中原一歩の「奇跡の災害ボランティア」は詐欺師だった

徹底追及第4弾! あなたは疑惑の総合デパート、総合商社ですよ!

 立憲民主党小川淳也の勢いが止まらない。
 知名度も人気も、党代表の泉健太をはるかにしのぎ、今や立憲民主党の顔ともいえる存在だ。

 小泉今日子ダイアモンド☆ユカイまでもが、小川淳也を支持している。
 数年前まで無名だった政治家が、なぜこれほど急に知られるようになったのか。

 そこには、小川淳也をヒーローに祭り上げた礼賛本の存在があった。

『本当に君は総理大臣になれないのか』(講談社現代新書)。
 書いたのは、中原一歩というノンフィクション作家である。

 だが、この御仁。
 ピースボート共同代表という経歴を隠して、報道にたずさわってきたというから驚きだ。

 それだけではない。
 中原一歩の筆にかかれば、詐欺師でさえヒーローになるというから、さあ大変――。

やらせとステマの『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』

 2011年3月11日。
 東日本大震災が発生。
 中原一歩は「週刊誌『AERA』の派遣記者のひとりとして、大震災発生直後から石巻市に入って取材を続けていた」という。そして、5月23日号の『AERA』に「ボランティアの理想と現実 熱意を形にする仕組み」という記事を発表する。

https://www.jen-npo.org/jp/concept/pdf/20110523_aera.pdf


 前回の記事で検証したように、中原一歩は2008年までピースボートにいたことが確認できる。しかも共同代表という肩書である。ピースボートには特定の代表者がいないため、共同代表といえば運営のトップである。
 だが、『AERA』の記事ではその経歴に一切触れていない。

 中原一歩によるこの記事では、二人のヒーローが登場する。

 一人目は、ピースボート共同代表(当時)の山本隆。
 震災直後に石巻市に入り、全国から集まるボランティアを統括する組織「NPО・NGО支援連絡会」を設立した。

 だが、中原一歩と山本隆は、2001年にピースボート共同代表としてイスラエルパレスチナ空爆停止街頭アピール」を行っている。つまり、元同僚で旧知の間柄である。
 元共同代表の中原一歩が、当時・共同代表の山本隆の活躍を称賛しているのだ。これが公正なルポルタージュだと言えるだろうか。
 また、このような経歴の人物を「派遣記者」とし、記事を書かせた雑誌『AERA』はメディアとして公正だろうか。

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 二人目のヒーローは、石巻市で建設会社を経営していた伊藤秀樹。

「社団法人石巻青年会議所(JIC)」の元理事長であり、「市との間に太いパイプ」がある伊藤秀樹は、「NPО・NGО支援連絡会」に出入りし、行政との折衝などを担当するようになる。
 4月2日。
 伊藤秀樹は、「単なる団体間の連絡調整の場にとどまらず、石巻の復興に責任を持とう」と提案し、「連絡会」の名称を「石巻災害復興支援協議会」に変更し、自分が会長となる。

 一方、ピースボートは4月19日に「一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター」を設立し、代表理事に山本隆が就任する。(2019年10月に団体名称を「ピースボート災害支援センター」へ変更)。
 
 この二人のヒーローを、亀山紘市長が支援する。

 石巻専修大学の校舎の一部を開放し、ここを「石巻災害復興支援協議会」の拠点とする。
 市長が責任者を務める市の災害対策本部会議に、伊藤秀樹や山本隆を出席させ、ボランティアと自衛隊の連携も実現させる。

 これらのことをして、中原一歩は「奇跡の災害ボランティア」「石巻モデル」と称賛するのだ。

 2011年10月13日。
 中原一歩は記事に加筆して『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)として刊行。版元は朝日新聞出版である。

 中原一歩のデビュー作となったこの本は、山本隆が代表理事を務める「ピースボート災害支援センター」のサイトで今も宣伝されている。
 伊藤秀樹もまた「ピースボート災害支援センター」が主催するイベントにたびたび参加していた。

震災を風化させない活動をこれからも

石巻災害復興支援協議会代表理事
伊藤秀樹

 おばんです。
 石巻でボランティアの会議を始めるときの挨拶はこの言葉で始まります。実は一昨日11月11日をもって避難所が解散しました。一時は5万人が避難していました。緊急事態はとりあえず終わりましたが、まだまだ支援を必要とする被災者はたくさんいます。
 この7カ月の活動はすさまじいものでした。劣悪な生活環境の下で、泥だし、瓦礫撤去にボランティアの皆さんが大奮闘してくれました。いつも足場はぬるぬる状態ですし、臭いもする劣悪な環境の中でした。石巻市民はボランティアの皆さんの活動を見て、生きる望みを持ち始めました。

 ピースボート災害ボランティアセンターは、石巻災害復興支援協議会が発足した当初からのパートナーです。石巻市の災害ボランティアセンターとも連携してくれました。
 私たちの活動は、“奇跡の石巻モデル”と呼ばれるまでになりました。皆さんに心から感謝いたします。
(引用元「CSRマガジン」2011年11月10日)

www.csr-magazine.com


pbv.or.jp

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 2012年3月5日 中原一歩は伊藤秀樹のインタービュー記事を雑誌『AERA』に発表。
    3月7日 書籍の韓国翻訳版が出版される。
 
 だが、このあと事態は一変する。

 石巻市議会で、ある疑惑を調査するために「百条委員会」が設置された。

 伊藤秀樹が、復興事業の補助金2億円を、チョロまかしていたというのだ。

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出典『AERA』5月23日号
詐欺師を石巻のヒーローに祭り上げた中原一歩

 2012年3月。
 東日本大震災から一年。
 中原一歩によってヒーローに祭り上げられた伊藤秀樹だが、地元での評判は良くなかった。

「ボランティアを使ったガレキ撤去作業で儲けている」

 その声を受けて、石巻市議会が調査に乗り出す。
 5月には調査特別委員会(百条委員会)が設置される。しかし、伊藤秀樹が調査に協力しなかったため、市議会は警察に告発した。

 2014年10月30日。
 伊藤秀樹は、震災がれき処理の詐欺容疑で逮捕。
 その後、一審で懲役4年の実刑判決を受ける。

 2017年11月1日。
 仙台高裁は懲役4年とした一審判決を支持し、伊藤秀樹の控訴を棄却。
 石巻市から5700万円余りをだまし取った詐欺の罪が確定。

「Asagei plus」(2012年11月5日)の配信記事によれば、その手口は次のようなものだ。

石巻災害復興支援協議会」(協議会)の会長となった伊藤秀樹は、市から依頼を受ける形で復興事業に関与する。
 だが、「藤久建設」社長でもある伊藤秀樹は、日本財団から「協議会」に無償貸与されたトラックやダンプカーを「藤久建設」で流用する。
 ボランティアを総動員してガレキ撤去をやらせ、それを「藤久建設」が請け負った事業として石巻市に水増し報告し、補助金をだまし取っていた。

 さらに記事では、伊藤秀樹が「市の職員の指示に従ってやっただけ」という趣旨の発言をしているという。

 伊藤秀樹の身内にはベテランの県会議員ががおり、亀山紘市長の支援者で、市政にも強い影響力を持つ。中原一歩も、伊藤秀樹には「市との間に太いパイプ」があると書いていた。
 この詐欺事件が「太いパイプ」によるものだとすれば、これは石巻市政の闇である。

「Asagei plus」(2014年3月18日)は、次のように報じている。

 本来は真っ先に徹底調査に当たるべき市は、

「我々としても調査し、法的処置の検討も行いましたが、あの混乱期ですから。書類は不備でも仕事はされたとの認識で、警察の捜査には求めがあれば応じる方向で対応しています」(災害廃棄物対策課)

 と、まるで他人事。

 疑惑渦中の伊藤氏は、再三にわたる取材の求めに応じることもなかった。
(引用元 石巻発「奇跡の災害ボランティア」は“補助金泥棒”だった)

www.asagei.com


 中原一歩は、この伊藤秀樹に密着取材していたのである。『AERA』に記事を書き、本にまでしたのである。事件が公になる直前まで会ってインタビューしているのである。
 だが、メディアでの報道が始まると、中原一歩は伊藤秀樹の名を口にしなくなる。
 石巻にも震災ボランティアにも触れなくなる。

 この後に、銀座の高級てんぷら屋の主人・近藤文夫の本を出すのである。

 なにが「ノンフィクション作家」か。

石巻モデル」震災ボランティア美談の真相

 ウソ、大げさ、まぎらわしい。
 中原一歩劇場、自分語りの猿芝居。

 中原一歩が美談に仕立てた「奇跡の災害ボランティア」。
 その実態は、「石巻モデル」詐欺事件。

 悪人が跋扈したその実態を、他のメディアの報道からまとめておこう。

 先月13日、一通の告発状が宮城県石巻警察署に受理された。提出者は石巻市議会。被疑者は同市で「藤久建設」を経営する伊藤秀樹社長(49)だった。告発理由は「正当な理由なく資料の提出を拒んだ」という地方自治法違反の容疑だ。これこそが、石巻市のガレキ処理費の高額化とも無関係ではないというのだ。

「藤久建設が市から請け負ったガレキ処理の費用請求に不審な点があるとして、議会が今年の5月に調査特別委員会(百条委員会)を設置し調査を続けていました」(全国紙仙台支局記者)

 つまりこういうことだ。議会側は伊藤社長に対し、会社の帳簿や税務申告書を提出するよう求めた。しかし、伊藤社長が「営業上の秘密が保てなくなるおそれがあり、委員会の調査権限の範囲を超えている」と拒否したことから、議会による告発という事態に至った。

 伊藤社長は、震災後に石巻市で組織された「石巻災害復興支援協議会」(協議会)の会長を今年春まで務めていた。この協議会は、全国から同市に集まってきたボランティアを統括。受け皿不足からボランティア受け入れを断った自治体もあった中で、行政とボランティアとの協力関係をうまく築き、メディアから「石巻モデル」などと称賛されたものだった。

 一方で、地元建設業者の間では「藤久建設がボランティアを使ったガレキ撤去作業で儲けている」という疑いの声がささやかれ、今年3月には市が調査を開始。すると、同社による巧妙かつ悪質な手口が明るみに出てきたのである。

「協議会には日本財団から非営利目的でトラックやダンプカーが貸し与えられていたのですが、藤久建設はそれらの車両を自社の事業に流用し、ガレキ撤去にボランティアも総動員した。その経費として市に請求した額は1億1000万円。さらに倒壊家屋や事業所の解体撤去業務でも約2億円を稼ぎ出していたのです」(地元ジャーナリスト)

 震災後、市内の建設業者や解体業者はガレキ処理を受注しようにも、車や機材、人手が足りずに手をこまねく状況だった。そんな中、藤久建設は協議会への支援物資をうまく利用。ボランティアのガレキ作業を自社の作業にすり替えて荒稼ぎしたというのだ。
(引用元「ボランティアの経費」2億円チョロまかし Asagei plus 2012年11月5日)

 さらに、同社が請求書に添付した写真には、所属団体名を示す胸当てなどをつけたボランティアまで写っており、伊藤社長が協議会におけるボランティア活動の記録写真を自社のガレキ処理の施工写真として使用した疑いが濃厚なのだ。しかも請求に当たっては、同じ写真を場所と時間を偽って何度も繰り返し添付。実際の作業期間より長期にわたったように見せかけ、請求額を膨らませたのではないかとも見られている。

 前出の仙台支局記者は次のように指摘する。

「藤久建設の行為は追及されてしかるべきですが、市側が単純に被害者かというとそれも疑問です。確かに庁舎が水浸しになるなどの異常事態で、書類や写真のチェックまで手が回らなかったという事情はわかりますが、役所内に地方都市ならではの、しがらみがあった点も見逃せません」

“しがらみ”とは何か。実は、疑惑が明るみに出て以降、伊藤社長は「市の職員の指示に従ってやっただけ」という趣旨の発言をしているというのだ。

「伊藤社長の身内にはベテランの県会議員がいます。この県議は前回の市長選で亀山滋市長を支援したことで、市政にも強い影響力を持っている。それだけに、彼を通じて市職員が伊藤社長に何らかのサジェスチョンを与えたのではという憶測を呼んでいます」(前出・地元ジャーナリスト)

(引用元 同配信記事)

www.asagei.com

週刊文春からの照会」その1
 ―車両不正使用について―

 3月21日、被災地の「石巻災害復興支援協議会」に当財団が無償貸与している車両が、同協議会会長・伊藤秀樹氏が経営する藤久建設の収益事業に使用されているのではと、週刊文春から日本財団広報グループに確認の取材がありました。

 早速、現地に確認したところ、伊藤氏からは当財団に顛末書が提出され、当財団の貸与車両による災害廃棄物処理に絡む収益金が1,773,544円であることと当財団へのお詫びが記載されておりました。週刊文春からの報せは事実であり、当財団はこれを石巻市に返還すべしとの指導を行っております。

 さらに当財団では職員を現地に派遣し、さらに調査の上、最善の処置を講じます。
(引用元「笹川陽平ブログ」2012年03月26日)

blog.canpan.info

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震災がれき処理の詐欺で逮捕

 東日本大震災後にがれきの処理を石巻市から請け負った建設会社の社長が、ボランティアが無償で行った分まで一緒に市に請求し、1200万円余りをだまし取ったとして、詐欺の疑いで逮捕されました。
 調べに対して社長は容疑を否認しているということです。
 逮捕されたのは、石巻市あけぼの3丁目に住む建設会社「藤久建設」の社長、伊藤秀樹容疑者(52)です。
 警察によりますと、伊藤社長は、震災直後の平成23年4月、がれきの処理を石巻市から請け負った際、ボランティアが無償で行った分まで一緒に市に請求し、1200万円余りをだまし取ったとして詐欺の疑いが持たれています。
伊藤社長は、当時、石巻市のボランティア団体で作る「石巻災害復興支援協議会」の代表を務め、全国からボランティアを受け入れる立場でした。
 警察は、30日、石巻市内にある伊藤社長の自宅と藤久建設の事務所など3か所を捜索し、書類やパソコンなどおよそ100点を押収しました。
 警察の調べに対して伊藤社長は「ボランティアの分を請求した覚えはない」として、容疑を否認しているということです。
 この事件を巡って、石巻市議会は、おととし5月、市への請求に不審な点があるとして、いわゆる「百条委員会」を設置し、帳簿などの書類提出を拒んだ伊藤社長に対し「正当な理由とは言えない」として、地方自治法違反の疑いで警察に告発していました。
 警察は、藤久建設が請け負った平成23年5月以降のがれき処理でも、水増し請求をした可能性があるとみて調べています。

(引用元「大川原有重 春夏秋冬」2014年10月31日)

blog.goo.ne.jp

がれき処理で詐欺 石巻の元社長に高裁も実刑 宮城

 ガレキ詐欺東日本大震災がれき処理事業を巡り、宮城県石巻市の元建設会社社長が詐欺の罪に問われた事件の裁判で、仙台高裁は懲役4年とした一審判決を支持し、元社長の控訴を棄却しました。
(引用元 DETA-BANK 2017年11月1日)

data-mix.org

sesroom.exblog.jp

www.asagei.com

www.chibanippo.co.jp

ボランティア美談「石巻モデル」は犯罪モデル

 被災地を救うボランティア。
 中原一歩はそれを美談に仕立て、ヒーローに祭り上げた。

 だがその正体は、金と欲にまみれた犯罪者。

 こんな話に、どこか見覚えはないだろうか。

大雪りばぁねっと。」の事件もそうだった。
 岩手県山田町から、東日本大震災で避難した被災者の雇用創出事業を委託されたが、ずさんな運営が明らかになり、旭川市岩手県、山田町を巻き込んだ騒動となった。
 2014年2月4日に、代表の岡田栄悟が業務上横領容疑で逮捕、懲役6年の実刑判決を受け、確定した。

 また、石井光太が『遺体―震災、津波の果てに』で、ヒーローとして祭り上げた千葉淳もそうだった。西田敏行の主演で『遺体 明日への十日間』という映画まで作られ、『情熱大陸』に出演するなど大活躍。
 だが、十代少女への強制性交容疑で逮捕された。

 石井光太が、今もジャーナリストとして活躍できているように、中原一歩もこのまま何の責任も取ることなく活躍できるのであれば、ジャーナリストとはなんと気楽な商売か。

koritsumuen.hatenablog.com

あっと驚く経歴詐称の錬金術

 中原一歩はピースボート共同代表という経歴を隠してマスコミに潜り込み、雑誌『AERA』で記事を書いた。
 すると今度はこの経歴を利用して、ピースボートのイベントに出演。

 ピースボートのイベントでは共同代表という経歴を隠し、「雑誌AERAなどのフリーライター」「アエラ記者」といった肩書を使いまくる。「派遣記者」として一回記事を書いただけで。
 フリーライターにとって「AERA」はブランドなのだ。

 まさに経歴ロンダリング
 フリーライターとして読者をだまし、ピースボートではお客さんをだましているのだ。

 中原一歩は「石巻モデル」の記事と単行本で文名を上げ、銀座の高級てんぷら屋で、てんぷらを食いまくる。

 ジャーナリストの高瀬毅さんと一緒に訪れたアエラ記者、中原一歩さん。現地の取材に、4トントラックで参上。必要な物資を運んでくれました。
(引用元「一般社団法人 ピースボート災害支援センター」2011年4月5日 太字強調は筆者以下同)

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 今回の講演は、トレプロの共同開発などにご協力いただいている中京大学の成元哲先生、金敬黙先生にお声かけいただいたことがきっかけ。昼の部、夜の部に分かれ、雑誌AERAなどのフリーライターである中原一歩さん(「奇跡の災害ボランティア」著者)や、第一期トレプロ受講生である近藤圭さんらと一緒に、3月からの支援活動の様子、ボランティアの力をどう現場で形にしてきたか、などをお話ししました。
(引用元「一般社団法人 ピースボート災害支援センター」2011年12月8日)

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杉田水脈が見たピースボートの実態

 2011年3月11日。東日本大震災
 ピースボート共同代表(当時)の山本隆は石巻市に入り、全国から集まるボランティアを統括する組織「NPО・NGО支援連絡会」を設立した。
 しかし、この組織はひと月もしないうちに伊藤秀樹が会長となり、名称も「石巻災害復興支援協議会」に変更される。

 4月19日。
 ピースボートは新たに「一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター」を設立し、代表理事に山本隆が就任する。
 ピースボート共同代表の吉岡達也も理事に名を連ねる。その後、団体名称を「ピースボート災害支援センター」に変更し、今も活動を続けている、

 この組織について、杉田水脈は次のように書いている。
 杉田水脈は何かと問題のある政治家だが、それならなおのこと、これが誤報であれば中原一歩は訂正を求めるべきであろう。
(引用元「杉田水脈のなでしこリポート(4)熊本地震で懸念されるのはピース・ボートなど左翼団体の暗躍です」産経新聞2016/5/9 12:00)

 宮城県石巻市に視察に行ったとき、案内をしてくださった自民党の市会議員さんから聞いた話です。ピースボートという団体が仮設住宅自治会に入り込んで、自立しようという被災者に対して「いや、自治体にこんな要求をしたら、お金がもっと取れますよ」とレクチャーしており、現地の良識ある被災者や行政担当者はとても迷惑しているというのです。

 阪神淡路大震災の事例も引っ張り、「神戸の仮設住宅に入っていた被災民の話を聞きに行きましょう」とお金を出して神戸まで連れて行っているそうです。


 阪神淡路大震災が起きた頃は、生活支援法が無かったので、自立再建するしかなかった。自己資金でみんな再建したのです。今は支援法もあって、お金も貰っているのに自立しようとせず、被害者利権を振りかざす。交通事故の時に最初はそうでもなかったのに周りの人からいろいろ入れ知恵されてどんどん要求がエスカレートするなんてことがあります。それに似ています。その指南を左翼団体が行っているのです。生活保護の受給をあっせんするなどというこれまで培ったスキルを駆使して、言葉巧みにお金を貰うことだけを吹き込むのが左翼です。

 このピースボートとは、全国の店舗などにポスターを貼っている地球一周船の旅のピースボートです。私は、衆議院議員時代、震災復興委員会でこのことを取り上げて質疑を行いました。このピースボートという団体の欺瞞性を暴き、その上で石巻の現状を問いました。すると「このピースボートとそのピースボートは違います」みたいな答弁が返ってきたんです。民進党辻元清美氏が学生時代に始めたというみなさんおなじみの世界一周のピースボートと、石巻に入り込んだピースボートとの関連性は認められませんという答弁です。

 同じ名前を使っているし、そもそも船旅のピースボートのホームページを見たら、石巻へボランティアに行きましょうと記されています。それなのに「別団体で登録されています」といって、うまく逃げられました。

 復興庁としては、こちらの追及も交わしたいわけです。私の言っていることを認めて「これはそうですね」と言ったら次は「なんとかします」となる。そんなこと言ったら、自分の仕事が増えるだけだから「なんとかします」という答弁はしたくないわけです。
 その結果、どうなったか?
 すでに熊本にピースボートが乗り込んでいます。自然災害に対する左翼の動きはとても速いです。
 西宮市職員時代、水害が出た地域に泥出しボランティアで行ったことがありますが、いち早く共産党の議員が来ていました。本当に共産党は一番に現地入りします。何をしているかというと一軒一軒とインターホンを押して「何か困ったことないですか。困ったことがあったらここに来てください、電話してください」ってビラを配っているのです。
 別に長靴履いて泥出しをしているわけではありません。人の不幸につけこんで政治活動やっているわけですが、共産党をはじめとする左翼の人たちはそれを徹底的にやります。

 少しでもこの実態を明らかにして、彼らが震災利権に食い込むのを止める。それも我々良識ある保守派の使命だと思っています。

www.sankei.com

「ノンフィクション作家」という名のファンタジー作家

 ウソ、大げさ、まぎらわしい。
 中原一歩劇場、自分語りの猿芝居。

 中原一歩がいかにして詐欺師をヒーローに祭り上げたか、その手口をご覧いただこう。
 以下はすべて、名作『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)からの引用である。(人名補足は筆者)

「まえがき」は、『AERA』の記事と同じく次のように書き出される。

「おばんです」
 カーペット敷きの床にあぐらをかいた伊藤秀樹会長(48)のあいさつで、今日も会議が始まった。色とりどりのパーカーやフリースを着た老若男女、およそ100人が、伊藤と向き合う格好で腰をおろし、20畳ほどのスペースはぎゅうぎゅう詰めだ。
 彼らは全国から集まった災害ボランティアである。
(P3)

「まえがき」で紹介した伊藤秀樹は、石巻市で建設会社を経営し、個人ボランティアとして「連絡会」に出入りしていた。ピースボートの山本隆や小林深吾の活動を横目で見ながら、地元へのパイプがないために、物事を解決できずにいる彼らの力になりたいと考えていた、
 阪神大震災をはじめ、ナホトカ号原油流出事件や那須豪雨災害などでボランティア経験のある伊藤は、NGОやNPОの性格や団体の力を熟知していた、また、建設業という仕事柄、地元事情に詳しく、かつて「社団法人石巻青年会議所(JCI)の理事長を務めていたこともあり、時には行政と協働したり、様々な政策提言をするなど、石巻市とパイプを持っていた。
「小林君たちが頑張っているのは理解していました。しかし、例えば瓦礫を集めたとしてもどのように処理をするのか。市役所の誰に相談すればよいのか。最終的にどう物事を解決するか、彼らはその術を持ち合わせていませんでした。誰かがフィールドの整備に徹しないと物事が進まないなと思いました」
(P62-63)

 それから、伊藤秀樹は参加するボランティア団体の調整役として活躍するようになる。

「活動報告は団体ごとではなく、活動目的ごとに分けよう、作業の具体的な内容のシェアは全大会の後の分科会で。行政との折衝など、フィールドの整備はこっちでやる」
 伊藤のこの提案が、会議を大きく変える。
 伊藤の提案により、早速九つの分科会が創設された。後に私が「石巻モデル」と呼ぶことになるシステムの土台が築かれたと言える。
(P64)

 分科会はその日に応じて、深夜まで議論する場合や、明日の活動に備えて確認だけで済ますなど、分科会ごとにフレキシブルになった。実はこの会議時間が短くなったという事実が、ボランティアの機動力を高めた。
 単なる団体間の連絡調整の場にとどまらず、石巻の復興に責任を持とう。伊藤の提案で4月2日に連絡会の名称を「石巻災害復興支援協議会(以下「協議会」)に変更した。そして、地元の伊藤が会長に就任した。この時点で参加団体は150を突破した。気がつけば様々な主義主張を持つ団体が混在している大所帯になっていた。
 伊藤からすれば、山本が所属するピースボートもそのひとつだった。
(P68)

 ピースボートは、もともと辻元清美(現・衆議院議員)らが立ち上げた団体である。1996年の政界進出以降、辻元はピースボートの運営に一切関わっていない。
 しかし、ピースボート憲法9条を世界に広めるための「9条世界会議」を主宰したり、沖縄県名護市辺野古普天間米軍基地の代替施設に反対したりするなど、明らかに「政治的主張」のある団体であった。
 災害ボランティアの現場では、その地域が特定の宗教や政治思想のある団体が仕切っていると分かった途端に物資が届かなくなったり、ボランティアそのものが集まらなくなることがある。
 伊藤はそのあたりをこう説明する。
「今、目の前に困っている被災者がいる。それを解決するためだったら、どんな人脈も政治力も使ってもいいじゃないですか。ただし、活動の成果を独り占めしたり、政治の道具に使われるのだけはやめようと。とにかく、私たちが統括するのではなく、ボランティアたちが活動しやすいフィールド整備に徹しようと山本(隆)さんと二人で話し合いました」
 ボランティア活動に政治を介入させない、ただし、目の前の物事を解決するためにだったら、お互いに手段を選ばない。実は、ある意味超党派であり、現実的なこの選択が、思想信条を超えて多くの人が集まりやすい環境を作ったと言える。
(P68-69)

世界よ、これが中原一歩ノンフィクションだ!

 中原一歩はいったい石巻で何を見ていたのか。

 一介の建設業者社長が、巨額の補助金をチョロまかすことができたのは、中原一歩が称賛した「石巻モデル」により、行政の利権に食い込むことができたからだ。
 それを後押ししたのは中原一歩らによるマスコミ報道である。
 嘘八百のボランティア美談。

 教訓として、『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)は、今こそ広く読まれるべき名作である。

石巻モデル」の成功の秘訣はボランティアと行政(石巻市)との連携だ。
 震災発生から1ヶ月たったある日、市長の亀山紘は、伊藤秀樹らの作った協議会をボランティア代表として、自身が責任者を務める「災害対策本部会議(以下、災対会議)」に出席させる決断をする。
 災対会議は、非常時の行政における最高意思決定機関である。国や県、警察、消防、自衛隊などと並んでボランティアの代表として伊藤(秀樹)と山本隆が出席した。この背景には、伊藤が社団法人「石巻青年会議所」の活動を通じ、以前から石巻市に対して政策提言をしてきた経緯があった。
 災対会議では、被災情報や避難状況、災害義援金の分配に至るまで、各担当の部署から細やかな報告が行われる。伊藤と山本も、ボランティア参加数、炊き出し数、瓦礫撤去の実績などを発表した。毎日の成果を“数字”で報告したのだ。
「昨日の炊き出しは2万食。瓦礫処理にボランティア1200人参加です」
 静まり返った会場から、時折「おーっ」とどよめく声が聞こえる。
 ボランティアという組織された「数のマンパワー」は、ある時期から、行政関係者の間でも無視できない存在になっていく。
(『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』P130-131)

 こうして、災対会議でも協議会の報告には注目が集まるようになった。また、当初は座る位置も、壁側に設けられたオブザーバー席だったが、その後は、ちゃんと机が用意されるようになった。
「確実な数字が上がってくることで、おこがましいですが、私たちも彼らに責任を与え、本当の意味で頼ることができました。行政の手が届かない場所を、しっかりと補填してもらっています」
 と、市長の亀山も伊藤(秀樹)らの存在を高く評価する。
(P134-135)

 行政との連携を決定づけたのは、石巻市の災害対策本部会議(災対会議)に、ボランティア代表として伊藤と山本が参加したことだ。
 この決定をした市長の亀山紘は、自治体の長である市長の決断があれば、日本各地、どの自治体においてもボランティアの代表を災対会議に出席させることは可能だと語っている。
 しかし、そのためにはボランティアが「具体的に物事を解決できる機能」を持ち合わせていなければ災対会議に入る意味はない。
 協議会が単なるネットワーキングの場で終わらなかったのは、圧倒的なボランティアの数「マンパワー」を背景に、自衛隊や行政にも負けない機動力を発揮した集団へと変貌を遂げたからである。「地元の伊藤」と「よそ者の山本」という異なる背景を持った2人のパーソナリティがその仕組みを支えたのは言うまでもない。
(P193)

 町は、そう簡単に「復興」とか「再起」とか口にできないほど無残な姿に変わり果てていた。とくに強烈なオイル臭を放つヘドロや汚泥は、必死の思いで復興へと奮起しようという被災者の気持ちを萎えさせた。
 しかし、そんなときにやってきたのが見ず知らずのボランティアだった。
 何気なく手伝いを頼むと、自宅になだれ込んでいた流木や瓦礫、汚泥をわずか2日で取り除いてくれた。もちろん何もないガランとした部屋だけが残ったが、ここからだったらやり直せるかもしれないと勇気が湧いてきたと語る被災者は多かった。

 大げさに言えば「救世主」だったと。

 伊藤秀樹はそんなボランティアと被災者が、再び石巻で出会える仕組みを作りたいと考えている。自分たちがマイナスからゼロにまで戻したと自負する石巻の街並みを再び訪問するきっかけを作ろうというのである。
「この町に仮に10万人のボランティアがやってきたとして、彼らが一年に一回来てくれれば単純計算で10万人の観光客がこの町にやってきたことと変わりありません。その上、被災下で出会った地元の人々に出会うという目的のある『里帰り』ですから、なおさら石巻のためになると思います。他の人がどう思うかはわかりませんが、私はそういう思いで、たずさわってくれたボランティアを出迎えたいと思っています」
 これからは「地元」の出番である。
(P199)

 なにが「救世主」じゃ、ボケ。

ピースボートの「石巻だよ!全員集合」


「あなたは疑惑の総合デパート、総合商社ですよ!」

 2002年3月11日。
 衆院予算委員会で証人喚問された鈴木宗男に、辻元清美はそう言い放った。
 アフガン会議からNGО代表が排除された問題に鈴木宗男が関与したとされ、その後も海外利権疑惑などが浮上したことから、証人喚問となった。

 鈴木宗男はこれを国策捜査、冤罪であると主張しており、辻元清美が追及した疑惑では起訴されなかった。だが、当時のメディアは辻元清美ジャンヌダルクのように報道した。
 鈴木宗男は今も「辻元清美を絶対に許さない!」と書くほどの因縁の間柄だ。
(「ムネオ日記」月刊Hanadaプラス 2021年11月04日)
hanada-plus.jp


 私も、こべに軍団を絶対に許さないと思っているので、鈴木宗男の気持ちは痛いほどよくわかる。id:kobeni_08

 この鈴木宗男が関与したとされる「NGО参加拒否問題」に、猛烈に抗議したのが辻元清美らが設立したピースボートである。

 当時、ピースボート共同代表だった中原大弐(のちの中原一歩)は、外務省に公開質問状を送るなどの抗議活動を展開した。さらに外務省の自粛要請を無視してロシアが実効支配する国後島へ上陸。北朝鮮にも渡航した。

 そのゴリゴリの左翼活動家が、名前を変えてマスコミに潜り込み、ノンフィクション作家を名乗って記事を書くようになったのである。
 まるで工作員ではないか。

 中原一歩『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)の「あとがき」には、次のような謝辞が述べられている。

 この本の執筆に当たっては本当に多くの人にお世話になった。
 中でも、ほぼ「密着」状態で取材をさせていただいたピースボートの山本隆さん、石巻災害復興支援協議会の伊藤秀樹さん。「石巻モデル」に参加されている多くのNGОやボランティア、行政、大学関係者の皆様には心から感謝を申し上げる。

AERA』副編集長の浜田敬子さん、朝日新書編集長の首藤由之さん、担当編集者である福場昭弘さん、数多くの写真をお貸しいただいたフォトグラファーの上野祥法さんにも合わせて感謝を申し述べたい。
(P203-204)

「フォトグラファーの上野祥法」は、ピースボートでクルーズ・ディレクターをしていた。震災当時は、平野悠が経営するロフトプラスワンのスタッフだった。その後、「レイシストをしばき隊」としても活動する。
 人権派弁護士の神原元も「しばき隊」に関わっており、その妻が中原一歩と共に外務省への抗議活動を行った土井香苗である。

 ロフト創始者の平野悠もピースボート世界一周クルーズの乗船者である。震災当時のことを、ブログで次のように書いている。

まだ余震がおさまらない中、突然元ピースボートの上野よしのり(ロフトプラスワン)が
「被災地が自分を呼んでいます。会社辞めて現地に行かしてください」と言ってきた。全くのボランティア男だ。
10年前のロフトの社員は意識が高かったな。
それによってロフトのみんなは燃えた。
脱原発に走ることになる。

(引用元「ロフト席亭、平野悠の何でも見てやろう」2021年03月11日)

blog.livedoor.jp


http://noranekonote.icurus.jp/jinbutsuzukankazenoichiuenoyoshinori001.htm

 上野祥法(よしのり)が石巻市に入ったのは、震災三日目だという。
(「ロフトラジオ」「3.11 東北大震災 -その時ロフトはどう動いたか?-」(2015年3月5日)による)

webcache.googleusercontent.com


 2011年3月11日。東日本大震災
 ピースボート共同代表(当時)の山本隆が石巻でボランティア。
 元ピースボートのクルーズ・ディレクター上野祥法(よしのり)が石巻で写真撮影。
 中原一歩が雑誌『AERA』の派遣記者として石巻に入り、山本隆に密着取材し、上野祥法が撮影した写真を著書に掲載。 
 中原一歩の著書が「ピースボート災害支援センター」(代表理事・山本隆)のサイトで宣伝される。

 偶然にしては出来過ぎていないか?

中原一歩と浜田敬子が日本をアカに染める

 雑誌『AERA』に中原一歩を起用したのは、当時の副編集長・浜田敬子である。
 朝日新聞の元記者。週刊朝日編集部のあと、『AERA』編集部へ。2014年には編集長になる。
 現在はジャーナリストを名乗って、オンライン経済メディア「ビジネス・インサイダー・ジャパン」統括編集長に就任。

 テレ朝「羽鳥慎一モーニングショー」、TBS「THE TIME,」、「サンデーモーニング」のコメンテーターとしてお茶の間にもおなじみのあの女性だ。
 辻元清美と親しく、最近でも次の記事が注目を集めた。

gendai.ismedia.jp

f:id:denpatiro:20211231121205p:plain

 浜田敬子は、中原一歩の経歴詐称を知っていたのか。
 たとえ知らなかったとしても、今知ったのだから、それをどう思うか。
 石巻の詐欺師をヒーローに祭り上げた責任をどう取るのか。

 小山田圭吾についても、浜田敬子は「ビジネス・インサイダー・ジャパン」で中原一歩の記事を有料配信した。
 その中で、中原一歩は次のように語っている。

── (最初にいじめ記事が掲載されてから)約25年間、誰も事実を確認してこなかったという話がありました。なぜ問題は放置され続けてしまったのでしょうか。

僕は、一番の責任は出版社や雑誌の編集部にあると思います。今回の問題に対して、本来検証記事を出すべきは『ロッキング・オン』であり『クイック・ジャパン』です。両社とも、現在も存続しているのですから。

この2社にも取材を申し込みましたが、「取材は受けることができない」という回答が届きました。
(引用元「なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか?“音楽ロッキン村”問題を今考える」)

www.businessinsider.jp

「一番の責任は出版社や雑誌の編集部にある」だと?
 震災ボランティア美談をでっち上げたおまえらが、どの口でそれを言うのか。
 中原一歩が『AERA』に書いた記事と、朝日新聞出版が出した本がいかにデタラメだったか検証するのが先である。

 また、中原一歩は、次のようなジャーナリズム論を口にする。

 この世界では世論の「返り血」を恐れていては仕事などできない。私に限らず署名記事で飯を食っているプロのライターは、自分の書いた原稿が原因でバッシングされたとしても、その批判を受け入れる用意はある。ただし、納得できる取材をするためには編集者との協業が必須だ。事前の資料集めやインタビューを裏付けるための事前取材だって経費はかかる。

 そして一番肝心なのは、編集者は、書き手はもちろん記事執筆のために情報提供をしてくれた協力者、そして取材に応じてくれた当事者を全力で守る責任を負う立場にあるということだ。無論、書き手は取材過程を併走する編集者に逐一報告し、仮に取材の肝となる人物への取材が「空振り」に終わったとしても、その事実を正直に打ち明け、今後の方針を相談しなければならない。こうした両者の信頼を前提とした「協業」は、雑誌ジャーナリズムの世界では当たり前であったし、このやりとりの過程そのものが書き手を育てる教育の機会でもあった。
(引用元「週刊文春 電子版」検証ルポ「小山田圭吾事件」第3回)

bunshun.jp

 経歴詐称にも、震災ボランティア美談のヨタ記事にも、これまで一切答えていない自称ノンフィクション作家が、ずいぶん立派なことをいうものである。
 これだけの大口を叩いたのだから、「署名記事で飯を食っているプロのライター」としての責任の取り方を、とくと見せてもらおうではないか。

 このまま何も言わず逃げ回るのであれば、むしろ詐欺師は、中原一歩の方だったということにもなりかねない。

 浜田敬子が「AERA」で世に放った中原一歩は、今や立憲民主党小川淳也に取り入って政治をも動かす公人となった。
AERA」は、今も中原一歩に政治ルポを連載させている。
 ピースボート共同代表という経歴を隠したままで。
 その影響力は多大なるものがある。

 中原一歩と小川淳也の共著『本当に君は総理大臣になれないのか』を出した講談社の罪も重い。
 出版記念イベントと題して「小川淳也チャンネル」(YouTube)で、衆院選挙前に3回のインタビュー動画配信を行っている。
 あきらかな選挙応援である。
 政治に関わるジャーナリストとして、こんなことが許されるのか。

 和田靜香というライターも『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』という便乗本を出した。
 和田靜香は作詞家の湯川れい子のアシスタントだった。湯川れい子ピースボートの「水先案内人」である。
 中原一歩は和田靜香と一緒にトークショーを行い、小川淳也の選挙応援をした。
 小泉今日子和田靜香の本をテレビで紹介し、小川淳也の選挙応援にかけつけた。

 ウソ、大げさ、まぎらわしい。
 中原一歩劇場、自分語りの猿芝居。
 経歴詐称の工作員

 いつまで中原一歩にだまされ続けるのか。

 ピースボートの友達の友達はみな友達だ。 世界に広げよう、左翼の輪!


www.youtube.com

koritsumuen.hatenablog.com