無知な人

 NHKためしてガッテン』「脳元気!ラクラク速読術」を見る。
 ゲストの松本明子が司会者から「読書はお好きですか?」と問われて、次のようなことを答えていた。
「寝る前に、本を読もうと思って、1ページ読んで、うとうと(笑)。それで寝てしまうんですね。次の夜にまた1ページ戻って読み始めて、うとうと(笑)。それでまた寝てしまうんです。あははは」
 大声で笑いながら、なんだか自慢げにそう語っているのを見ながら、こういう人って多いよな、と思ったわけです。本を読むのがきらいとか、勉強ができないとか、ものを知らないとか、そういう人たちってどうして楽しそうに、かつ自慢げな態度をとるのだろうか。最近の「おバカタレント」という人たちも、無知であることを誇りに、じつに楽しげに生きていらっしゃる。
 彼らは生き方として、無知であること、を選んでいるのである。本を読んだり、勉強したりすることは、彼らにとって「自分」が壊れるような感覚があるのではないか。マンガやドラマなどで、勉強のできない不良はかっこよくてモテモテで、ガリ勉君はぶさいくで性格も悪い、というようなイメージの影響もあるのだろう。
 とにかくも、無知でいたい、と決意している人に、本を読ませることは無理である。かしこくなろうと思って努力する人もいれば、バカになろうと努力する人もいる。
 内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)に、次のような指摘がある。

 なぜ、私たちはあることを「知らない」のでしょう? なぜ今日までそれを「知らずに」きたのでしょう。単に面倒くさかっただけなのでしょうか?
 それは違います。私たちがあることを知らない理由はたいていの場合一つしかありません。
「知りたくない」からです。
 より厳密に言えば「自分があることを『知りたくない』と思っていることを知りたくない」からです。
 無知というのはたんなる知識の欠如ではありません。「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果です。無知は怠惰の結果ではなく、勤勉の結果なのです。
(略)
 あることを知らないというのは、ほとんどの場合、それを知りたくないからです。知らずにすませるための努力を惜しまないからです。
(「まえがき」P9-10より引用)