小山田圭吾がいじめを語る理由

月刊カドカワ」1991年9月号にも、小山田圭吾の障害者虐待インタビューが掲載されているのが発覚した。
 これは「ロッキング・オン・ジャパン」(1994年1月)、「クイック・ジャパン」(1995年8月)の三年も前であり、このことから両誌のインタビューアーに乗せられて、小山田はうっかり過去の悪事をしゃべらされてしまった、という擁護はもはや成り立たない。
 小山田圭吾はすでに1991年には、自分の判断で「障害者を虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである。おそらく他誌でも、こうしたことを話していたはずだが、まともな編集者が掲載を見送っていたのだろう。

 伊東乾氏は『「小山田圭吾」がオリンピックに相応しくない最大の理由』において、障害者イジメを「売り物」にして商業誌でビジネス展開したことが、最大の問題だと述べている。
「小山田圭吾」がオリンピックに相応しくない最大の理由 「メディア営利」の軌跡が示す適性/不適性(1/7) | JBpress (ジェイビープレス)

 北尾修一氏は、小山田圭吾と障害者の間には友情があったと擁護しているが、障害者を当人の了解なく見世物にしたことに罪悪感すら抱いていない。「クイック・ジャパン」第3号は、「小山田圭吾記事のおかけで爆発的に売れた」のである。障害者の同意のもとに報酬まで支払われているなら別だが、そうではあるまい。

月刊カドカワ」のインタビュー記事は、小山田圭吾がまだ小沢健二と一緒に、フリッパーズ・ギターをやっていた頃である。
 小沢健二の父親は、ドイツ文学者の小澤俊夫である。幼い頃に大やけどを負い、顔面には今も障害が残る。それが原因でひどい差別やいじめを受け、講演会でその経験を子供たちに語る活動などもされている。
 母親の小沢牧子は、「こども差別」問題に取り組む臨床心理学者で、和光大学でも勤務していた。
 小山田圭吾が友人のこうした家庭環境を、知らないはずがあるまい。
月刊カドカワ」が発売された年、フリッパーズ・ギターは解散した。

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