オーディオとか

 学生の頃に、友人の家に遊びにいったら、そいつの家は金持ちだったから部屋には立派なオーディオセットがあった。うらやましくてしょうがなかったが、しかしレコードラックを見ると、どれもしょーもない流行歌ばかりで、ブタに真珠だと思った。
 それ以来、どうもオーディオマニアというのは、音楽をわかってないんじゃないかという偏見を持つようになった。音楽に詳しい人ほど、オーディオなんかには無頓着で、プロのミュージシャンでも楽器にはこだわっても、オーディオ好きというのはあまり聞かない。
 おれもオーディオにはまったく興味がなくて、まあ、凝りだすとキリがないというのもあるが、スピーカーに大金をかけたって、どうせ部屋ではヘッドホンで聴かねばならない。オーディオがいくらゴージャスでも、部屋の壁や床や天井が貧弱では美しく反響しない。マーラー交響曲のように、天井からホルンが響くようなオーケストラの演奏は、オーディオでは再現不可能。
 落語なんかはモノラルのイヤホンで充分である。いや、モノラルのほうが聞きやすいのである。映画のDVDでも、最新のステレオよりモノラルのほうが、俳優のセリフがクリアに聞き取れる。映画館や劇場でも、スピーカーから出ている音は大きいのにセリフがぜんぜん聞き取れないということがある。こういうことを前から漠然と思っていたのであるが、これには科学的根拠があるようだ。
 伊東乾『人生が深まるクラシック音楽入門』(幻冬社新書)に、こう書いてある。

 二一世紀に入ってどんなに技術が進歩しても、電話も携帯電話もステレオになりません。 テレビ放送は音声多重になりましたが、電話をヘッドホンで聞くようにはなりません。なぜでしょうか?
「会話するだけなら片耳だけで十分だから」
 と思ったら、それは大きな誤解です。実はステレオで音を聴くと、言葉の意味が理解しにくくなります。これは「両耳マスキング」と呼ばれる、聴覚の脳科学ではよく知られた事実です。
 言い換えれば、人間は言葉を聴くとき「利き耳」だけで聴いていて、もう一つの耳に入ってくる音は無視しているということです。
 これは文字を読むときも同様で、人は意味を理解するように文字を読むとき、必ず「利き目」だけで見ています。嘘だと思ったら、いまこの本を読んでいる状態で、左目、右目と片方ずつ瞑ってみてください。片方の目では視野が変化しませんが、もう片方では視野が明確にズレることがわかるでしょう。視野が変化しない方の目が利き目です。文字を読むとき、 私たちは「双眼鏡」ではなく「顕微鏡」「望遠鏡」型の単眼視覚で見ているのです。
 これと同様に、私たちの脳は音声の言葉を聴くときも、FMラジオのようなステレオではなく、AMラジオのようなモノラルで聴いています。
(206ページ)