電子書籍シリーズ第1弾『小山田圭吾はなぜ障害者をいじめなかったのか――根本敬から読み解く「村上清のいじめ紀行」』で書いた「あとがき」を公開します。
本文に興味を持たれた方は、是非一読してみてください。
■ あとがき
小山田圭吾のいじめインタビューが掲載された『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』が発売された1980年代にまでさかのぼって、当時の文化や流行、特に根本敬を中心にここまで考察をしてきた。
あれからすでに四十年以上が過ぎている。
こういうことを書くと必ず、今の価値観で昔のことを裁くな、と言い出す人がいる。そのたびに私は、昔っていつのこと? と思わずにはいられない。
本書でも基本文献として参照させてもらった中井久夫の「いじめの政治学」が書かれたのは1997年のことだ。この時、中井久夫は六十三歳、すでに精神病理学の大家である。その中井久夫が、いじめはその時その場かぎりのものではなく生涯にわたって被害者の行動に影響を与える、と書き、「いじめの政治学」は自分の体験であると書いているのだ。
被害者にとっては、四十年が過ぎようが、それはつい昨日のことである。
じゃあ逆に尋ねるが、どれだけ昔のことなら、今の価値観で裁いていいのか。十年前か? 五年前か? 三年前か? 昨日の自分は今日の自分とは違うのだから、今日の価値観で昨日を裁くな、という理屈だって言える。
たしかに「法の不遡及」という原則はある。法律というのは、原則として将来に向かって適用され、過去の出来事には適用されない。東京裁判では、ラダ・ビノード・パール判事が、平和に対する罪と人道に対する罪は事後法であるから、これで裁くのは不当だとして全員を無罪とする意見書を発表した。
だが、逆に考えれば、我々は、何十年も前に作られた法律によって、現在の罪を裁かれる。
現在の最高裁判所の前身は大審院というもので、これは明治から昭和初期に設置されていた。もちろん大日本帝国憲法の下で設置されていた裁判所であるが、その時の判例には現在でも拘束力を有するものがある。
明治時代の価値観で、現在の罪を裁くな、と言えるか。
ようするに私は、五十年経とうが百年経とうが、千年経とうが変わらない普遍の原理について話しているのだ。私の書くものは、そういうものでありたいと思っている。
この論考は、1990年代の初頭までで終わっている。論述の都合上、一旦ここで筆を置くことにした。しかしながら、当然、これ以降の問題についても書かなければならない。
少しでも私の書くものに興味を持ってくださったなら、続編にも期待を寄せていただければ幸いである。
