非人間的な、あまりに非人間的な

ミヒャエル・ハネケ監督『ファニーゲーム

じつにいやな気分にさせる映画でして。

この監督は、悪意の塊なんじゃないかと、思ったりするのは、救いのない暴力シーンを、延々と続けながら、フィルムを逆回転させたり、カメラ目線で挑発したり、娯楽映画になれきっている観客の神経を、わざと逆なでするような演出をするわけですね。

デビュー作の『セブンス・コンチネント』では、家族の崩壊を、まるでドキュメンタリーのように撮っています。

しかし家族がなぜ、崩壊したのか、その理由は示されない。DVD収録の監督インタビューでは、「君は、破壊の原因より、結果に興味を持っている」という指摘に対し、「説明は、物語を饒舌で凡庸にする」と答えている。幸福そうに見える家族であるが、何かが欠落している。

『ベニーズ・ビデオ』『71フラグメンツ』と続く作品は、「感情の氷河化」三部作と呼ばれている。

実際に起こった事件をモチーフとし、世界各地の紛争を伝えるニュース映像が使われ、カメラの長回しによるドキュメンタリー風の演出は共通している。

『ベニーズ・ビデオ』は、いきなり豚が殺されるシーンから始まる。カーテンを閉め切った部屋の中で、少年がそのビデオを繰り返し見ている。どこかで見た顔だと思ってら、『ファニーゲーム』と同じ俳優だった。

やがて少年は罪を犯すが、現実の殺人もこんな感じだろうな、と思わせるほどリアルで怖い。

この少年もまた、何かが欠落している。

塚原史『人間はなぜ非人間的なれるのか』(ちくま新書)によれば、ダダや未来派などのアヴァンギャルド芸術から、ポップアートポストモダニズムにいたるまで、二十世紀の芸術と思想は、「人間的」なものから「非人間的」なものへ傾斜してきた。

ハネケ監督のこれらの映画も、「非人間的」な事実を淡々と記録しただけのようにもみえるが、むしろ「非人間的」な思潮の中で、映画というメディアが生まれ、興隆したのであろう。

殺人でさえ、見世物となる。