「俺の親父ってのは台風の時でも、他所ん家の屋根が飛んだっていやァ、どんなに危険でも真っ先に駆けつけたよ。親父はそういう奴だった。それに引きかえ、確かに俺は不甲斐ない男かもしれない。でもよ、俺には親父から受け継いだやさしさがある!」
 うん。なかなか良いセリフだ。聞き手は姉ちゃんだったので、案外口説いてたのかも。
(『人生解毒波止場』P190 太字強調原文ママ

 ちょっといい話
 イトマン事件の許永中が、某業界紙に腹の立つことを書いたフリーライターに怒りの電話をした時、こう云った。
「おまえ、書いてええ事と悪いことがあるやろ。解っとんのか!? 電話線伝わって今からお前ンとこ行ったろかァ!」
(『因果鉄道の旅』P319)

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月刊カドカワ』(1995年12月号)のインタビューで、小山田圭吾根本敬の『因果鉄道の夜』をすごい好きな本だと語っている。
(引用元「『でも、やるんだよ』魂で、ぶっとばせ!」『月刊カドカワ』(1995年12月号))

 そうだね。ちゃんと説明しないとね。
「でも、やるんだよ」っていうのは、特殊漫画家と呼ばれてる根本敬さんのすごい好きな本があって。『因果鉄道の夜』っていうんですけど。説明が難しいんだけどね、自分だけの基準で生きてる人たちのことを、根本さんが深く観測して書いてんの。でも、みんなから見たらただの奇人変人でしょ。でも、「でも、やるんだよ」ってところでしか生きていけないっていうか。そのコアな人たちは自意識がほとんどない(笑)から、そういうことは考えてないと思うんだけど、それを見ている根本さんは「でも、やるんだよ」って言葉で、自分に気合を入れてるわけ。
(P20-22)

「村上清のいじめ紀行」の中で、村上清と小山田圭吾は、「根本敬ワールド」を共有したうえで会話をしている。
したがって、小山田圭吾が語っている「いい話」というのも、あきらかに皮肉なのだ。

「沢田はね、あと、何だろう……”沢田、ちょっといい話”は結構あるんですけど……超鼻詰まってんですよ。小学校の時は垂れ放題で、中学の時も垂れ放題で、高校の時からポケットティッシュを持ち歩くようになって。
 進化して、鼻ふいたりするようになって(笑)、『おっ、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。
 ちょっといい話でしょ? しかも、ちゃんとビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、『首に掛けとけ』って言って、箱に沢田って書いておきましたよ(笑)。それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。それで五・六時間目まで持つようになった。かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって」
(所収「クイック・ジャパン」第3号P60 太字強調筆者)

「卒業式の日に、一応沢田にはサヨナラの挨拶はしたんですけどね、個人的に(笑)。そんな別に沢田にサヨナラの挨拶をする奴なんていないんだけどさ。僕は一応付き合いが長かったから、『おまえ、どうすんの?』とか言ったらなんか『ボランティアをやりたい』とか言ってて(笑)。『おまえ、ボランティアされる側だろ』とか言って(笑)。でも『なりたい』とか言って。『へー』とかって言ってたんだけど。高校生の時に、いい話なんですけど。でも、やってないんですねえ」
(同書P71 太字強調筆者)

 こべにを始めとして、根本敬ワールドを知らない者たちが、これを文字通りハートウォーミングな「いい話」だと思い込み、心温まるエピソードとして紹介し、Twitterで拡散しているのを見ると、笑うしかない。id:kobeni_08
「元記事を読めば印象が変わる」という人たちの解釈は、あきらかにまちがっている。
 これは皮肉である。相手を侮蔑し、見くだしているのだ。

 村上清は、太田出版のサイトに掲載した謝罪文の中で、「皮肉と反語を掛け合わせたような意識、記述形態なのですが、読む側にしてみれば意味不明」などと、意味不明のことを述べている。
 そうではない。これは「根本敬ワールド」なのである。根本敬の真似である。
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ドブスを守る会

 2010年に、首都大学東京の学生たちが、道行く女性たちに「ドブス写真集を作っているんです」「ブサイクなんでぴったりです」などと声をかけて無断で撮影し、その動画をyoutubeで公開し、退学処分となった。
 彼らは制作した動画で、次のような説明をしていた。

今日の日本においては、ドブスが絶滅の危機に瀕している。
情報化の進展により、化粧や洋服や髪形の流行を追いかけることが容易になり、果ては整形技術のおかげで、女性が最低限の見栄えを繕うことが可能になったからだ。
ドブスの絶滅を危惧した我々は「ドブスを守る会」を組織し、ドブスを守る為の活動の第一歩として、わが国から消えゆくドブスの姿を収めた写真集を作り始めた。
これは、写真集完成までの道程を記録した映像シリーズである。
企画 ドブスを守る会

 この学生たちは大学側の調査に、「不道徳なものから生じるおかしみを追求することで、何らかの表現ができると思った」と答えている。
 この学生たちが、根本敬の読者であったかは不明だが、悪趣味系カルチャーの影響は受けている。
 村上清の「皮肉と反語」という弁明と、この学生たちの弁明は共通している。
 悪趣味系とは、「不道徳なものから生じるおかしみ」を面白がるものなのだ。

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根本敬の語り口を真似した小山田圭吾

 根本敬は大学時代に内田という男と出会い、この男についての調査や取材を始める。友人たちと「内田研究会」を作り、「内田が留守の間に下宿に忍び込んで写真撮って、手紙とか高校の時の調査書とか全部コピーして」、4冊の機関紙まで作成するという徹底ぶりだった。(引用元 前掲「コミック雑誌はいらない」)
 内田とは、どういう男だったのか。根本敬は次のように語っている。 

 そいつが食堂をやってる二回り以上年上の軽度だけど身障者手帳持ってる未亡人のおばあさんとデキちゃってさ(笑)。とにかくこの内田という男は悪魔みたいな奴で、体の不自由なババァを暴力とセックスで支配するようになるの、それで食堂もコイツが潰すんだよ(笑)。
 で、ある日ババァが夜逃げするんだよ、それを内田がしつこく追うんだけどね。内田のお蔭で夫に死なれてからの十余年間コツコツと貯めた財産スッカラカンにしたババァの、最期の頼みの福祉の金にもたかってさ、骨までしゃぶりつくしてさ、この男。
 あと、一度ババァ妊娠して、こいつが腹蹴って流産させてババァ殺しかけたり。ババァ蒸発すりゃ、今度は事情のある妊婦かどわかしてそいつの家庭メチャクチャにしたり、って本当にすごい奴でしたよ。

 こいつそのうち絶対人殺しとかすると思うんだよ(笑)。それでこいつが捕まったら、この本まとめて出版しようと思うんだよ。俺その機会窺ってるの(笑)。
(引用元「コミック雑誌はいらない」『豚小屋発犬小屋行き』青林堂・所収) 

 その調査が「内田研究とビックバン」としてまとめられて、『因果鉄道の旅』に収録され刊行される。同書の特徴は、根本敬への聞き書きスタイルを取っていることである。前掲のインタビューでもわかるが、根本敬の語り口には、諦念や自虐といったニュアンスがあり、たしかに語られている内容はひどいのだが、その語り口のせいである種のエンターテイメントになっている部分もある。
 そして小山田圭吾は、この根本敬の語り口を真似たのだ。露悪的なキャラクターを演出しようとして、根本敬のようにしゃべるようになったのだ。
 したがって、小山田圭吾のインタビューを読み、その口調が自虐的だからいじめを自慢しているのではない、という外山恒一やこべにの解釈は、根本からまちがっている。自虐的で無邪気なのは、根本敬である。小山田圭吾はそれをコピーしただけだ。

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 フリッパーズ・ギターの「全ての言葉はさよなら」を聴いておしゃれな曲だと評するのは勝手だが、元ネタのザ・ヒットパレードの「You Didn't Love Me Then」がおしゃれなのだ。

 村上清は謝罪文で、「現場での小山田さんの語り口は、自慢や武勇伝などとは程遠いものでした」と述べているが、これも同様で、村上清と小山田の間に、根本敬の語り口を真似しているという共通認識があったからこそ、そう思えたのだ。


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「村上清のいじめ紀行」の元ネタは「内田研究とビックバン」

 根本敬の「内田研究とビックバン」を読み進めると、随所に「村上清のいじめ紀行」との類似性に気が付く。それは、村上清と小山田圭吾が事前に、「内田研究とビックバン」みたいな記事にしましょう、と打ち合わせしていないとこうは似ないと思われるレベルである。
 根本敬は内田との出会いを次のように書いている。

 それで、夏休みが終わって、その年の11月位に俺と内田は初めて会うんだよ。同級生なのに両方とも学校来ないから。因に俺と船橋が初めて会ったのは、1学期の最後の授業の時でした。割とクラスの奴らっていうのは、ちゃんとしたマジメな奴が多かったんですよ。だからちょっと溶け込めなかったんだけど、船橋と内田はいい加減だってんで、何かそういう劣等生同士引き合うところがあって、まあ、仲良くなるわけなんだけど。
(引用元「内田研究とビックバン」所収『因果鉄道の旅』P33)

 これは小山田圭吾と沢田君の高校時代の再会とそっくりである。中学時代に沢田君とクラスが離れていた小山田は、高校でまた一緒のクラスになり、席も隣になる。「お互いアウトサイダーなんだ(笑)」という村上清の問いに、小山田はこう応えている。

「そう、あらゆる意味で(笑)。二、三人ぐらいしか仲いい奴とかいなくて、席隣りだからさ、結構また、仲良くなっちゃって……仲良くって言ったらアレなんだけど(笑)、俺、ファンだからさ、色々聞いたりするようになったんだけど」
(引用元「村上清のいじめ紀行」P58)

 これが事実なのかどうかは、どうでもいい。重要なのは、小山田圭吾が取材時において、過去の経験をこのようにとらえなおして語っていることである。根本敬に強く感化されたされたことで、自分の過去の記憶を作り直し、再構成しているのである。
 根本敬が内田について語ったように、小山田は沢田君について語っているのだ。例えば沢田君が、透明な下敷きに石川さゆりの写真を入れていたというエピソード。相手の趣味を揶揄するこうした見方も、内田が石野真子のファンだったと話す根本敬の語り口とそっくりである。

「内田研究とビックバン」では、内田と「きよみ」とのなれそめが次のように書かれている。(伏字は筆者)

 でまあ内田は、アイプロモーションも2、3回で辞めるんだけど、その頃から「●●食堂」っていう食堂に通い出すの。千石にあるんですけど。まあ要するに汚い大衆食堂ですよ。で、それは●●きよみっていう、内田の母親より年上で、内田より25歳以上年上の、当時で40代中ぐらいかな。いつもモンペ履いてる、全くセックスアピールとは無縁な、ただの大衆食堂のババアですよ。
 それで、当時小学校5年生と、中学1年生の娘がいて、夫はその8年前に死に別れて。で、女手ひとつで食堂を切り盛りしてるの。
 きよみさんってのは、リウマチなんですよ。で、リウマチも重いとさ、手や足の関節が湾曲しちゃうんだけど、きよみさんも両手がねじれちゃって、不自由なんですよ、ちょっと。でもやっぱり、ちょっとプライドもあってさ、一応身障者手帳は貰わないで、一人で一所懸命、食堂をやりながら、地道に子供を育てて、娘を短大にやるための貯金もして。まァ、地味だけどそれなりに幸福ではあったと思う、その頃は。
 で、そこの内田はよく行くようになったんですよ。
(「内田研究とビックバン」P34)

 食堂に入り浸るようになった内田(大学2年生)は、最初、中学2年生の娘の方と付き合い始める。ところが、「こいつはおかしいって気付いたのか」娘の方が内田を振る。すると内田は、今度は小学5年生の下の娘にも取り入ろうとする。
 だが、下の娘をどうにかしようというのではなく、内田の目的はその母親のきよみさんだった。
 そして内田はきよみさんと次第に親密になり、やがて「暴力とセックスで支配」するようになる。ここからは、露悪的なエピソードが延々と続く。

 で、完全に食堂の中に、自分の巣を作っちゃうわけ。下宿にも殆ど帰らないで。で、一方、暴力はどんどん酷くなるんですよね。殴る、蹴るはもちろん、髪の毛を引っ張って引きずりまわしたり、一度、きよみはあばらを蹴られて折れた事もある。で、当時内田が、体重が70キロぐらいあって、きよみが36キロ。しかも、身長140センチ台でさ。内田が166センチぐらい。手加減しないで、本気でバカバカ殴るからね。そしていつしか、きよみは内田のアメとムチ、アメがSEXでムチが暴力、それでいわるゆる「トリコじかけの明け暮れ」になるわけですよ。
(「内田研究とビックバン」P66)

 それでね、その頃って、きよみにもまだ月のものがあって、妊娠した事があるんですよ。当時46、47歳で、まだあがっちゃいないですよね。でも内田の暴力が激しいんで、それは妊娠に気づいた直後だったんだけど、便所で流れちゃったんですよ。まあ、流れてよかったんだろうけど。
(同書P61)

 で、内田がなんでそんなわざわざ汚い食堂の、ちっちゃな体の不自由な、母親より年上の子持ちのババアに、SEXと暴力を使ってまで、悪魔の様に取りつくかっていう、これが問題ですよね。内田っていうのは常に根底に、他人より優位に立ちたい、あるいは、支配したいといった類の欲求をもの凄く強く持っているわけですよ。しかし、その欲求を、自分が強くなることで満たそうといった、建設的な人間じゃないんですよ。欲求は強いんだけど、できるだけ楽に満たしたいって思うわけ。
(同書P62)

 内田は、きよみさんが8年間こつこつ貯めていた貯金を全部吸い取り、積み立てていた子供達のお年玉も全部使いきる。20万円の上等なステレオを買い、ジーパンを買い、デパート巡りをし、飲食費、遊び代に浪費する。
 内田のせいで食堂は潰れてしまい、きよみ一家は夜逃げする。
 きよみさんは群馬の実家に戻ろうとするのだが、内田がぶん殴って、上池袋にアパートを借りさせる。敷金礼金もきよみさんが自分のお金で払って、「要するに、きよみは自分の金で内田に囲われてしまったんですね」。

 で、その頃のきよみの収入ですが、隣のクリーニング屋のババアが目が不自由で、それに色々教えてもらって、福祉の方に申請して、まあランク的には一番軽いんだろうけど、一応身体障害者ってことで、障害者年金と母子年金みたいなのを貰う様になるんですよ。で、それを受け取りに行く時やっぱり内田がついていって、電信柱かどっかの陰で待っててさ、「いくら入った」って。で、それでまたどっかホテルに入ったり、内田の服買ったり。
 でもその池袋のアパートに囲われてたのって1週間しかないの。子供達も結局、あと1学期も2週間って時に転校させられて、なのに、上池袋に越してもすぐまた転校するわけですよ、内田から逃げるために夜逃げしたから。
 このままじゃ殺されるってんで。だから、子供達は結局5日間しか学校にいなかったの。月曜日に転校してきて、金曜日にはいなくなっちゃったの。
(同書P64)

沢田君の年賀状の元ネタは「きよみの手紙」

 きよみさんに逃げられた内田は、根本敬の友人の船橋のもとに電話を掛けてくる。そして、きよみさんとの関係をノロケを交えて、話し出すのだった。

「でも、最初に誘ったのはアイツなんだ。オレたちゃもう、毎日やってたぞ。オレ今まで一人の女と1000回以上やったの初めてだよ」
 とかさ。それできよみとの関係のエロ話になって、きよみが陰部を顔に押しつけて来たとかさ、終わったあとなめて掃除してくれるとかさ。エゲツないんだけど、内田にしてみると、それはノロケなわけ。で、今までノロケてたかと思うと、今度は「散々世話になっておいて、この俺を裏切るなんて許せない」って云って怒り出すの。恨みつらみとノロケ、交互にくるくるくるくる来るわけ。
 今まで「いやあ、カウンターの中でもバックでやったぜ」って云ってニヤケてたら、急に泣き出すわけ「オレたちは愛し合ってたのに」ってさ。
(同書P64)

 で、内田はそれから一時期熊本の実家に帰るんですけど、その時、家族にみんな喋ったんですよ、きよみとの関係を。そんなこと云えないよね、普通。もちろん全部自分に都合よく、殴ってたとか自分に不都合なことはひと言も言わないけど、「オレたちゃいい仲だったんだ。あんな可愛い女はいなかったぜ」そういってたの、両親と妹達に。
 それはいいとして、きよみが内田から姿を消して4日後に来たのがこの手紙ですね」
(同書P71)

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 内田が今までの人生の中で一番がんばったのが、きよみに逃げられてからきよみを追っかけ廻してた9月から12月までの間の時期なんですけど。でも、そうはいっても、もともとこういった愛情がどうのこうのっていう奴じゃあないですからね。まあだいたい、10月から11月になってくると、だんだんきよみを追っかけるのにも飽きてくるんですよ。
 その頃に、きよみの方からこの手紙が来るわけですよ。「前略、元気なご様子なによりですね」ってやつ。
(同書P104)

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「内田研究とビックバン」では、このように露悪的なエピソードを並べた後に、きよみさんの手紙を掲載している。
「村上清のいじめ紀行」がこの構成を真似たのは明らかである。内田ときよみさんの関係を、小山田と沢田君に置き換えているのだ。きよみさんの手紙の代わりに、沢田君の年賀状を使ったのだ。
 村上清は謝罪文で、こう述べている。

 また原文記事の最終頁に小山田さんの同級生だったSさん(仮名)の年賀状が掲載されていますが、これも当初から「晒して馬鹿にする」という意図は全くなく、元記事全文の様々な文脈を経て終盤で語られる、Sさんと小山田さんの間にあった不思議な交流、友情の挿話に即して掲載されたものです。

 北尾修一も同様のことを述べているが、こんなものは保身のための釈明に過ぎない。これだけ根本敬の影響を受けながら、彼らは根本敬に一切言及しないのである。うかつに根本敬に触れたら、差別を認めたことになるからだ。

 落語には差別的な噺も多いが、立川談志はそれを「人間の業の肯定である」とした。呉智英は封建主義者という立場から、民主主義の平等思想や人権イデオロギー(人権真理教)を批判し、「差別もある明るい社会」ということを唱えた。
 根本敬にはそうした思想的背景はないものの、表現者の矜持として「差別なぜ悪い」くらいは思っているはずだ。
 根本敬の本はいずれも差別的である。だがそれは、「狭いライブハウスで三人位の客の前で演ってるような世界」では、ギリギリ許容されていた。
 おそらく根本敬は、自分の作品が社会にどんな悪影響を及ぼそうとも、それについて何とも思わないし、何の責任も感じないだろう。根本敬は自分の表現をひたすら追求してきただけだ。たとえ世間から何と言われようとも。
 そうした表現者の是非は、また別の問題である。

「村上清のいじめ紀行」は、「内田研究とビックバン」の上っ面だけを模倣した、まぎれもない差別記事である。
 ロマン優光が指弾するように、「頭おかしすぎなんですよ」「何もわかってなかったんだと思います」ということである。

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『花のよたろう』ではなく『天然』

 これだけ根本敬の影響がはっきりしているのに、赤田祐一が謝罪文で言及したのは、ジョージ秋山の『花のよたろう』である。小山田圭吾と沢田君は、よたろうとタア坊のように友情で結ばれていたというのである。
 ジョージ秋山には『銭ゲバ』『アシュラ』といった問題作はあるものの、メジャーな商業誌で活躍してきた漫画家だけあって、その作品は良識の枠内に収まるものだ。しかし根本敬アウトサイダーである。針が振り切れている。そのリスクも考えずに商業誌で真似して、大やけどを負ったのだ。

 根本敬は、内田ときよみさんの間に愛情があったなどとは書かない。内田のきよみさんへの想いがどうであれ、「暴力とセックスで支配」していたのだ。障害者への虐待である。
 根本敬の漫画作品の原点は、「内田研究」である。いじめ、いじめられる関係。そこには友情もなければ、救いもない。村田藤吉というキャラはいつもいじめられる。反撃も復讐もしない。相手を恨みもしない。吉田佐吉といういじめキャラから、ひたすら虐待されるだけ。
 赤田祐一が釈明に使った『花のよたろう』のようなヒューマニズムとは対極にある世界だ。

「村上清のいじめ紀行」で、小山田圭吾が沢田君について述べるくだりがある。
(引用元『クイック・ジャパン』第3号P70)

―――”演技だった”っていう噂も、流れておかしくない……。
「『ああ~、疲れた』とか言ってね(笑)。『やっと帰ったわ』とか言って、シャキーンとかして(笑)。そうかもしれないって思わせる何かを持ってたしね。それで、たまに飽きてきた頃にさ、なんかこう一個エピソードを残してくれるっていうかさ。石川さゆりの写真とか入れて来たりだとかさ。そんなの普通『ギャグじゃん』とか思うじゃん? その人選からしてなんか、ねえ」
―――天然……。
「天然……。ホント『天然』って感じの」

 村上清が「天然」と言い、小山田圭吾が『天然』と受ける。この『天然』もまた根本敬の漫画作品である。
 東北の貧しい小作人の家に生まれた村田藤吉は、周囲からからひたすらいじめられ、抵抗することなく虐げられ、報われない人生を送る。きよみさんのように。
「村上清のいじめ紀行」に登場する村田さん(仮名)の名前は、あきらかにこのキャラから取られている。悪趣味なネーミングである。「いじめられてた人のその後には、救いが無かった」(P71)と書いた村上清もまた、『花のよたろう』ではなく『天然』を意識している。

 村田さんが親の財布から一五万円盗んできて、それを知った級友たちにたかられて、いろんなもん買わされて三日間だけ人気があった、と小山田が語るエピソードがある。

 これに似たエピソードが、根本敬の漫画『村田藤吉学級日誌 学ぶ』(河出書房新社)にある。
 主人公の村田君が学校にウルトラQのノートを持っていくと、それを級友たちがうらやみ、人気者になる。しかし皆が同じノートを買ったので、一日だけの英雄で終わる。そして翌日から、いじめられる、というものだ。
 小山田圭吾はこのように、根本敬の作品から得たインスピレーションを基に、自分の経験を再構成して語っている。

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片岡大右ちょっといい話

 片岡大右っていう47歳の非常勤講師がいるんだけどさあ、こべにの仲間で(笑)。
 こいつがTwitterで何か月も俺にしつこく粘着してて、的外れなことばっかり書いてんの(笑)。1353人のフォロワー相手に(笑)。それを913人しかフォロワーのいない高村夏輝が「いいね」とかリツイートして、それを149人しかフォロワーのいない「はっぴーりたーん♪」っていう雑魚がリツイートしてんの(笑)。それ、ぜんぜん拡散されねえじゃんって世界で(笑)。収束してんじゃん、小さくなってるじゃん(笑)。かわいそうなんで、もう俺が自分で拡散してやるよって、いい話でしょ?
 俺は、弱い者いじめしないってのがモットーだからさ、応援したいわけよ。ファンだからさ。片岡大右は東大卒で博士号まで持ってるから世間的には弱者ではないんだけど、まあ、非常勤講師だから(笑)。もう無理だとは思うけど、本人もあきらめて芸能ライターにでもなろうとしているのかもしんねーけど、最期まで夢をあきらめないで、早く専任になれたらいいですね、とかさ(笑)。これがきっかけで雑文の依頼でも来ればいいですね、とかさ(笑)。

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「知恵遅れ」は差別用語である

 片岡大右は、小山田圭吾が使った「知恵遅れ」という言葉を、和光小学校の保護者が書いた手記にも使われているから差別ではないと擁護するのである。
 まったく文脈が読めていないどころか、反証としても意味をなさない。親が我が子を「知恵遅れ」と言うのと、小山田が同級生を「知恵遅れ」と呼ぶのとでは意味が違う。
 しかしながら、たとえ我が子であろうと「知恵遅れ」などと言うべきではない。このような手記をそのまま刊行する和光小学校の姿勢にも問題がある。
 こべにの仲間はこのように小山田圭吾を擁護しているつもりで、じつは足を引っ張っているのである。


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いかにして障害者を蔑視するようになったか

 小山田圭吾は学生時代、インクルーシブ教育によって障害者と接する機会が多かった。障害者の友人もいたかもしれない。しかし、根本敬の影響で、露悪的で差別的な思想に染まっていき、かつての友人を侮辱し裏切るような発言をするようになった。これが小山田の「社会人デビュー」だったのだろう。

 例えば、根本敬の次のようなエッセイは、やはり差別でしかない。
(引用元「因果航路航海日誌」所収『人生解毒波止場』 初出『ベストカーガイド』連載「根本敬の世界は園遊會だ!」1989~1991 太字強調は原文ママ

 日比谷公園で陽に当たっていたら、目の前を知恵遅れの人達(平均年齢は高い)の団体が通り、釘付けになる。
 何故、自分はあの人たちに魅かれるのだろうかと思い返してみると、子供の頃のひとつの体験が浮かんだ。それは小学校二年生の夏休みであった。両親と弟の四人で伊豆へ旅行に行った。何泊かして、父親は仕事の都合で一日先に帰った。翌日残された三人で帰路に着くのだが電車の空席はないという。母親が弱っていると、駅員が「団体さんの貸し切りなんだけど、席がふたつだけ空いているのでそこでもいいか」というので、それで帰ることになった。で、電車に乗ったらビックリ、我々が乗った車両は、忘れもしない「よこいとグループ」という旗を掲げた、知恵遅れの人達の団体の貸し切りだったのである。
 母親も私も内心こりゃとんでもない車両に乗ってしまったと思ったが、勿論、後の祭り、口にも出せず、大人しく自分たちの席に着くより他なかった。それにしても夏休みの旅行中のことだから、「よこいとグループ」の人達がものすごく高いテンションでお祭り騒ぎの真只中なんだな。それからおよそ二時間だか三時間、小学二年生の私は極度の緊張下に置かれたのは言うまでもなく、母親が買ってくれた小嶋屋のアイスクリームも全然喉を通らなかった。
 が、この時の体験で良きトラウマを得ると共に、知恵遅れの人達のある種の神秘性ともいうべき不思議な魅力にも開眼したのであった。
(同書P191-192)

 川西さんのコンサートへ向かうため京王線に乗る。六十歳ぐらいのお母さんが自分より体の大きい三十代後半知恵遅れの娘を背中に帯で括りつけ、腰を九十度に曲げて担いでいるのを目撃した。
(同書P196)

 看護士Aさんに誘われ、某「学園」の学園祭へ行く。
「学園」とは勿論知恵遅れの人達(それも成人)の施設である。
 行ってまずトイレへ入ったところ、大の方から「もういいの?」というお婆さんの声と「ヴ~ッ」という唸り声のような返事が聞こえた。仕切りカーテンなので隙間から覗くと、50歳くらいの息子の尻を70歳くらいのお母さんが拭いていた。
 とりあえず園生たちの「お絵描き」の展示を見た。どう見ても幼稚園児が描いたとしか思えない絵(女の子や、兎などは方向的には今風の今風のサンリオ系)なのに、貼ってある名前は中島サダとか、鈴木ギンだとか、古臭い。丁度そこに居たサダさんをAさんに紹介して貰ったら、名前通りのお婆さんだった。でも描く絵はカワイイわけ。「お上手ですね」と言うと、サダさんはテレて小ちゃくなった。
(同書P215-216)

 山崎さんは園内でも一、二を争う食い意地の張った人で、時々脱走して、百キロ離れた実家まで、食べ物を求めて歩いて帰るそうだ。
一度気を許すと、『今度帰ったらアレを食べる、コレを食べる』って話を延々続けるんですよ」とAさんは言う。
 その山崎さんと食い意地の一、二を争っているのが、車椅子に乗ってる江川君。江川君は30歳位で、体がでかく、経てば180㎝はありそうだ。常に茶碗にゴハンが入っていないと不安というか、恐怖にかられ、暴れるそうだ。食事以外の時間はずっとGジャンを引きちぎっているので、歯が半分摩耗しているという。
(同書P216)

 さて、校庭で「カラオケのど自慢大会」が始まるというので行ってみた。
 だが、これは園生というより、園生をダシにした先生方の歌合戦であった。
 一応、エントリーされるのは園生で、各々派手なリボン(先生の手による力作)を付けるなどして登場するが、大抵の園生が舞台の上に上がると緊張してか、名前すら言えず、ましてやカラオケが始まっても唄など唄えない。そこでサポート役として園生の脇に立っている担当の先生が、「さァ、○○ちゃん頑張って、先生も一緒に唄うから、ハイ、一、二、三」と応援にかこつけて、実際は先生が一人で唄ってしまうのである。
 そんなのが次から次へと続くのだから、面白い。この方法だったら園生がパイロットや裁判官や医者になることも可能であろう。
 このカラオケのど自慢大会に出席した園生の中から、気になったのが二人いる。
 一人は関根さんという40代後半で小柄だが土方系の頑強な肉体の持ち主。
「コンニチハァ、コンニチハァ、」と威勢よく大声で挨拶。司会の先生に質問されても大声で「ハイッ」と元気に答えていた。質問は他愛ないものだが、何を尋かれても大声で「ハイッ」。多分、大声を出すのが好きなのだろう。
 唄が始まっても大声で「ハイッ、ハイッ、ハイッ」(たまに「ウギャアッ」てのもあった)と言ってるだけで、結局は先生が唄ったのであった。
 関根さんは、お母さんがとても甘やかして育てたので、お母さんに対しては容赦なく、頑強な肉体を駆使しての強烈なパンチや蹴りを見舞うそうだが、それはあくまでお母さんに対してだけで、他の人間には極めて従順な性質で、ちょと威圧的な態度に出れば、即座に「目上」と判断し、素直に言うことをきくという。
 関根さんは他人に精子を出して貰うのが好きで、男女を問わず看護士にかいてくれるよう頼んでくるらしいが、かといって女そのものに興味はないという。
 かくといえば、のど自慢には出なかったが、電車が大好きで、電車の絵本を見ながらセンズリかく園生もいるって話だ。
 で、もう一人がダウン症のあつし君。
 あつし君はまだ21歳とかそこらで、一見可愛いのだが、実はこの学園内で一番頭が切れる。確かに先生がフォローしたとはいえ、最後迄唄えた(とはいえ、歌詞は意味不明)のはあつし君一人であった。その辺をあつし君も自覚していて、他の園生を内心見下しているという。
「自分は他の奴らと違う」という事を誇示するために、いつも一番遅く寝るそうだ。あつし君は同じ部屋の男子と出来ていてキスしたり、チンポ握り合ったりしてるそうだが、だからといって男色とは別物であるのは言う迄もない。
 舞台では、のど自慢に続いて劇が始まったがやり方は全くのど自慢と一緒で、実質的には先生方の劇だった。
(同書P216-219)

 仲山兄(「魔性の巨乳」参照)より、「どうしてもお伝えしたいことがありまして!」と電話有。
 何ンでも、仲山君の友人が、千葉県内の某施設で働いており、宿直の晩に仲山君が遊びに行った際、気になる親爺(五十歳位・知恵遅れ)のカルテをそっと見たら、そいつの素性が凄かった。
 まず、知恵遅れのお爺さんと知恵遅れのお婆さんが実の兄妹でありながら、夫婦生活を続け、男二人、女二人の子を儲けた。で、やはり知恵遅れの四人の子がそれぞれカップルを形成し、交わり幾人かの子を儲け、その一人が、そこの施設で会ったその親爺なのであるという。
「いやァ、そういう話って本当にあるんだねぇ」
と、私と仲山君は感心しあった。
(同書P277)

 どうだろう、まるで「村上清のいじめ紀行」を読んでいるみたいではないか。
 小山田圭吾が沢田君について「ファンだった」と語り、「オマエ、バカの世界って、どんな感じなの?」と聞いたというエピソードも、あきらかに根本敬的な観察の仕方である。そして村上清の露悪的な文体も、根本敬の真似である。
「村上清のいじめ紀行」は根本敬マニアによる、根本敬トリビュートアルバムみたいなものだ。

「メンヘラ」と性暴力被害

 香山リカはこうした悪趣味系における人権意識の欠如について、次のように述べている。
(引用元「かつてのサブカル・キッズたちへ~時代は変わった。誤りを認め、謝罪し、おずおずとでも“正論”を語ろう」)

 とはいえ、当時、私たちは大きな前提を忘れていた。それをあえてひとことで言うなら、「人権意識」となるだろうか。
 実は、この「人権意識を忘れていた」というのも正確ではない。たとえば、私がいちばん最初に携わったサブカル誌には、女性を凌辱するようなグラビアや、障害者を笑いものにするような漫画もときどき載っていた。ただ、意外に思われるかもしれないが、当時の編集部には差別、排除の雰囲気はまったくと言ってよいほど感じられず、たとえば私自身、当時は「若い女性」であったのだが、それを理由にハラスメント的な扱いを受けたこともなかった。
 やや言い訳めいて聞こえるかもしれないが、「従来の権威主義的な文化へのカウンター」としてあえてエロティシズムやグロテスクなもの、社会で「タブー」とされていた表現などを取り上げて社会に突きつけたのだ。
 もっとわかりやすく言えば、「本音では女性差別、障害者差別、外国人差別、貧困者差別などの意識があるのに、うわべだけ“差別はやめましょう”、“人間みな平等”などと言う教育者や政治家など“おとなたち”の“化けの皮”をはがして嘲笑したい」というところか。
 ただ、繰り返しになるが、これはあくまで「いま思えば」と現時点からその頃を振り返り、正当化のバイアスをかけた説明でしかないことは、私自身よくわかっている。その証拠に、もし本当にそう主張したいなら「あなたたちの言う“差別はやめましょう”や“人間みな平等”は欺瞞だ」と、はっきりおとなたちを批判すればよかったはずなのに、当時の私や私がかかわっていた媒体ではそうしなかった。そのかわりに、あくまでその人たちを嘲笑するために露悪的な表現をし続けた。相手に向き合って議論し、改心を促したい、などという気はさらさらなかったわけだ。

imidas.jp

 だが、実態はもっとひどかったと雨宮処凛は述べている。
(引用元 90年代サブカルを「消費」していた立場から〜鬼畜ブームが行き着いた果てとしてのヘイト)

 当時、サブカルの世界にしか居場所がなかった私は、引き裂かれるような思いで自分に言い聞かせていた。

 今はこういうのが流行りなんだ。人権無視のAVに眉をひそめる「PTAのおばさん」みたいなのが一番ダサいんだ。ここまでやっちゃうのが「社会派」でリアルでカッコいいんだ、と。

 だけど当時20代前半だった私は、そんなAVでひどい目に遭う女性たちが自分と違うなんてまったく思えなかった。一歩間違えば、自分だってそうなっていたかもしれない、という思いだった。友人のほとんどは風俗で働いていて、勤務中にもプライベートでも性暴力に晒されていた。そんな友人たちと繁華街を歩けば、知らない男が声をかけてきて、「AVに出ないか」なんて言われたりもした。当時の自分自身はキャバクラ嬢で、客に薬を盛られた女の子が数人がかりでホテルに連れ込まれたなんて話もゴロゴロあった。性被害は、すぐ隣にある話だった。

「セクハラ的な言動をされることは日常茶飯事」で、香山リカは当時から売れっ子の有名人だったのでそういう被害から免れていただけだというのだ。

 が、鬼畜系がブームとなる頃には、「“バカなAV女優” “バカな援交女子高生”には人権がないので何をやってもいい」というめちゃくちゃな「掟」みたいなものが成立しており、また、ロフトプラスワンには「サブカル女には何をしてもいい」と思っているような男性が一部、存在していた。

imidas.jp

「従来の権威主義的な文化へのカウンター」として、女性を凌辱したり障害者を笑いものにする「カウンター・カルチャー」が生まれ、それを楽しむひねくれた知性があった。しかしほどなくその社会性は失われ、たんに弱者を凌辱し笑いものにするだけになった。
 精神疾患を抱える女性たちがどれほどの性暴力を受けてきたかは、ロマン優光『90年代サブカルの呪い』(コア新書)「第三章 メンヘラ誕生」にくわしい。それはもうただの差別であり犯罪である。

 吉田豪はそれを「『より鬼畜な方が偉い』的な価値観がまん延していた」と語る。
(引用元「ライター井島ちづるさんから見る90年代の鬼畜ブーム」)

tablo.jp

「村上清のいじめ紀行」にある差別思想

 小山田圭吾がこうした悪趣味・鬼畜系カルチャーの洗礼を受け、その価値観に傾倒していったのは間違いあるまい。母校である和光学園は、障害者との共生をうたい、インクルーシブ教育に力を入れていた。小山田圭吾にすれば、そういうものこそ「PTAのおばさん」みたいな欺瞞であり、おとなによる権威主義に映ったのだろう。そうしたものへのカウンターとして根本敬に魅了されたのだ。
 こべにみたいなオリーブ少女に「小山田くん」「おやまっちゃん」と軽くポップな見られ方をされるのが心の底から嫌だったのだ。
 洋楽のサンプリングにすぎない音楽を「渋谷系」などと言って、知的なおしゃべりしながら、素敵ライフを満喫するスノッブな豚どもを、下品のどん底に叩き堕としたかったのだ。
 だから小山田圭吾は、悪趣味・鬼畜系にキャラ変したのだ。

「デイリー新潮」の記事は、母校の要職者の証言として「どうやら小山田さんは学園の運営に不満を抱いていたようなんですよ……」と書いている。
 だが、本当にそれを不満に思い、改善したいと思ったのなら直接学園を批判すればよかったのだ。障害者いじめを目撃したのなら、まじめに告発すればよかったのだ。なぜ商業誌のインタビューで笑い交じりに話す必要があったのか。

www.dailyshincho.jp

笑いのネタにされる障害者

 悪趣味・鬼畜系に、いくら「カウンター・カルチャー」という文化的背景や高尚な思想があろうと、そこで表現されたもののほとんどはただの差別や犯罪と変わらないものだった。

竹中直人の放送禁止テレビ』(1985年)は、劇団WAHAHA本舗の主宰者である喰始が、テレビでは放送できないものをやるという目的で制作されたオリジナルビデオ作品である。おそらくモンティ・パイソンのような過激なブラックジョークをやろうとしたのだろうが、そこでネタにされたのは障害者である。
 竹中直人はこのビデオ出演が原因で、五輪開会式の出演を辞退することになった。久本雅美柴田理恵WAHAHA本舗の舞台ではこのようなネタをやりながら、平然とテレビに出ている。
 演劇やお笑いでは、舞台でどれだけ過激なことをやるか、タブーに挑戦できるか、ということを競っている風潮があり、それは松尾スズキの『大人計画』まで続いている。


www.youtube.com

 2007年に、「スパルタ教育」というお笑い芸人が炎上した。その芸風もまた障害者を笑いのネタにするものであった。

はじめまして、スパルタ教育と申します。
今日、単独ライブがあるということで気合を入れて電車に乗り込むと、
隣に障害者の男の子が座っていて大きな声でわめいていたので、
もう一つ障害を増やしてきましたぁ!(観客笑)
死ねっ!(観客笑)
何もできないんだろ、どうせお前はよっ!(観客笑)
ウンコを食えっ!(観客笑)

 はたしてこれも、狭いライブハウスの三人位の客の前で演るだけなら、許されたと言えるだろうか。
「村上清のいじめ紀行」でも、小山田圭吾の話を聞きながら、みんな笑っていたと村上清は書いている。

以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、僕もカメラマンの森さんも赤田さんも北尾さんもみんな笑っている。残酷だけど、やっぱり笑っちゃう。まだまだ興味は尽きない。
(P64)

 少しでも後ろめたい気持ちがあるなら、こうしたものをビデオ販売したり、youtubeで公開したり、記事にして刊行したりはしないであろう。彼らは自分たちと同様に、きっとみんなもこれを面白がると思ったのである。


www.youtube.com

news.livedoor.com
ss-nikki.cocolog-nifty.com

そして差別だけが残った

 根本敬マニアの「ミニコミ」ライターだった村上清、鬼畜系AV監督の同伴者だった北尾修一、『磯野家の謎』で一発当てた「天才編集者」の赤田祐一、そしてイメチェンしようと露悪的なキャラクターを演じた小山田圭吾
 このような「因果者」が互いの磁力で引き合い、「村上清のいじめ紀行」という差別記事を世に放ったのである。

 メンタリストのDaiGoは、YouTubeで「ホームレスの命はどうでもいい」などと発言して批判を浴びた。これも、彼が実際にホームレスに肉体的な暴力を加えたというのではなく、その発言にある差別思想が批判された。
 同じく、「村上清のいじめ紀行」は、その差別思想こそ批判されなければならない。

koritsumuen.hatenablog.com
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