筑波大の女

 その話を、鴻上尚史のエッセイで読んだのは、もう十年も昔か。
 それで、最近の『ヘルメットをかぶった君に会いたい』という単行本でも、また同じ話を書いていたので、まあ事実なのだろう。
 筑波大学の前身は、東京教育大学。それが、つくばに移転することで、激烈な反対運動が起こる。しかし、移転は強行され、筑波大学は、学生運動がまったくない”クリーン”な大学としてスタートした。
 しばらくして、「この大学は3S政策だから」と学生も教官も自嘲的に言い出した。学生運動に生徒を向かわせず、反抗もさせないために、大学が用意した三つのS。
「スタディー」「スポーツ」「セックス」
 この三つのSにはまっている限り、学生は反抗しない、と言われた。
 前掲書112ページから引用します。

「スタディー」は、きわめて少人数のクラス編成で促進された。一クラス10人以下の授業では、代返もサボることもなかなかできない。
「スポーツ」は、充実した施設が促進した。
 そして、「セックス」は、管理人のいない女子棟と男子棟の集合というシステムが促進した。
 学内には、この女子棟と男子棟と呼ばれる学生宿舎が集まっている場所が何ヶ所かあった。ひとつの場所に、女子棟と男子棟がそれぞれ五つ前後あり、真ん中に共用棟と呼ばれるスーパーや銭湯が入っている建物があった。
<略>
 早稲田大学の授業に失望していた僕は、頻繁に筑波大学の彼女の部屋を訪ねた。一度行くと、1週間ほど居続けた。女子棟なのに、廊下で男性とすれ違うことがよくあった。
 この当時、筑波大学の周りには、ただの畑と田んぼと荒地で本当に何もなかった。
<略>
 娯楽が、本当に、「セックス」しかなかったのだ。
「娼婦棟」というニックネーム(?)をつけられた女子棟も出現した。その棟に住む女の子たちは、みんなガードが甘いという評判だった。そこの住人と知り合ってみれば、一人二人、盛んな女性がいて、他の十数人が、その女性に引っ張られて男を受け入れている状態だった。
<略>
 彼女は筑波での生活を語った。
 新入生の4月からコンパが続き、誰かれなくキスをし、部屋に男を入れて、そうやって1年が終わったことを語った。
 初体験に何の感激もなかったことも、初めての男が、バイクの話しかしなかったことも、「筑波に来てもてなければ、よっぽど醜女なんだ」といわれた事も、彼女はベッドで僕に語った。

 大塚英志も筑波大卒のはずだけど、こういう話は、書いてないなあ。やっぱり民俗学なんか専攻していると、もてないのか。「彼女」が言うように、筑波でモテなければ、”よっぽど”であろうから、奥様の白倉由美の心境やいかに。
 筑波大の女というと、世間では、地味で真面目なイメージなのだが、そういう女性でも、性体験は豊富だったりするわけです。
 まあ、この「彼女」とて、いまや母親となり、更年期障害を抱えるおばはんとなり、かつての乱交の日々を、甘く、なつかしく思い出しているのかも知れぬが。
 そういうわけで、この春から筑波大で学ぶきみたちは、そういう場所らしいから、好きなだけ青春を謳歌してください。

ヘルメットをかぶった君に会いたい

ヘルメットをかぶった君に会いたい