革命以前、革命以後

 若松孝二がむかし撮った『赤軍派-PFLP 世界戦争宣言』のDVDが出てたので、レンタルしてくる。完全なプロパガンダ映画。だが、そこがいい。少なくとも『実録・連合赤軍』なんかよりずっといい。時間も短いし。
『実録・連合赤軍』というのは、ほんと、くだらなかった。あんなテレビの再現ドラマみたいなもんが決定版でいいのかね。あれじゃ、ただのバカが自滅しただけ。もっと美化してくれないと、若者たちが「おれもいっちょ人生投げ出して武装闘争やってやろうじゃねえか」とは思わないだろ。
 あの監督はそういう映画を撮りたかったんじゃないのか、それで資金を出した人たちもそういうプロパガンダを期待したのではないのか。
 みんな「実録」なんか見たかったのか? 嘘でもいいから、革命の美しい夢を見たかったんじゃないのか。坂口弘の、「銃は権力に向けろ」というセリフだけが唯一、かっこよかった。
 連合赤軍事件というのは、なんだったのか。
 あれはようするに、武装闘争の準備のために集合した左翼学生たちが、軍事訓練の最中に仲間割れを起こして、メンバーをつぎつぎとリンチにして殺していった、という事件である。テロで政治家や官僚をぶっ殺して機動隊と闘って死ぬならまだしも、彼らはその準備中に、仲間の暴力によって死んだのである。まぬけ。なにやってんだか。
 わかりやすく言えば、「革命戦士」ならぬ「企業戦士」が、セミナーで過労死したようなものである。(スガ秀実『1968年』ちくま新書・参照*1 )


 さらにわかりやすく言えば、高校野球の女子マネージャーの洋子ちゃんが、マルクスエンゲルスの『共産党宣言』を読み、はじめは難しくて後悔するのですが、野球部を強くするのにマルクスの教えが役立つことに気づきます。そして野球部の仲間たちと一緒に、甲子園を目指そうと、冬山で合宿をします。そこできびしい訓練をしていると、それに耐えられなくなった部員が死んでしまいます。これにキレた洋子ちゃんは「総括しろよ!」とか訳のわからないことを言い出して、他の部員たちを次々とぶっ殺していきます。
 けっきょく、試合をやる前にほとんどの部員が死んでしまいました、というような事件である。
 さらに例えれば、とある居酒屋で、店長とアルバイトが「本気の朝礼」をはじめます。それで大声で自分の夢を語ったり、これも大声で「ついてる、ついてる、スーパーハッピー」と叫んだり、「本気のじゃんけん」を本気でやっているうちに、もう本気になりすぎて、時給800円でこんなバカなことやってられるかと脱落していくアルバイトをリンチにして次々と殺してしまいます。それで開店前に、ほとんどのアルバイトが死んでしまいました、というような事件です。
 現代において、連合赤軍事件の教訓が生かせるとするなら、たぶんそういうこと。
 ああいうのにはカルトという便利な呼び名がつけられた。それは今も生き残っていて、さらに巧妙に口当たりよく、われわれを誘い込む。「世界革命戦争」などといった言葉に惹かれる若者はもういないだろうが、自己啓発とか「天国はつくるもの」とか「毎日が冒険」とか、そういうのには引っかかる。革命戦士の純朴さと愚かさは、今の若者にもまちがいなく、ある。みんな死ぬなよ、殺されるなよ。だまされていることに気づいたら、さっさと逃げろ。
 ともあれ、革命は起こったのである。そう、革命は起きた。
 え? 連合赤軍事件によって大学紛争は終わり、左翼運動は退潮したんじゃないの? 
 ちがうね。
 70年代初頭までの大学進学率が3割ほど。やつらはエリートなんだから暴力革命なんかやるより、普通に卒業して、官僚や公務員や大企業の社員になり、国家権力の中枢を掌握したほうがよっぽどお利口だ。
 そしてあの時代を狡猾に生き抜いた学生は、やがて社会人となり、労働組合を組織し、企業を支配し、あるいは日教組の教師となって生徒を洗脳し、人権派弁護士となり、市民運動のリーダーとなり、あるいはマスコミに就職し、朝日新聞NHK売国報道で大衆を洗脳し、左翼文化人となり、ドロップアウトしたやつらもミニコミやエロ雑誌や、マンガやロックやアングラ演劇やポルノ映画に居場所を得て、反権力だの、秩序への反逆を高らかに歌い上げた。
 そういうやつらが民主党を支援したんだろ。政権交代っていうのは革命のことだろ。で、どうよ、革命後の世界は。その住み心地は。
 よく見ろ日本人、これが革命だ。*2

*1:スガ秀実は、以下のように指摘している。(赤軍派創設メンバーの花園紀男)は、連合赤軍事件以降「武装闘争は間違っているという動きがバーッと広まった」が、「論理的におかしな」話だという。なぜなら「あれは武装闘争ではない。ただ、武装闘争の壁の前で起こった出来事」に過ぎないからだと言うのだ。武装闘争=暴力を担うべき「主体」となるためには「共産主義化」しなければならないというのが、塩見や、直接にリンチ殺人を指示した連合赤軍森恒夫の理論であるという。つまり、連合赤軍事件を見て、「武装闘争はいけない」というのはトンチンカンだということである。これは、死を賭した暴力革命を担いうる主体へと規律/訓練するのが、リンチ殺人の目的であったということにほかならない。つまり武装蜂起の手前にとどまったところの「暴力」が、連合赤軍の死者を生んだというのである(花園によれば、七〇年の日航機「よど号」ハイジャックも、重信房子のアラブ渡航も、「壁の前」での逃亡である)。たとえて言えば、それは「革命戦士」ならぬ「企業戦士」がセミナーで過労死したようなものだというのが、花園の言いたいことだろう。連合赤軍事件とは、花園がそこで言うような戦後主体性論への回帰という意味ばかりではなく、ほとんど高度成長化の-成熟した市民社会における-「資本主義の精神」を体現する事件だったのだ。(スガ秀実『1968年』ちくま新書・285-286ページから引用)

*2:元ネタは「よく見ろ日本人、これが戦争だ」(福井晴敏亡国のイージス』初版の帯の文句)