中原一歩はピースボート共同代表で左翼活動家

徹底追及第3弾! 小川淳也に同伴する疑惑のノンフィクション作家!

 衆議院選挙・香川1区で「王国の主」平井卓也を破った立憲民主党小川淳也
 その勢いのまま、枝野幸男の後任を選ぶ立憲民主党の代表選に立候補。
 惜敗したものの政務調査会長に抜擢され、今もっとも注目されている政治家だ。

 その小川淳也に、ぴったりと寄り添う一人の男がいる。

 中原一歩というノンフィクション作家である。
 衆議院選挙前に出版した『本当に君は総理大臣になれないのか』は大評判で、小川淳也の当選を後押ししたと言われている。

 不偏不党が原則であるはずのマスコミにあって公然と小川淳也を支持し、衆議院選挙及び立憲民主党の代表選挙で、小川淳也の応援に立った。

 中原一歩は、今やこの国の政治をも左右させる公人だ。
 こべにみたいな、こたつライターとは格が違う。id:kobeni_08

 だがこの御仁。
 左翼の活動家だったというから、さあ大変――。

中原一歩はピースボート共同代表だった

 2002年初頭。
 小泉内閣が揺れた事件があった。
 あるNGO(非政府組織)が、アフガン復興支援会議への参加を拒否されたのだ。鈴木宗男議員が、政府に非協調的な態度のNGОは政府主催の会議には参加させない、と外務省に働きかけたのが原因だとされる。

 これに猛烈に抗議したのが、ピースボートである。

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 吉岡達也とは、辻元清美と共にピースボートを始めた創立メンバーである。「教科書問題」がきっかけでピースボートを設立したと語り、「9条世界会議」や「脱原発世界会議」など政治的な活動で知られている。

 その吉岡達也と肩を並べている中原大弐とは何者だろうか。
 当時、弱冠24歳にして、ピースボート共同代表という肩書である。ピースボートには特定の代表者がいない。したがって、共同代表が運営のトップである。

 じつはこの青年こそ、のちの中原一歩なのである。

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www.youtube.com

ピースボート VS 外務省

 2011年。
 33歳となった中原一歩は『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』((朝日新書)を刊行。
 だがこの本の中身は、ピースボート礼賛本だった。中原一歩は、ピースボート共同代表という経歴を隠したままこれを書いたのだ。
 版元は雑誌『AERA』の朝日新聞出版である。
 ノンフィクション作家として決して許されることではない。
 この本文中に、「NGО拒否事件」に触れた部分がある。

 10年前、私は「NGО拒否事件」を取材した。
 現在、NGО「ピースウィンズ・ジャパン」代表理事である大西健丞が、外務省主催で行われたアフガニスタン復興支援国際会議へのオブザーバー参加を直前になって拒否されたという事件である。
 その背景には、大西が「お上の言うことは信用していない」という主旨の発言をメディアで行い、それを耳にした当時衆議院議員鈴木宗男が、政府に非協調的な態度のNGОは、政府主催の会議には参加させないと外務省に横槍をいれたという顛末だった。
 私は、この時のお上の物言い、態度に本音が漏れたなと思った。
(中原一歩『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』P49)

「取材した」とは、なにやら10年前からジャーナリストをやっていたような書きっぷりだが、そうではない。中原一歩はピースボート共同代表という立場で外務省に抗議した当事者である。

 中原一歩のルポは、このように平気で事実を歪曲する。

 ピースボートはこの件で外務省に抗議しただけでは収まらず、この年の夏に北方領土への渡航を強行する。ここでも、中原一歩こと中原大弐は、新聞に載るほどの大活躍をする。

外務省の要請を無視して、ロシアが実効支配する国後島へ上陸

 2002年の第38回クルーズで、ピースボートは日本とロシアの間で領土問題となっている国後島渡航する。外務省からの自粛要請を無視しての強行であり、「NGО拒否事件」への意趣返しかと思われる。

 外務省は次のようなコメントを発表した。

 今般、民間団体「ピースボート」の主催による訪問団が27日、国後島に上陸したことが確認された。政府の度重なる説得にも拘わらず、今般「ピースボート」が北方領土への入域を含むツアーを強行したことは、誠に遺憾である。

www.mofa.go.jp


 対するピースボートの、中原大弐・共同代表らによる勇ましいコメントは、以下の通りである。
(太字強調は筆者、以下同)

 ピースボートの中原大弐・共同代表らは「日本の固有の領土に日本の市民が行くのがなぜいけないのか。外務省も違法ではないとしていた。ロシア側に入国拒否を求めること自体、ロシアの実効支配を認めることになる」と批判した。
 外務省ロシア課は領土問題解決までの間、国民に対し北方領土への入域をしないよう求めた89年の「閣議了解」を根拠に、「双方の政府の立場を害さない形で政府が認めた、元住民などに限ったビザなし渡航の枠組みがある。この手続きに従わない場合、枠組みが否定されることになり、政府としては止めざるを得ない」としている。
 訪問団のほとんどは日本国籍の市民だが、在サハリンの残留韓国人やアイヌ民族の代表なども入っており、25日にいったんサハリンに上陸し次第、現地の総領事館に抗議するという。
(引用元「★阿修羅♪掲示板 外務省、またも不祥事!「北方領土」へのロシアの実効支配を容認【転載】」)

www.asyura2.com

声明「日ロ民間交流の新たな可能性のために」
 私たち第38回ピースボート参加者有志は、地球市民相互の友好を深めることを目的に、2002年8月27日から28日にかけて国後島を訪問しました。今回のクルーズは日本の国内法に反するものでも、国際法に反するものでもありません。日本の外務省からも問題はないという確認を得ている正当な訪問です。そればかりか、ロシアのビザを取得しての訪問の自粛を求める政府の意向にも配慮して、外務省が主導する「ビザなし渡航」の枠組みを入念に検討し、「ビザなしかつパスポート不携帯」にて訪問を行いました。一部の報道機関や論者が私たちに対して行っている批判は全く当たらないものです。
(引用元「第38回夏休みピースボートの船旅クルーズレポート」)

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在日朝鮮人への攻撃をやめて」緊急アピール

 2002年には特筆すべきニュースがあった。
 小泉純一郎首相と北朝鮮金正日総書記による日朝首脳会談である。そして金正日総書記は日本人を拉致した事実を認め、謝罪した。
 これにより、日本国内では在日朝鮮人への悪質な嫌がらせが横行する。
 ピースボートはこれに反応し、次のような抗議活動を行った。

在日朝鮮人への攻撃をやめて」 新宿にてピースボートが緊急アピール
 北朝鮮による拉致事件被害者8名の死亡が伝えられて一夜、各地で在日朝鮮人への悪質な嫌がらせが伝えられております。私たちピースボートは、このような状況を黙認するわけには行きません。そこで、明日正午・新宿東口アルタ前にて「在日朝鮮人への攻撃 やめて」新宿緊急アピールを行いたいと思います。これには、他のNGOなどへも参加を呼びかけております。

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 中原一歩こと共同代表の中原大弐は、新宿アルタ前広場で街頭演説とビラ配布を行い、その勇ましい活動は朝鮮新報(日本語版)でも報道された。
(引用元「ニュースPICK-UP - 朝鮮新報(日本語版)」)

日本人拉致問題で在日への嫌がらせやめて
東京、大阪でピースボートが街頭で抗議

 日本人拉致問題と関連して全国の朝鮮学校やその児童、生徒たちへの嫌がらせが相次ぐなか、日本のNGO団体、ピースボートが抗議に立ち上がった。
 19日午後、東京・新宿アルタ前広場に集まった都内在住の同団体ボランティアスタッフ約30人は、「在日コリアンへの嫌がらせにSTOP!」と書いた垂れ幕を掲げて街頭演説、ビラ配布を行った。抗議を決めたのは前日の18日午後10時。授業終了後、学校からまっすぐ駆けつけた学生もいた。

 共同代表の中原大弐さん(25)は、「拉致に関しては憤りを感じるし真相を究明していかなくてはならないが、何の罪もない在日コリアン、とくにか弱い子どもたちに被害がおよんでいるという事実は、われわれ日本人が解決していかなければならない問題。いかなる状況にも左右されない恒久的な信頼関係の構築が必要だ」と訴えた。

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北朝鮮渡航した中原一歩が「日本を斬る」

 2000年夏。
 ピースボートは第29回クルーズ「アジア未来航海」で、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)を訪問した。

 中原一歩は『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)の著者略歴で、「19歳で上京後、南極から北朝鮮、アマゾンの源流からアフガニスタンの戦場など、世界を放浪する」と記しているが、実際はこのクルーズによる渡航であろう。

 ピースボートのサイトでは、北朝鮮について熱弁をふるう中原一歩こと中原大弐の姿が、いくつも確認できる。

1月7日
▼君は北朝鮮を見たか/中原大弐(ピースボートスタッフ)▼
ピースボートスタッフ・中原大弐の「日本を斬る」シリーズ第3回目。
去年の夏ピースボートが、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)を訪れた時の映像を交えて、朝鮮半島をめぐる現状について解説した。同時に今年の夏予定している「南北コリア同時訪問クルーズ」の説明会も行われた。
北朝鮮はあまりにも日本国内ではネガティブに報道されています。日本から一番近い国のはずなのに、国交がないこともあって『一番遠い国』となっているわけです。大切なことは、国交正常化交渉を政府間にまかせきることではなく、市民同士が知り合うことによって、民間での対話チャンネルを持つことが重要だと考えます。」

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北朝鮮が見えた~アジア未来航海記~/中原大弐(ピースボートスタッフ)▼
今年8月、ピースボート朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)を訪れる 「アジア未来航海」を実施した。この企画は、その際の映像を交えての現地報告会。
スタッフの中原大弐は「いま、すぐ隣のふたつの国が、大きく変わろうとしているんです。次は、その両国と、日本との関係改善が大切だと思うんです。
特に、北朝鮮との国交正常化は、一日でも早くするべきじゃないかと思うんですけど」と語り、「なのに、国交正常化のための窓口が政府だけというのは疑問です。国益にとらわれない市民どうしだからこそ、お互いの懸念とかが言い合える、そんな直接交流が大事なんじゃないでしょうか」と民間交流の必要性を訴えた。

そして、来年夏にピースボートが「北朝鮮」と「韓国」を連続して訪問するクルーズを企画しているという計画が発表されると、「ぜひ参加してみたい」という声が会場からも上がっていた。
(2000年10月18日~2001年1月15日 第1回地球一周クルーズ)

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 コメディアンで水先案内人の福島カツシゲさんとピースボートスタッフ中原大弐の対談「ここがヘンだよ北朝鮮」では、北朝鮮を訪れたふたりの、それぞれの体験トークが大好評。
「まずは国が自分から、国内をどうにかしていかなければダメですね」と言うカツシゲさんに対し、「国単位でどうにかなる問題ではなく、各国が協力して問題を解決していかなければならないです」と言う中原。異なる意見を持ちながらも話し上手な二人の息はぴったりで、会場からは笑いがおこっていた。
(40回クルーズレポート)

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 このクルーズ中にピースボートは20年目を迎える、ということでおこなわれた企画『ピースボート20年史』。
 スタッフになって10年という古山葉子と、クルーズディレクターの中原大弐が、第1回の出航までのいきさつ・初めての地球一周などを中心に「ピースボートのいままで」と「いま」を語った。
「僕たちはよく『民間外交』という言葉を使います。これは、外交というものは政府だけがやるモノではない、と思うからです。ピースボートは、国と国の関係ではなく、人と人との関係をつくっていこうとしているんです」。
(クルーズ期間 : 2002年12月10日(火)~2003年3月15日(土))

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「ヒバクシャ地球一周」プロジェクト

 創設メンバーである吉岡達也の他に、ピースボートの代表格を挙げるとすれば、社会活動家の川崎哲である。
 ピースボート共同代表であると共に、2017年にノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン (ICAN) にも関わっている。
 2008年。川崎哲は「ヒバクシャ地球一周」プロジェクトを始める。

 そんな大物と肩を並べる中原大弐とは何者なのか。

 誰あろう、のちの中原一歩なのである。(知ってた?)

ヒバクシャ地球一周:7月3日に記者会見
記者会見のお知らせ

「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」
記者会見:7月3日(木) 東京、広島、長崎にて(詳細下記)

 ピースボートはこの秋、広島・長崎の被爆者100名に地球一周の船旅に参加していただき(無料)、3カ月強(103日間)の航海の中で世界中の人々に原爆について証言していただくというプロジェクトを行います。
 世界の人々とともに「核兵器とは何であるか」をあらためて考え、証言を世界規模で記録に残し、核兵器を廃絶する地球市民の行動の土台を築くためです。核兵器廃絶を求めるヒバクシャの声は、まさに現代の世界が必要としている普遍的なメッセージです。
 しかし世界はまだその声に耳を傾けようとしておらず、ヒバクシャが直接語ることのできる時間は限られています。
 ピースボートは1983年の発足以来、世界各地で幅広いNGOネットワークを築いてきました。ピースボート25周年を記念して行うこのプロジェクトは、被爆者の皆さんと世界の市民・NGOそして若者たちをつなぎ、平和のための地球市民ネットワークに新たな命を吹き込むものです。

2008年7月3日(木) 

東京 午後1:00~ 弁護士会館 1006室 (霞ヶ関
出席 中原大弐 ピースボート共同代表
   肥田舜太郎 被爆医師

広島 午前10:00~ 広島市役所 記者室
長崎 午後3:00~ 長崎市役所 記者室
出席 川崎哲 ピースボート共同代表 ほか
(引用元「川崎哲のブログ 2008年06月29日)

kawasakiakira.at.webry.info

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tocana.jp


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中原一歩 怒りのアフガン

 まだまだある。中原一歩の華々しい政治活動歴をご覧いただこう。
 ガチである。
 こうしたガチな活動歴を見ると、政治活動家とかファシストとかいう外山恒一など子供だましに過ぎない。

2002年1月22日
アフガン難民の即時収容停止を求め
品川駅前で「HELP!日本のアフガン難民も」直訴キャンペーン


(前略)
 記者会見の司会にあたった「ピースボート」共同代表の中原大弐さんは、まず会議からのNGOの排除について「NGOは非政府組織であり、政府と頭から一致しなければならないというのはおかしい」と政府の認識を質し、外務省が、会議への参加に当たって一方的にNGOを選別するのは民主主義の原則に反していると批判。アフガニスタン復興会議に対しては、現在も続いている米軍による空爆を即時停止すること、平和憲法の原則を持つ日本にできることは、平和的・人道的な支援であり、その出発点は在日アフガニスタン難民の収容や迫害をやめることであると主張しました。
 次に発言にたった「アフガニスタン難民弁護団」の土井香苗さんと、弁護団長の大貫憲介さんも、在日アフガン難民の収容の問題性を指摘し、彼らを難民として認めるよう日本政府に強く要請しました。

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アフガン復興会議に在日アフガン人、NGOが「アフガニスタン難民の釈放」を求めて直訴をおこないます。
(前略)
そこで私たちは、21日、22日に行われるアフガニスタン復興閣僚会議で、この収容されている難民問題の解決を直訴するべく、収容されている難民の方から直接預かった各閣僚宛に書いた手紙を手渡し、直訴するために以下の行動を行います。当日は在日アフガニスタン人をはじめ、多くの在日外国人が多数応援に駆けつけます。以上、ご協力よろしくお願いいたします。

日時: 1月21日(月)正午集合
場所: 品川駅前ショッピングセンターウィング高輪前
責任者:   中原大弐(ピースボート共同代表)
      土井香苗(弁護士)
(引用元「ピースボートプレスリリース2002年」)

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アフガン難民の釈放求める 会場近くでNGOら
 アフガニスタン復興支援会議が開かれている会場近くの東京・JR品川駅前で二十一日午後、非政府組織(NGO)や在日アフガン人ら計約三十人が、東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容されているアフガン難民の釈放を求めた。
 同センターには、難民認定申請中に収容され、東京地裁が収容停止を認めたものの東京高裁が地裁決定を覆したため再収容された五人を含め、アフガン人計二十一人が収容されている。
ピースボート」共同代表の中原大弐さん(25)は「アフガン復興に平和憲法を掲げる日本がなすべきことは、人道的、平和的な貢献。在日アフガン難民の問題を復興会議の議題に取り上げるべきだ」と訴えた。
 NGOが会議に参加できないことについては「外務省がNGO団体を選別していることに怒りを覚える」と述べた。
 中原さんによると、収容中の難民が現状を各閣僚に伝える手紙と、空爆停止や難民の人権擁護を求めた緒方貞子共同議長への要望書は、外務省に受け取りを拒否されたという。

 在日アフガン人のハサニ・モハマド・ユノスさん(30)は「十年以上日本にいるが、今まで難民認定の結果が出るまで収容されることはなかった。本当におかしい」と話していた。
(2002年1月21日 共同通信

 

特定NGO排除を批判 市民団体
 アフガニスタン復興支援国際会議で特定の非政府組織(NGO)が排除されたことに対して、市民団体「ピースボート」の中原大弐・共同代表と、アフガン難民支援に取り組む土井香苗弁護士は21日、「政府主導でNGOを選別し、異なる考えを排除するのは民主主義の根幹にかかわるゆゆしき事態」と日本政府を批判する声明を出した。中原共同代表らは同日、国際会議の緒方貞子・共同議長に「NGO・メディアに開かれた会議」や「アフガニスタンへの空爆の即時停止」「日本国憲法を尊重した復興支援」などを申し入れる。
 一方、出席を拒否されたNGOのジャパン・プラットフォーム(JPF)と、その加盟団体のピースウィンズ・ジャパンの代表らが21日午前、JPFのNGOユニットの理事会を開き、引き続き会議への参加を求めていくことを決議した。
 2団体の責任者の大西健丞さんは「外務省には良心のある人がまだいると信じている。会議に出席してアフガンの復興を支援したい」と話した。
(2002年1月21日 朝日新聞夕刊)

www.kt.rim.or.jp

特定NGO排除を批判 市民団体

 アフガニスタン復興支援国際会議で特定の非政府組織(NGO)が排除されたことに対して、市民団体「ピースボート」の中原大弐・共同代表と、アフガン難民支援に取り組む土井香苗弁護士は21日、「政府主導でNGOを選別し、異なる考えを排除するのは民主主義の根幹にかかわるゆゆしき事態」と日本政府を批判する声明を出した。中原共同代表らは同日、国際会議の緒方貞子・共同議長に「NGO・メディアに開かれた会議」や「アフガニスタンへの空爆の即時停止」「日本国憲法を尊重した復興支援」などを申し入れる。

www.ritsumei.ac.jp

イスラエル空爆イラク派兵、パキスタン地震在日米軍基地、イラク戦争カンボジア地雷

10月9日、緊急記者会見を行います。
日本人560人が紅海洋上から反戦の声を世界に!!!


日時: 10月9日(火)13:00~
場所: ピースボート東京事務局
東京都新宿区高田馬場3-14-3 八達ビル2F
会見出席者: ピースボート共同代表:古山葉子・山本隆・中原大弐
(株)ジャパングレイス社長:延原和正
記者会見内容: ・ピースボート声明発表
・10/20新宿駅前で「空爆停止街頭アピール」詳細
・11/3渋谷区クラブ「WOMB」 1000人規模の若者クラブイベント開催
・主催旅行社ジャパングレイスから旅行の側面、安全面への回答
ピースボート船上の現状報告
ピースボートインフォメーション 2001年)

peaceboat.org

私たちの手でイラク派兵法案・公聴会を開こう!

イラク派兵法案はまたたく間に衆議院を通りました。

「米英軍の占領下に自衛隊を派兵することは国の交戦権を否定している憲法に違反するのではないか?
「今も米英軍に対する武力抵抗は続いているし、アメリカ政府は全土が戦闘状態にあると言っている。そんなイラク自衛隊が行くことは、どんな名目であっても占領軍によるイラクの人々にたいする弾圧に手を貸すことになりかねないのではないか?
イラクの人々にたいする人道支援は、招かれてもいない自衛隊ではなく経験も蓄積もあるNGOの手でこそできるのではないか?
自衛隊を派遣し占領に加担すれば、日本国民とイラクをはじめとする中東諸国との友情に深い傷を残すことになるのではないか?」
(後略)
呼びかけ人
中原大弐(ピースボート共同代表)
(引用元「憲法問題web イラク戦争関連」2003年7月8日)

www.jca.apc.org

日時: 2005年10月27日(木)19:00~
パキスタン地震により大規模な被害を受けた
カシミールからピースボートスタッフが一時帰国。
10月27日(木)、緊急報告会を行います。

現地報告会
日時: 2005年10月27日(木)19:00~
場所: ピースボートセンターとうきょう(JR高田馬場駅、早稲田口徒歩7分
報告者:
※ 山本隆
ピースボート共同代表。1995年阪神大震災での現地支援をはじめとし、トルコ地震、台湾震災、新潟県中越地震スマトラ島沖地震など多くの災害地を直接訪れ、復興支援活動をコーディネートした。
●緊急支援のための募金を受け付けています●
郵便振替口座:00180-6-705651/加入者名:ピースボートUPA
※通信欄に「パキスタン地震救援基金」とご記入下さい。
このリリースに関するお問い合わせは...
ピースボート事務局(担当:中原大弐、森田安里)

peaceboat.org

新たな戦争への道を開く、 在日米軍再編協議に反対するピースボート声明

在日米軍再編協議をうけ、普天間飛行場の移設先を名護市辺野古崎とする日米合意に対し、私たちピースボートは、米国の強固な軍事体制のがつくり出す脅威によって生まれる、地元の人々への公害、環境破壊、ヘリ墜落事故などがこれ以上拡大しないように、普天間基地の無条件閉鎖と辺野古を含む、その他の地域への新基地建設計画の白紙撤回を日本政府、米国政府に要請します。
(後略)
2005年10月26日
ピースボート共同代表・中原大弐

peaceboat.org

イラク戦争劣化ウラン弾 湾岸戦争の後遺症に悩む市民に衝撃
(前略)
 コソボ紛争などでの被害を現地調査したNGO(非政府組織)ピースボート」の中原大弐共同代表は「戦闘で使われれば、劣化ウランは砂ぼこりに交じって空中に舞い、兵士だけでなく民間人の体にも入る。米軍は民間人は攻撃しないと言っているが、戦争が終わって数年後に民間人に影響が出てくる。使用に強い怒りを覚える」と話す。
毎日新聞2003年3月31日)

www.asyura2.com

「何だろう地雷教室」 兵庫県尼崎市で開催
カンボジアから地雷をなくそう」と呼びかけて、1997年末から東京や長野で「100円キャンペーン」街頭募金をつづてきたピースボートカンボジアチームのメンバーがじっさいにカンボジアを訪れ、現地で見た地雷撤去の状況、地雷被害の現状を、ビデオや地雷模型を使ってわかりやすくレクチャーする「何だろう地雷教室」。
「電話一本で全国各地どこでも出前します」を合い言葉に活動を重ねてきた移動教室も、すでに40回以上を数えた。
 6月14日(月)、兵庫県尼崎市立啓明中学校で、カンボジアチームのスタッフ中原大弐(23歳)が3年1組の生徒約40人を相手に講師を務めた。これは平和学習授業の一環としておこなわれたもので、今回が第1回目。この中学校では、校長みずからがカンボジアを訪れたということもあり、生徒の関心もひじょうに高かった。
 また、6月20日(日)には、同じくスタッフ中原大弐が、静岡青年会議所主催のフォーラムで、「紛争のない21世紀を実現するために――対人地雷からみた20世紀」と題して講演した。会場は、静岡県清水市浜田小学校体育館で、約200名が集まった。同市では、町を活性化するために、地域でつくる国際貢献にとりくんでおり、講演の後、活発な質疑応答が交わされた。

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ピースボート地雷廃絶キャンペーンP-MACによるトークショーが行われました。
カンボジアの大地を取り戻す女性たち」という演題のもと、C-MAC地雷除去隊員ヤン・サンポスさん(25歳)が講演を行いました。昨年1月の地雷事故を乗り越え、がんばってある様子が分かりました
ピースボートセンター福岡)
左から、CMC大谷代表、C-MACヤン・サンボスさん、通訳さん、ピースボート中原大弐さん
(引用元「一般財団法人 カンボジア地雷撤去キャンペーン」2008年8月21日)

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政治活動は隠さなければならない経歴なのか?

 2002年に「アフガニスタン難民の釈放」を求めて直訴した際、中原大弐(ピースボート共同代表)が肩を並べるのは、土井香苗(弁護士)である。
 国際NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のジャパンディレクター。夫は「レイシストをしばき隊」の神原元。

 だが、土井香苗はピースボートとの関わりを隠そうとはしない。むしろキャリア形成の重要な位置づけとして堂々と公表している。
 辻元清美の著書を読んでピースボートに乗船し、吉岡達也の計らいでエリトリアの法整備を手伝う活動ができたこと。弁護士時代に経験した難民弁護をきっかけに、人権問題解決のための道を歩み始めたこと、などが以下のサイトで語られている。

 通常ならば、司法修習生となり、法曹界入りをするところだが、土井が選んだ道は違う。合格したらやりたいことがあったからだ。まずは、国際交流NGO・ピースボートに乗ること。加えてもうひとつ、アフリカに渡って1年間ボランティアに従事することである。「世界中を見てみたい」「難民を助けたい」――中学生の頃から胸にあった情熱は褪せていなかった。この時、21歳。将来の仕事を保留にする時間は十分にあった。土井はやっと〝自分の人生〞を踏み出したのである。

 受験勉強中、気分転換にと思って、ピースボートの創設メンバーである辻元清美さんの著書を読んだのです。思っていた以上に船内は自由な雰囲気だし、手軽に世界一周できそうだと強く惹かれました。実際は、お金がなくて世界半周だったんですけど(笑)。乗ってみて感じたのは、バイタリティのすごさです。著書どおり、自由な空気に満ちていて、船内では誰もが活動を自主企画し、提案し、実践する。桜蔭、東大と、世間でいうエリートコースを歩んできた私は、与えられたものをコツコツやるのは得意だったんですけど、自ら考えて行動を起こす――それは、とても刺激的な世界でした。

 当時、アフリカで独立を果たしたばかりの小国・エリトリアを教えてくれたのは、ピースボート代表の一人、吉岡達也さんです。アフリカで何かボランティアをしたいという私の相談に、親身になってくださって、「エリトリアの法整備を手伝う仕事ができるんじゃないか」と勧めてくれたのです。
(引用元「弁護士 土井香苗【弁護士の肖像】Attorney’s MAGAZINE Online」)

legal-agent.jp

 家を出てからは、張りつめていた糸が切れたかのように、好きなことをしましたね。大学4年のときは1年間、アフリカにあるエリトリアという国で刑法づくりの手伝いをするボランティアに行って。弁護士時代は通常業務をしながら、難民弁護をしていました。日本に助けを求めてやってきたのに、助けてもらえるどころか強制収容されてひどい目に合って、やり場のない悲しみに暮れた難民に会い、彼らを弁護したことが、私が人権問題に一生を捧げようと思った大きなきっかけです。
(引用元「美人白書 Vol.40 土井香苗Feb 24th, 2016)

www.ny-onlinestore.com


 たしかに、こうした活動は誇るべきものであるはずだ。
 であるから、なおさら中原一歩が経歴を詐称するのは奇妙である。
 なぜ隠すのか。
 隠すには、理由と目的があるはずである。

なぜ中原一歩は「息を吐くように嘘をつく」のか?


 中原一歩は2011年12月22日のTwitterで、次のように書いている。

ある企画で履歴書なるものを初めて書いた。これまで、就職というものをしたことないので、これが新鮮な体験。学歴もない、資格もない。ホント真っ白の履歴書。企業の人事課の人に失笑された。このアンバランスな空気感。桂枝雀「代書」の中に出てくる松本留五郎の気持ちがよくわかる。ポーン。

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 これまで見てきた通り、ピースボートで十年余りの勤務歴があり、共同代表まで務めながらなぜこのような詐称をするのか。

 いったい中原一歩とは、何者なのか。

 藤井誠二森達也も、ピースボートの頃からの付き合いでありながら、なぜ何も言わないのか。
 ジャーナリストの互助会でもあるのか。
 お互いの批判はしないという紳士協定でも結んでいるのか。

peaceboat.org

ピースボート共同代表・中原大弐のブログを発掘

 中原大弐が2006年から2007年までやっていたブログがある。
 そこに書かれている経歴は、次のようなものである。

高校にはほぼ行かなかったので学歴無しに等しい。現在、都内で友人と彼女、「オオツボ」という名のネコと同居。家の事業が倒産し、世に言う「夜逃げ」を体験する。ピースボートにたどり着く以前はライター、飲食業ほかの仕事を転々とする。現在、国際交流の船旅を企画するNGOピースボートに所属。共同代表、および、クルーズディレクター。カンボジアアフガニスタンボスニアモザンビークなどの紛争地における地雷問題を担当し、ピースボート地雷廃絶キャンペーンを立ち上げる。これまでに旅した世界に国々は70カ国以上。

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 高校もろくに行かず、九州・博多のネオン街に入り浸りながら、僕よりも、二周り、三回りも歳が上のおっちゃんらと同じ生活をしていた。ただただ、早く大人社会の仲間入りを果たしたかった。それだけで飲めない酒を飲み、吸えないセブンスターを吹かしていた。金と寝る場所はあったので、同い年の若者らから見ると、羨ましくなるような生活をしていた。自由だった。好きなことだけをして生きていた。

 そんな、僕が上京したのが10年前。新宿西口のガード下でもらった一枚のビラ。薄黄色いざら紙に印刷された、「旅がしたい」のキャッチコピーは、仕事にまみれて生活していた当時、言い出したくても、言い出せなかった自分の心境を代弁していてくれた。

 よし、これだ。すぐに電話した。大都会の高層ビル群、携帯片手に見上げた新宿の空は今も忘れない。

「そうですねぇ、早く申しこまないと席がなくなります。何時いつの説明会に来てください」

 指示されるがままに飯田橋・シニアアークという会場に向かった。いまでこそ、旅行説明会には多くの方が足を運んで下さっているが、その当時、僕が踏み入れた会場は、ただただ広く閑散としていた。スタッフの数の方が明らかに多く、説明会と銘打っていながら来訪者は僕のほかに一人。しかも、その一人は会の途中に逃げるように会場を跡にした。説明が終わり、僕が席を立とうとすると、スタッフのTさんが近寄ってきて、蚊の泣くような小さな声で「楽しいですよ」。声をかけて下さった。僕は仕方なく申込書を書いた。そのTさんは今も一緒に仕事をしている。

 ここから先の数々のエピソードはそのうちに。ただ、そんな一枚のビラから僕のピースボート生活はスタートした。国際問題のこの字も知らなかった僕が、イギリスの首都がパリだと信じて疑わなかった僕が、NGOやボランティアなど胡散臭いとレッテルを貼っていた僕が、今ではクルーズの責任者である。全くの無学ながら、これほどまでに自分にあった仕事は他にない。今のところそう考えて毎日を生きている。楽しくて仕方がない。

 長い前書きになったが、そんな僕のNGO的日常をこのブログで報告して行こう。そう思っている。飽きない程度にお付き合いしていただいて、皆さんの数ある選択肢のひとつとして、日常を旅する事に疲れたり、立ち止まったときに重宝していただければ幸いです。
(引用元「長い前書き」2006-11-26 01:27:04)

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 何者にも帰属することができず、そのことがとてつもなく不安で、不安すぎて「不安」だということすら忘れ日々を駆け抜けていた17歳の夏。僕は博多にある一軒のラーメン屋台に住み込みで働いていた。

 白く、白濁したスープは豚の骨の色。半日以上滾らせると身も骨も、骨髄すら形を失い全てが凝縮された旨味の「素」となる。この旨味の「素」を炊いた直径1メートル程の寸胴鍋を洗うのが新入りである僕の日課だった。一日の営業が終わると先輩たちは「おい、あとは頼むばい」と深夜の歓楽街に消えていった。空になった寸胴がポッカリと口あけ人気のない道路に夜空を見上げ転がっている。

 浜から吹き上げてくる潮風が疲れた体に心地よく睡魔が襲ってくる。しかし、ここから夜が明けるまでが勝負だ。十数個の寸胴を集め、鍋の内側にこびり付いた豚の脂をこそぎ落とすのだ。この豚の脂は水だけでは到底洗い落とすことはできず劇薬のような強烈な匂いのする洗剤と真夏でも熱湯を使った。来る日も来る日も一日の終わりにはこの寸胴洗いという儀式が待ち受けていた。

 世の中では新興宗教にはまる若者がテレビの中には溢れ、オウム真理教が地下鉄でサリンを撒いたり神戸には大地震が襲った。しかし、そんな社会の大惨事よりも、僕は僕の体に染み付いて落ちない脂の匂いが気になって仕方なかった。何度風呂に入って洗っても洗い流しても消えることはなかった動物的な脂の匂い。当時、おかげで客をはじめ異性にもてることは本当になかった。それこそが自分史の中では大惨事だった。
(「世界史と自分史のはざまで」2007-09-26 00:00:05)

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マスコミ権力を使って立憲民主党小川淳也を応援


 映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』は、ドキュメンタリー監督の大島新が小川淳也を17年も取材して撮った労作だ。
 だが、中原一歩の『本当に君は総理大臣になれないのか』という著書は、小川淳也衆議院選挙出馬に合わせて出版された便乗本に過ぎない。

 和田靜香というライターも『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』という便乗本を出している。
 和田靜香は作詞家の湯川れい子のアシスタントだった。湯川れい子ピースボートの「水先案内人」である。
 中原一歩は和田靜香と一緒にトークショーを行い、小川淳也の選挙応援をした。
 小泉今日子和田靜香の本をテレビで紹介し、小川淳也の選挙応援にかけつけた。

peaceboat.org


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中原一歩、和田靜香湯川れい子小泉今日子辻元清美小川淳也

2020年6月13日 映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』(大島新監督)劇場公開
2021年6月16日 中原一歩『本当に君は総理大臣になれないのか』(講談社現代新書)刊行
   9月7日 和田靜香小川淳也(取材協力)『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(左右社)刊行
   10月18日 中原一歩と和田靜香トークショーを「小川淳也チャンネル」(youtube)で公開
   10月19日 衆議院選挙公示。小川淳也が立候補
   10月28日 和田靜香小泉今日子小川淳也のインスタライブに出演
   10月31日 小川淳也が当選
   11月19日 立憲民主党の代表選挙告示。小川淳也が立候補

   11月29日 中原一歩と和田靜香トークショーを「小川淳也チャンネル」(youtube)で公開
   12月2日  小川淳也 代表戦には落選も立憲民主党政務調査会長に就任
   12月27日 和田靜香小川淳也(取材協力)『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』(中原一歩と和田靜香の対談収録)刊行予定。


 ピースボート共同代表であり政治活動家であった青年が、経歴を隠し、名前を変えてノンフィクション作家になった。そして小川淳也を礼賛する本を書き、選挙を応援し、ついに国政の場へ送り出した。
 これはマスコミの権力を使って政治を歪めることではないのか。
 中原一歩は『本当に君は総理大臣になれないのか』で、次のようにはっきりと小川淳也への支持を表明している。

「持続可能な日本にするための改革」を飽くことなく訴え続ける小川の話に耳を傾けているうちに、もしかしたら、行き詰った日本を本当に変えることができるような次世代の政治家は、小川のような人間なのではないかと、少しずつ思うようになった。これは偽らざる本心だ。
(『本当に君は総理大臣になれないのか』P6) 

 そもそも、なぜ小川淳也なのか。
 その答えを、中原一歩『本当に君は総理大臣になれないのか』の中から探ってみよう。

 当時、無名の議員だった小川淳也を一躍有名にしたのは、2019年2月4日の予算委員会だ。ここで小川淳也は、安倍総理と麻生大臣に「厚労省統計不正問題」について厳しく詰め寄る。
 この時、小川淳也を抜擢したのが、辻元清美だったのである。

 当時、小川は、立憲民主党の会派(議員のグループ)にこそ名を連ねていたが、実質上は無所属に近い国会議員だった。どこの政党にも属さない議員がテレビで中継され、時の総理大臣に直接質問をぶつけることができる予算委員会の質疑に立つのはほぼ不可能だったが、白羽の矢が立った。立憲民主党国会対策委員長(当時)だった辻元清美が小川を抜擢したのだ。
予算委員会はテレビ中継も入るしメディアの関心も高いから、若い議員にとっては自分の名前を売るチャンス。私自身、チャンスを先輩議員から与えてもらってきたという思いがあったので、淳也に声をかけました」(辻元)
 統計という専門分野に経験のない議員がうかつに手を出すのは危ない。そう考えていた辻元は、GDPをはじめ、日本の基幹統計を扱う総務省(当時自治省)出身の小川ならば厚労省の統計技官たちとも互角に渡り合えるのではないかと考えた。
 2018年12月、辻元から「淳也、頼むで」と声をかけられた小川は内心では狼狽したという。小川はたしかに自治官僚の出身だが、所属していたのは統計とはほぼ無関係の地方自治の部局だった。つまり、辻元の思い込みによって小川は檜舞台に立つチャンスを得たのである。
 すぐに気持ちを切り替え、「よし、やってやろうじゃないか」と思い直したのは、テレビで自らをアピールする絶好の機会をふいにしたくなかったからではない。2年以上前のある日、ふと目にした〈統計の手法を変えただけで日本のGDPが跳ね上がった〉という新聞記事が心に引っかかっていたからである。
(同書P60-62)

www.news-postseven.com

中原一歩にコケにされた出版社と記者はいつまで黙っているのか?

 ウソ、大げさ、まぎらわしい。
 中原一歩劇場、自分語りの猿芝居。

 中原一歩は、小山田圭吾と和光の同級生を取材し、どのメディアも「小山田氏本人に当たった形跡がない」「この20年間近く、いじめ疑惑はくすぶり続けてきたのに、直接取材のために連絡を取ってきたのはあなたが初めてだ、と同級生たちからは言われました。つまり今まで誰も事実を確かめようとしてこなかったんです」と述べている。
(「なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか?“音楽ロッキン村”問題を今考える」Business Insider Japan)

www.businessinsider.jp

 これはおかしい。
 ロマン優光は『90年代サブカルの呪い』(コア新書)を執筆時に、小山田圭吾に取材を申し込んだが断られたと書いている。
(引用元「ロマン優光のさよなら、くまさん 連載第195回小山田圭吾インタビュー」)

 いじめ記事の存在自体は昔から知られており、ネット上で軽く話題になることもあったし、筆者も二年前に90年代サブカルにおける悪趣味・鬼畜系(及び、その影響)について検証する新書を出した時に触れている(そういえば、新書執筆時に小山田氏サイドに取材を申し込んだが返事は返ってこなかった。小山田氏が無視したというよりは事務所判断で本人に問い合わせる以前の段階で跳ねられたのではないかと考えている)。

bucchinews.com


週刊女性PRIME」(2021年7月21日)の記事は、小山田の高校時代の同級生に取材しているし、「デイリー新潮」(2021年07月17日)では、「小山田の事務所の電話は留守電になったまま。デイリー新潮を含めたマスコミ各社の取材に応じなかった」と書いている。

 中原一歩もまた「週刊文春 電子版」の連載では、次のように平然と矛盾することを書いている。マスコミは小山田の自宅に押しかけるほど、取材熱心である。

 後から本人から聞いたのだが、この騒動が起こった後、複数の週刊誌を含むメディアが自宅に押しかけ、一時はホテルを転々としていた時期もあったという。
(引用元「コーネリアス」にも「渋谷系」にも興味がない私が小山田圭吾にインタビューした理由 第3回)

www.jprime.jp

www.dailyshincho.jp


 つまり、マスコミ各社が小山田圭吾に取材を申し込もうとも、本人が拒否していたのだ。「週刊女性」の記者が取材した同級生と、中原一歩の取材した同級生は別人だったのだろう。
 それをあたかもマスコミがぜんぜん取材せずに報道しているかのように、事実を歪曲するのが中原一歩のやり方である。

 中原一歩によれば、「ロッキング・オン」に歯向かうような記事を書くと干されてしまうのだという。ばかばかしい。
 自分こそが真っ当なジャーナリストだと言いたいのだ。
 出版社は無責任な報道を垂れ流し、自分以外のライターはみんな腰抜けばかり、と言わんばかりだ。

 だが、もうその手は通用しない。

 経歴を詐称し、名前を変えてマスコミに潜り込んだノンフィクション作家の書くものに、どれほどの信憑性があろうか。
 ピースボートの共同代表で、勇ましい政治活動家であった青年は、今やこの国の政治を左右する権力を手に入れた。

 マスコミには、真実を報道する使命がある。
 経歴詐称のノンフィクション作家に、ここまでコケにされて、まだ黙っているのか。

 どこの出版社が、どのジャーナリストが、中原一歩の虚像を剥いでくれるか、楽しみに待つとしよう。

koritsumuen.hatenablog.com
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