加護ちゃんと杉作さん

週刊誌で加護亜依のスキャンダルを読んだのだけど、なんというかまあ、典型的な転落のパターンですなあ。世間知らずというか、男をみる目がないというか。ああいう問題のありそうな男と付き合うくらいなら、加護ちゃんをかくも愛している杉作J太郎さんと交際しても罰は当たらないと思うのであるが。
二人は雑誌で対談もしているし、加護ちゃんだってあれだけ自分を応援してくれている杉作さんのことを、きらいであろうはずがない。むしろ杉作さんのほうに、積極性が足りないのかもしれない。
おれがそう思うのは、杉作さんの『ボンクラ映画魂』(洋泉社)を読んでいるからだ。
杉作さんはこの本で、60年代後半から70年代の東映映画に託して、男の理想像を説いている。

この時期の東映というのは、男のための娯楽映画を生産していた会社である。
男といってもいろいろあるが、女にフラれても、
「結果、俺みたいな野郎と付き合わないほうがオメエのタメだよナ……」
そう思えば胸にジーンとなにかが染みる、そんな男である。ホントは一方的に嫌がられているだけであっても、そう思って飲むから酒が染みる、そんな男である。
または、ただ単に女とお茶飲んで別れたとしますな、それを記憶の中では、
「あの女ともう少しでセックスしてしまうところだったな……ひとりの女を不幸にしてしまわなくてよかった……今度はちゃんとした男に拾われるんだぜ……」
そこまで思える男である。
ボンクラですね〜。
そんなどうしようもないボンクラの。
「まだまだ俺の出番じゃねえよ……」
そういいながらゴロゴロしてるボンクラの、チンケな肉体を燃やして焦がした映画会社、それが三角マークの東映である。

まあ、こういう心情というのは、男にはわかる。しかし女にはわかるまい。まして加護ちゃんにはさっぱりわからないだろう。そこが残念でならない。
この本の「プロフィール」には、じつに味わい深い名文がある。ぜひ加護ちゃんにも読んでほしい。そこから引用しよう。

人生は行方も知らないのにベルが鳴ってるから飛び乗ったら走りはじめてしまった電車のようなもんだと言えるかもしれないが、言えないかもしれない。とにかく俺の電車は動乱の昭和三十年代に走り始めた。退学。失恋。廃刊。カツアゲ。車窓の景色は変わったが、最近ふと思うのはどこかへ向う電車ではなく、車庫に入る電車に乗ったのではないかということだ。


杉作さんは、めちゃくちゃ歌がうまい。