お山の大将の迷信

 君塚良一『「踊る大捜査線」あの名台詞が書けたわけ』(朝日新書)に、こんな話がある。
 萩本欽一は、「三つの運は同時に来ない」と考えている。三つの運とは、仕事・健康・家庭(恋人)。
「神様は、ぼくたちに平等に運を与えてくれる」。しかし、神様は一人の人間に、この三つの運を同時に与えない。どれかを与えたときは、他の運を消してしまう。三つすべてが同時に来ることはない。それが欽ちゃんの考えである。
 もちろんこんなものは迷信である。だが、その迷信を頑固に信じると、どういうことが起こるか。
 ある番組の若いディレクターが、結婚することになった。それを聞いた大将(萩本欽一)は、「来週、少し視聴率が落ちる」と言った。さらに「このディレクターを少し休ませてはどうだ」と提案した。
 すると本当に視聴率が下がり始めた。その原因は、大将の考えでは、新婚のディレクターの「編集がユルくなった」せいだという。

「そうだろ? いままでは一人で暮らしてたから、帰ってもすることがない。それで朝まで何度も編集を重ねてきたんだ。でもいまは、帰れば愛する奥さんが待ってる。だから、どうしても早く帰るようになってしまう。人間っていうのはしょうがないけど、奥さんができたときや恋人ができたとき、ましてや子供が産まれたときって、早く家に帰りたくなるもんだ……」
(17ページ)

 めちゃくちゃな話である。視聴率が落ちた原因を、自分のせいにされたディレクターに同情する。君塚良一は、さらに次のように書いている。

 このちょっとしたことが視聴率に跳ね返ってくる。大将はそう感じ取っていた。
 ほかにもあった。浮気をして家庭が崩壊寸前になっているプロデューサーが手がける番組の視聴率が良い。子供や親が病気になったスタッフが参加している番組がヒットする。ところが、とても健康で爽やかなプロデューサーなのに番組はまったく当たらない。
 大将の論理に当てはめると、どれも納得。いろいろなものが見えてくるようになった。
(18ページ)

 この言葉を逆説的に考えれば、「健康を害していたら仕事のチャンス」「恋人にふられたら仕事のチャンス」とプラスに発想することもできるわけだ。
 ひとつの運が逃げていったから、別の運が目の前に訪れる。そのときは、その運にまつわることを死ぬほど頑張れと言われているようなもの。そう自覚するのがいい。
(19ページ)

 視聴率が落ちた要因は、欽ちゃんが視聴者に飽きられたからである。ディレクターのせいでもなければ、運のせいでもない。欽ちゃんの周りに、「三つの運」などという迷信をありがたがる者はいても、忠告のできるスタッフは一人もいなかったのだろう。そのことが、欽ちゃんのさらなる没落を招いたのである。
 しかしながら、浅草のコメディアンがテレビで人気者となり、高学歴のスタッフや、視聴率というわけのわからないものに振り回されていく中で、迷信にすがるという心情は理解できるものである。