こべにの小山田圭吾いじめ記事検証はデタラメですよ

週刊文春もDOMMUNEも岩波書店もみんなだまされた! その悪辣な手口を暴く!


 こべにというブロガーが、ジャーナリストを気取って「小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証」などという噴飯ものの記事を書いている。id:kobeni_08
 これがいかに憶測と妄想によるデタラメなヨタ記事であるかを検証する。

 最初に本記事の趣旨をまとめると、

・主婦ブロガーの妄想に世界がだまされた! 本当にあった怖い話。

・雑誌を読んでつぶやいただけで糾弾される! あなたの知らない世界。

・毎日新聞もモーリー・ロバートソンも被害者! こべに軍団の恐るべき実態。

www.kobeniblog.com

こべにの「毎日新聞デジタル版報道の問題点」の問題点

 こべには、以下の二枚の画像を掲載し、毎日新聞デジタル版の報道に問題があるとしている。
 しかし本当に問題があるのは、こべにである。



 こべには、次のように書いている。(太字強調は筆者)

毎日新聞は7/15夜、他メディアに先んじて、いち早く原典記事にあたり報じた。記事を書いた記者は本人のTwitterで、

「書きました。最初は書いていいのか迷いました。ですが大きな怒りが巻き起こったことは事実として記すべき事案と思います。この怒りや違和感をどう受け止めますか組織委さん」

とツイートしている。この記事の時点ではまだ、小山田氏は謝罪文を出すに至っておらず、「大きな怒り=炎上している」状況をニュースとして伝える記事、ということになる。

だが、原典記事にあたれるようになった現在からこの記事を振り返ると、元記事と報道内容の間には食い違いがある。

 
 たったこれだけの短い文章の中に、いくつものミスリードがある。
 まず、「いち早く原典記事にあたり報じた」かは不明である。山下智恵記者のTwitterによれば、「大きな怒りが巻き起こったことは事実として記すべき事案」だから報道したのである。
 こべにも書いている通り、この記事の目的は「大きな怒り=炎上している」状況をニュースとして伝えることである。
 したがって、原典記事に当たっているかどうかなど、そもそも問題ではない。

「長年にわたって同級生をいじめていた」「私立小学校から高校で」の捏造


 山下智恵記者は、報道機関としてきちんと裏取りを行っており、記事の言葉も精確に書かれている。
 それを「元記事と報道内容の間には食い違いがある」というのは、ウソ、デタラメである。

 こべには、赤線1と赤線3という別々の文章にある言葉を結び付けて、「長年にわたって同級生をいじめていた」「私立小学校から高校で」と解釈している。メチャクチャである。

 記事中の言葉を切り貼りした「こべに作文」である。
 こんなことをやるのは、新聞の活字を切り貼りして脅迫状を作る、誘拐犯人くらいだ。

 これはもう、あなたは日本語がわかりますか? というレベルの話である。

 最初の文章は、「東京オリンピックの開会式の楽曲を担当する小山田圭吾さんが過去に雑誌のインタビューで長年にわたって同級生をいじめていたと告白していたことを巡り」であるから、「告白していたことを巡り」が述部である。

 修飾部にあたる「長年にわたって」というのは「告白していた」内容を説明しているだけなので、「私立小学校から高校で」と限定されるものではない。小山田が謝罪文で認めたように、小学校でダンボールに閉じ込めて中学校の修学旅行でプロレスごっこをしたのも「長年にわたって」に該当する。
 また、成人してから雑誌のインタビューで同級生を侮辱するのも「コミュニケーション操作系」のいじめであるから、「長年にわたって」で正しい。

あなたは日本語がわかりますか?

 赤線3の文章は「小山田さんが通っていた私立小学校から高校で、障害者とみられる同級生2人をいじめていたと明かしたとされていた」であるから、「明かしたとされていた」が述部である。
 つまり、まだ事実が確定されておらず推定であることを、読者にはっきりわかるように書いている。

 にもかかわらず、こべには修飾部の「私立小学校から高校で」という一部分を意図的に切り取って、「クイック・ジャパン」原文と食い違うと騒いでいるのである。悪質なクレーマーである。
 
 これはもう完全に、日本語の文法を無視した捏造である。
 記事の言葉を切り貼りした「こべに作文」である。

 こんなクレーマーを相手にしなければならない新聞記者が、かわいそうでならない。


モンスタークレーマー・こべに大噴火

 赤線2についても同様である。
 毎日新聞の記事は次のように書かれてある。

ツイートが根拠としているのは、「ロッキング・オン・ジャパン」(1994年1月号)と「クイック・ジャパン」(95年3号)に掲載されたインタビュー記事2本。

 事実を述べた何の問題もない文章である。
 それをこべには、悪意と妄想で捻じ曲げるのである。

炎上の発端となったツイートが何を引用元としたかの記載。水色下線を見て頂ければわかるが、これはRT数や、また毎日新聞の別の記者がRTをしたことからも、「はるみ」氏のアカウントのツイートを指していると推定できる。
「はるみ」氏のアカウントが引用したのは、原典の雑誌記事ではない。「孤立無援のブログ」の記事だ。

(引用元「小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証 その1. 拡散までの経緯、初期報道の問題点」id:kobeni_08

 毎日新聞の記事では、これが「はるみ」氏のアカウントだとは明記されてないので、「推定」でしかない。だが仮に、こべにの「推定」を認めたとしても、毎日新聞の記事には何の問題もない。
 なぜなら、「はるみ」氏のアカウントが引用した「孤立無援のブログ」は、「原典の雑誌記事」を根拠としているからだ。したがって間接的ではあるが、「はるみ」氏も「原典の雑誌記事」を根拠としたことになる。
 毎日新聞の記事は、間違っていない。

「村上清のいじめ紀行」もまた「ロッキング・オン・ジャパン」のインタビュー記事を引用しており、両誌は互いに補完し合うものだと考えるのが妥当だ。こべには後発の「村上清のいじめ紀行」の方が信用できるとしているのだが、その根拠は薄い。

 こべには法学の初歩の知識もないので理解できないだろうが、公に刊行された雑誌記事に基づいてどのような論評をしても自由なのである。
「村上清のいじめ紀行」を読み、「吐きそうになった」と書くのも自由であれば、「小山田くんかっこいい」と書くのも自由である。ともに個人の感想なので、それが正しいとか間違っているとか検証すること自体、意味がない。
 むしろ、「小山田くんかっこいい」という感想しか認めず弾圧するのであれば、それこそ言論の自由を踏みにじる犯罪である。

「はるみ」氏のツイートは次のようなものである。

オリパラ開会式の作曲メンバーに選ばれた小山田圭吾さんてどんな人なのかと思ったら、雑誌のインタビューで障がいがある同級生への壮絶ないじめを武勇伝みたいに語ってる。
いじめというより犯罪で読んでて吐きそうになった。
こんなのオリパラの作曲させるのか…。

 これは、公に刊行された雑誌記事に基づいた論評である。それが短時間に1万もリツーイトされた。
 15日に「いじめ自慢」としていツイッターでトレンド入りするなど「炎上」状態になった。その社会現象を、毎日新聞が正確に報道した。

 これの何が問題だろうか?

雑誌を読んで感想を書いただけ。それの何がいけないの?

「はるみ」氏は「孤立無援のブログ」を通じて、間接的に「原典の雑誌記事」を読み、その感想をツイートした。
 法的にも何の問題もない正当な行為である。誰からも非難されるいわれはない。

 それなのに、こべにとその仲間たちによって攻撃されて、Twitterの更新を停止させられるまで追い込まれた。
 当該ツイートについているリプライを見ればわかるが、こべに軍団はこれという標的を定めると仲間同士で連絡を取り合い、集団で寄ってたかって罵詈雑言を浴びせ倒すのである。そして相手が精神的にやられてツイートを削除すると、それを手柄のように誇ってさえいるのだ。

 また、Twitterやブログの運営会社に集団で通報して、気に食わないユーザーのアカウントを停止に追い込むのである。私もこれでずいぶんひどい目に遭っている。

 ネットを我が物顔で荒らしまくる、イナゴの大群である。
 思想を取り締まる特高警察である。

「はるみ」氏が、かわいそうでならない。

twitter.com




twitter.com


全部読もうが、一部を切り取って解釈しようが、読者の自由


 こべには、「村上清のいじめ紀行」の全文を正しく読めば、全人類が小山田圭吾を許してくれるはずだという妄想に取りつかれているようだ。もちろんそんなことはない。
「村上清のいじめ紀行」を読んでも、感想は人それぞれ。
 こべには法学の初歩の知識もないので理解できないだろうが、公に刊行された雑誌記事に基づいてどのような論評をしても自由なのである。
 べつに全文を読まなくてもいい。引用された一部分だけ読んで論評したってかまわない。

 原典全文を正しく読めば小山田圭吾がいじめをやっていないという正しい解釈になるはずだからそう解釈しろ、と他人に強制する権利など誰にもない。まして自分と違う意見を持つ他人の言論を封殺することなど許されるはずがない。

 映画の一場面しか見ないで映画評を書く映画評論家。長編小説の一部しか読まずに書評を書く文芸評論家。それだってあたりまえに存在している。

 近田春夫によれば、筒美京平は洋楽のヒット曲を聴くにしても、イントロから一番のサビまでしか聴かなかったという。

bunshun.jp


 Eテレ『100分de名著』で司会をしている伊集院光は、番組で取り上げる名著をほとんど読んでいない。読まずにコメントしている。伊集院光の的外れなコメントに私はたびたび腹を立てるが、彼の言論を封殺しようとは思わない。

koritsumuen.hatenablog.com


 逆に、「原典の雑誌記事」を読んだだけで真実がわかったなどと言うのも、おこがましいことだ。

 ロラン・バルトが「作者の死」で述べたように、テクストとは引用の織物である。
「村上清のいじめ紀行」は、根本敬の「内田研究とビッグバン」のパクリである。「内田研究」もまた、唐十郎の『佐川君からの手紙』やアンドレ・ブルトンの『ナジャ』から影響を受けている。
「村上清のいじめ紀行」にある悪趣味・鬼畜系文化からの影響を調べるには、青山正明編集の『危ない1号』や村崎百郎の『鬼畜のススメ』を読み、バクシーシ山下の『ボディコン労働者階級』『女犯』や、平野勝之の『水戸拷悶2 狂気の選択』『ザ・ガマン』を見て、当時どれほど、えげつないことが行われていたか確認しなければならない。

 どれだけ読めば真実がわかるのか? すべてである。
 学術研究では、関連文献にすべて目を通すのが基本である。少なくとも、私が以下の記事で触れた関連文献くらいは読まないと、話にならない。
 したがって、「原典の雑誌記事」を読んだだけのこべにも、記事の一部だけを読んだだけの「はるみ」も、五十歩百歩、似たようなものである。

https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/2021/10/17/144208koritsumuen.hatenablog.com
koritsumuen.hatenablog.com

「小山田圭吾における人間の研究」をデマだと流布することこそ犯罪


 こべには、私のブログ記事「小山田圭吾における人間の研究」を取り上げて、『クイック・ジャパン』に「記載されたすべての行為を、小山田氏がやったかのように見せ」ていると批判している。
 しかし、私は当該ブログにおいて、小山田圭吾がいじめを「やった」とは一言も書いていない。

「村上清のいじめ紀行」は間違いなく人権侵害だという観点から、慎重に言葉を選んで記事を書いている。
「小山田圭吾における人間の研究」から引用する。

・以下は、すべてこの雑誌に掲載された、小山田圭吾の発言です。(四角で囲ってある部分)
・再び、小山田の発言からの引用を続けます。
・ラストでの、小山田圭吾とライター・村上清の対談から引用します。

 このように、地の文章と、雑誌での小山田圭吾の発言とを明確に区別している。
 地の文章においては、決して小山田圭吾がいじめを「やった」とは書いていない。

 著作権法で規定された「明確性」「明瞭区別性」「必要性」「出典元の明記」「改変しないこと」という、引用の条件を守って書いている。特に元記事の改変をしていないことは重要で、「小山田圭吾における人間の研究」を捏造だとかデマだとかいうのは完全な誹謗中傷である。

好ましくない意見を取り締まるのは思想統制であり、言論封殺である


 ブログ記事のメインは地の文章であり、引用部分はあくまでも補足である。
 では、「小山田圭吾における人間の研究」とは、どういう記事なのか。これは地の文章にはっきりと書いているように、アーチストの人格と作品との関連について論評したものである。

 こういう人物が作る音楽が、本当に、人を感動させることがあるのだろうか。
 それでも彼の音楽が、多くの人を感動させているのだとするなら、そもそも、音楽とは何か? 芸術とは何か? ということを、おれは問うてみたいわけです。
(引用元「小山田圭吾における人間の研究」)

 15年も前に書いたものを今読み返すと、青臭いながら私はじつに素直に、そして真摯に問いかけている。
 当時の私は、誰か頭のいい人が、この疑問に答えてくれないものかと思って、こう問いかけてみたのだ。真剣に答えが知りたかったのだろうと思う。
 改めて言うまでもないことだが、これも公に刊行された雑誌記事に基づいてなされた論評であるから、法的にも何の問題もない。

 それを著作権違反だの、名誉毀損だの、侮辱罪だの、私は受けてもいない罰で犯罪者呼ばわりされ続けている。
 それも、文筆家や編集者という出版にたずさわる者たちが先頭に立って旗を振っていることに、私は深い絶望を味わった。

 言論封殺に真っ先に抗議すべき立場の者たちが、自ら率先して自分の首を絞めているのである。

 明日、自分が同じ目にあうかも知れないという想像力がないのか。
 雑誌の感想をつぶやいただけで糾弾される世の中にしたいのか。

 こべに、北尾修一、遊井かなめ、外山恒一、沢田太陽、橘玲、柴那典、津田大介、片岡大右、大月英明、高村夏輝、中原一歩、北沢夏音、吉田豪、その他。
 謝罪文で当ブログに責任転嫁した村上清、赤田祐一、小山田圭吾。
 デマをTwitter等で拡散してきた多くの者たち。

 すべての者たちに呪いあれ。
 罪に問われるべきは、こいつらである。

こべには対話を拒否し、間違いの訂正にも応じない

 こべにが、いかに悪辣な印象操作をしているか、以下に引用する。

2 「ツイートが根拠としているのは…」

 炎上の発端となったツイートが何を引用元としたかの記載。水色下線を見て頂ければわかるが、これはRT数や、また毎日新聞の別の記者がRTをしたことからも、「はるみ」氏のアカウントのツイートを指していると推定できる。

「はるみ」氏のアカウントが引用したのは、原典の雑誌記事ではない。「孤立無援のブログ」の記事だ。7/15時点の「小山田圭吾における人間の研究」を原典と比較してみると、「ファンになっていた」や「引いちゃうっていうか」など、本人がいじめ行為を「していない」と述べている箇所を、QJ原文から意図的に削除していることがわかる。

記載されたすべての行為を、小山田氏がやったかのように見せ、またそれを文中で

「こういうことを、悪びれることもなく、しゃべる、小山田圭吾という人物の、品性とは何か、と思うわけですが、」

等とまとめている。これをそのまま鵜呑みにすれば、「はるみ」氏が「障害のある同級生への壮絶ないじめを武勇伝のように語っている」という感想を抱くのも無理はない。

(引用元 id:kobeni_08「小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証」太字強調・筆者 以下同)

 いかにも客観的な事実であるかのような、もっともらしいことを書いているが、まったくのデタラメである。
「これをそのまま鵜呑みにすれば」「という感想を抱くのも無理はない」などという憶測を並べた感想文である。

 こべにが引用した「こういうことを、悪びれることもなく、しゃべる、小山田圭吾という人物の、品性とは何か、と思うわけですが」 の後に、前述した「音楽とは何か? 芸術とは何か?」という私の真摯な問いかけが続く。
 またここでも私は、「しゃべる」と確かに書いており、小山田圭吾が「やった」とは書いていない。あくまで小山田圭吾が雑誌で発言したとされるその言葉を問題にしている。

 こべには、私のブログから恣意的に一文を切り取って、悪意ある記事に仕立てているのだ。

 2021年8月30日に、私はすでにこの内容の記事を投稿している。

 しかし、こべには訂正に応じないばかりか、私からの呼びかけにも一切応じず、完全な無視を決め込んでいる。
 検証記事には「間違い等あればご指摘ください」と殊勝なことを書いておきながら、間違いを指摘しても知らん顔である。
 これほど不誠実な人間を、私は他に知らない。

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「障害のある同級生への壮絶ないじめを武勇伝のように語っている」


 こべにの先ほどの文章を再び引用しよう。

これをそのまま鵜呑みにすれば、「はるみ」氏が「障害のある同級生への壮絶ないじめを武勇伝のように語っている」という感想を抱くのも無理はない。

(引用元「こべにのコタツ記事」id:kobeni_08


 こべにが引用している「はるみ」氏のツイートは、精確には「障がいがある同級生への壮絶ないじめを武勇伝みたいに語ってる」である。
 元の文章を改変しているので、これは明白な著作権法違反である。
 驚くことに、こべにはライターを名乗りながら、カギ括弧「」を使って引用する場合、元の文章を改変してはならないという基本すらわかってないのである。
「はるみ」氏は「小山田圭吾における人間の研究」を読み、間接的に「原典の雑誌記事」を読み、このような感想を抱いたのである。こべにも認めているように、「という感想を抱くのも無理はない」。
 そして同じ感想を抱いた人が、何万人もいたのである。
 なぜか?
「原典の雑誌記事」がそれほど醜悪で、差別まみれだったからである。

 こべには次のように書いている。

2を事実に正確に記すなら、「ツイートが根拠としているのは、『ロッキング・オン・JAPAN(以下ROJ)』と『クイック・ジャパン(以下 QJ)』のいじめ描写を引用しながら主観的にまとめた個人のブログ記事」となるのではないだろうか。
(引用元「こべにのコタツ記事」id:kobeni_08

 ツイートの根拠が雑誌の記事であろうと、個人のブログ記事であろうと、それに何の問題があろうか。個人の感想が社会を動かしたのである。歴史を変えたのである。これを革命と言わずして何と言おうか。

 私が書いた「小山田圭吾における人間の研究」は批評である。
 批評とは、批判的に読むことである。一般読者や視聴者が気づいていないことを指摘するのが批評である。
「王様は裸だ」と叫んだ子供のように。

『風と共に去りぬ』は黒人差別の映画だというのも批評である。『ゴジラ』は原水爆への恐怖を訴えた反戦映画だというのも批評である。『帰ってきたウルトラマン』に反差別のメッセージを読み取るのも批評である。

 私の書いた批評が「はるみ」氏に何らかの影響を与え、そのツイートが大勢の人たちに支持されたとするなら、これほど批評家冥利に尽きることはない。
 誰もが自分の思いを誰かに伝えたいと思い、あるいは社会に影響を与えたいと思って、文章を綴っているのである。
 私の書いたものが見ず知らずの人の心を動かし、世界中のマスコミで報道され、首相官邸を動かし、社会を変えたとするなら、私はそれを光栄だと思うだけである。

 こべにが本気で「村上清のいじめ紀行」は、「いじめ自慢」でも「武勇伝」でもないと思っているのなら、マスナリジュンに全文をYouTubeで朗読してもらえ。

クイック・ジャパンの記事には「この場を借りて謝ります(笑)」との記述がある

 毎日新聞の記事では、次のように書かれている。

クイック・ジャパンの記事には「この場を借りて謝ります(笑)」との記述もあるが、笑いながら語ったと描写されている。

 こべには、この部分について次のように述べている。

このくだりはQJではなくROJの方に書かれたものだ。ROJ発行からQJ発行までには、一年半の月日が経過しており、内容も異なる。

トレンドの「いじめ自慢」に言及した以上、その裏づけとして、小〜高校までの回想が書かれたQJの内容を「笑いながら語った」と印象づけたかったのはわかる。だが、時に「僕とか引いちゃうっていうか」など、あまりいじめに対して積極的でない記述も含むQJ記事について、別記事であるROJの「この場を借りて謝ります(笑)」で結ぶのは、「孤立無援のブログ」の、悪意ある引用・編集と変わらないのではないか。
(引用元「こべにのコタツ記事」id:kobeni_08

 まず事実として、毎日新聞の記事は間違っていない。
「村上清のいじめ紀行」に書かれている通りの文章である。原文を確認しよう。

 小山田圭吾といえば、数年前にアニエスb.を着て日本一裕福そうなポップスを演っていた、あのグループの一員だ。ソロになった今でも彼の音楽は裕福そうだが、そんな彼は私立小・中学時代*1いじめる側だったらしい。ヤバい目つきの人だなあとは思っていたが。
「全裸にしてグルグル巻きにしてオナニーさせて、バックドロップしたり」とか発言してる。それも結構笑いながら。

 僕も私立中学・高校とエスカレーターで通っていたので、他人事とは思えなかった。僕の当時の友人にはやはりいじめ加害者や傍観者が多いが、盆や正月に会うと、いじめ談義は格好の酒の肴だ。盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。

 小山田さんは、「今考えるとほんとヒドかった。この場を借りて謝ります(笑)」とも言っている。

(引用元「クイック・ジャパン」3号 P53)

「この場を借りて謝ります(笑)」との記述もあるし、「それも結構笑いながら」という描写もある。
 山下智恵記者の記事は、何から何まで正しい。
 やはり大手新聞の記者はさすがだ。中原一歩みたいなデタラメは書かない。

 一方、こべには捏造だらけである。
「このくだりはQJではなくROJの方に書かれたものだ」というのだが、ROJを確認すると「この場を借りてお詫びします(笑)」となっており、あきらかに文章が違っている。「謝ります(笑)」という記述は、クイック・ジャパンの記事にしかないので、毎日新聞の記事が正しい。

 こべには根本敬を読んでいないので、いまだに小山田圭吾が語った「いい話」や「ちょっといい話」のことを、文字通りの「Good story」だと思っている。だからこんな解釈になるのだ。
 根本敬ワールドにおける「いい話」とは、首都大学東京の学生たちによる「ドブスを守る会」のような、「不道徳なものから生じるおかしみ」を面白がる表現だということは、以下の記事で詳説した。

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大月英明がAmazon Kindle本を、572円で自費出版

 こべには、大月英明の本からも引用している。
 本といっても出版社の校閲を経て刊行されたものではなく、南山大学講師の大月英明がAmazon Kindle本を、572円で自費出版しているものである。したがって、ネットで拾い集めた記事を主観的にまとめた、こべにのこたつ記事と似たようなものである。
 そこで大月英明は次のように述べている。

「ROJを参照していない可能性

 この記事の写真にはQJのコピーが写っている.しかし「小学校から高校で,障害者と見られる同級生 2人をいじめていた」という表現は,高校でのいじめ記述が存在しないQJの記事と矛盾する(高校では沢田君はいじめておらず,村田君は高校にはいない).
 記者がQJの記事を参照したならば,この部分で事実誤認をしている理由が不可解である.
 また記事中にある「この場を借りて謝ります(笑)」という発言は,元々はROJでなされたものである.
 QJにもこの部分の引用はされてはいるが,もしROJの記事を参照していたならば,この部分は「クイック・ジャパンの記事」ではなく「ロッキンオン・ジャパンの記事」と記載されるべきものである.
 写真にはQJの記事が写っているが, ROJが写っていないことと,「ロッキンオン・ジャパンの記事」を引用したと記されていないことから,記者が記事を執筆した時点ではROJを読んでいないということが強く疑われる.
 もし記者がROJを読んでいたとしたら,同誌インタビュー ROJ 1にある「僕が直接やるわけじゃない」という記述は無視できないはずである.

(引用元『コーネリアス炎上事件とは何だったのか: メディアリテラシーが試されるとき』大月英明の自費出版 572円)

 大月英明の問題は、いじめの定義を「暴力系」のみに狭く捉えている点である。

 内藤朝雄『いじめ加害者を厳罰にせよ』(ベスト新書)によれば、いじめには二種類ある。

「暴力系」のいじめ(殴る、蹴る、衣服を脱がせる、など)と、「コミュニケーション操作系」のいじめ(シカトする、悪口を言う、嘲笑する、デマを流す、など)である。
「暴力系」のいじめは、警察の介入で対処できる。しかし、「コミュニケーション操作系」のいじめには、根本的な対処法がない。いじめの被害者が自殺し、遺族が訴訟を起こして敗訴するケースが多いのも、「コミュニケーション操作系」のいじめである。

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 大月英明は、QJの記事には「高校でのいじめ記述が存在しない」と書いている。
 そんなことはない。QJの記事から引用する。

「ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけどこいつチンポがデッカくてさ、小学校のときからそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)。女の子とか反応するじゃないですか。だからみんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。でも、もう僕、個人的には沢田のファンだから、『ちょっとそういうのはないなー』って思ってたのね。……って言うか、笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったって言うか、そういうのやるのは、たいがい珍しい奴って言うか、外から来た奴とかだから」
(P58)

「こいつ、高校ぐらいになると、ちょっと性に目覚めちゃうんですよ、それがまた凄くてね、朝の電車とかで、他の学校の女子高生とかと一緒になったりするじゃん、そうすると、もう反応が直だからさ、いきなり足に抱きついちゃったりとかさ。あと、沢田じゃないんだけど、一個上の先輩で……そいつはもう超狂ってた奴だったんだけど……長谷川君(仮名)という人がいて、そいつとかもう、電車の中でオナニーとか平気でするのね、ズボンとか脱いで、もうビンビンに立ってて(笑)。いつも指を三本くわえてて、目がここ(右の黒目)とここ(左の黒目)が凄く離れてて、かなりキてる人で、中学だけで高校は行けなかったんだけど。沢田は、そこまではいかなかったけど、反応は直だから」
(P59)

 それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いに行ったりするじゃないですか。で、大体みんな行く裏山があって。タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。「あ、ダウン症の人が走ってんなあ」なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔*4じゃないですか?「あれ? さっきあの人通ったっけ?」なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走って行って、「あれ?これ女?」とか言ったりして(笑)。最後一〇人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ~って走って来て。「すっげー」なんて言っちゃって(笑)
(P65)

 これらが「コミュニケーション操作系」のいじめに該当するのは言うまでもない。成人になって学生時代のこうしたことを雑誌記事として発表するのも、いじめである。
 さらに大月英明は、もし記者がROJを読んでいたとしたら,同誌インタビュー ROJ 1にある「僕が直接やるわけじゃない」という記述は無視できないはずである」と書き、記者がROJを読んでいないことを問題視している。
 だが、前述したように、そのことは問題にさえならない。

 むしろ、「ロッキンオン・ジャパン」のインタビュー記事にある小山田の「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)」という記述を、意図的に切り取った大月英明にこそ不正がある。

小山田圭吾はバックドロップとブレンバスターをやったのか?

 こべにや大月英明に限らず、小山田擁護派のほとんどが、「コミュニケーション操作系」のいじめという問題に無知である。
「シカトする、悪口を言う、嘲笑する、デマを流す」といった行為もいじめであり、それによって深刻なダメージを受ける者もいるのだという理解があるなら、そもそも「村上清のいじめ紀行」を検証して、小山田圭吾がいじめていない証拠を探そうなどと思わないはずだ。
 中原一歩に至っては、文春のインタビューで小山田圭吾から「加害者という立ち場で暴力を振るったことはない」という言葉を引き出したことをもってして、冤罪だとさえ言っている。

 そもそも記事のタイトルが「村上清のいじめ紀行」で、見出しが「学校でウンコするとかいうのは、小学生にとって重罪じゃないですか?」である。一般読者が普通に読んで、そこに障害者との友情物語が語られていると考えるだろうか。

 さらに、「クイック・ジャパン」(第4号)の「編集室より」では、企画意図が次のように書かれている。

●インタビューは音楽のことは一切聞かず、”いじめ”についてのみ喋ってもらうというハードコアな企画だったからね。
○よく引き受けてくれたわねー。
●小山田氏にはホント、感謝してます。


 中原一歩は、「週刊文春 電子版」の連載第4回目で次のように書いている。

 例えば、もっとも拡散されている「裸にしてグルグルまきにして、オナニーさせた」という部分については、小山田氏は次のように説明した。本人が直接、手を下したのではなく、「自慰行為に関しては、中学の修学旅行のときのことでした。留年して同じクラスだった上級生と、僕は一緒の部屋でした。友だち数人とプロレスごっこをしていると、そこにその上級生が部屋に入ってきて、同級生の一人を裸にしたり、紐で縛ったり、自慰行為を強要したのです。行き過ぎた行為でしたが、怖くて止めることができず、傍観者になってしまったことがありました」。

(引用元「なぜ小山田圭吾はイジメ発言をしたのか? 加害性の否定と無意識のサービス精神」週刊文春 電子版)

 そのプロレスごっこの内容は、「村上清のいじめ紀行」で次のように語られている。

 そいで修学旅行とか行ったら同じ班じゃないですか。密室だしさ……他の班の奴とかも色々来てたりしてさ。で、ウチの班で布団バ~ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。例えばバックドロップとかって普通できないじゃないですか?だけどそいつ軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから『もう一回やらして』とか言って。それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、『バックドロップやらして』なんて言って(笑)、"ガ~ン!"とかやってたんだけど。
(P63)

bunshun.jp

人権意識の低い大月英明が教育者である危険性

 なかでも大月英明の人権意識の低さには、あきれるほかない。
 出演したDOMMUNEの番組で、小山田圭吾のインタビュー記事を試験問題にして、次のように述べている。

 インタビュー記事をもとに試験をしたら?

 教育者目線で

・もしも「2誌のインタビュー記事に書いてあることで正しいものを選べ」という試験問題があったら
・選択肢「小山田氏は小中高の長年にわたり障害者に虐待などのイジメを加えた」を選ぶと0点
・ところがこの夏の報道は、ほとんどがこれを選んで0点
・なぜ大手メディアやインフルエンサーがそんな0点答案ばかり提出したのか?

(出典 SUPER DOMMUNE 2021/12/31 「小山田圭吾氏と出来事の真相」)

 大月英明にとって、「シカトする、悪口を言う、嘲笑する、デマを流す」といった「コミュニケーション操作系」のいじめは、いじめではないらしい。学生がこのような被害を大月先生に訴えても、旭川いじめ事件の教頭のような冷たい対応をされそうだ。0点。

youtu.be
(4:24:41~)

 荻上チキは「いじめ研究」の観点から次のように解説している。

 特に、「いじめの四層構造」の理解は重要です。
 多くのいじめは、「実際には加害は行われていなかった/いや行われていた」というような、単純な二分法で考えられるものではありません。いじめ事件の多くは、個別の加害行為に対して、時には加害者の立場で、時には観衆という立場で、時には傍観者という立場で関わっていた、と整理されていく必要があります。それらはまた、なぜ関与した者は、「仲裁者」「通報者」「シェルター(いじめをせずに関わり続ける人、避難所)」「スイッチャー(いじめが起きにくい空気へと変える人)」という立場を取れなかったのか(取らなかったのか)という問いにも続きます。
(引用元「DOMMUNEに出演しなかった理由と、例の「いじめ語り」に対する簡単な見解」荻上式BLOG)

 そのうえで、小山田圭吾のケースについて、次のように判断している。

 厳密に触れておくとすれば、いじめの四層構造理論の分類でいえば、小山田氏は「傍観者」ではなく、「加害者」「観衆」「傍観者」を行き来している立場のように見えます(内心で「引いていた」からといって、「傍観者」になるというわけではありません。例えば内心では「引いていた」けれども、場の雰囲気に飲まれて「殴る」ということが可能なように)。また、本人コメントでも雑誌記事でも、細かな行為の全てについて、逐一確認できているわけでもありません。

(引用元 同上)

seijotcp.hatenablog.com


 大月英明のような人権意識の低い人物が、教育者として学生を教育指導する立場にあってよいものなのか。カトリック世界観に基づいた学校教育を理念とする南山大学に問い合わせてみる必要がある。

 同様に、私のブログをデマだと誹謗中傷した高村夏輝も、看護師や社会福祉士を養成する埼玉県立大学の准教授としてふさわしいのだろうか。公立大学法人の教員には公務員と同じ遵法精神と倫理規定が適用されると思うので、これも大学当局に問い合わせてみなければなるまい。

www.nanzan-u.ac.jp

www.spu.ac.jp


山下智恵記者と「はるみ」氏の名誉回復のために

 こべにはさらに以下のような憶測や推定だけで、山下智恵記者を誹謗中傷している。

「いじめ自慢」が昼にトレンド入りし、毎日新聞はその日の夜20時にはデジタル版の記事を出している。25年前の記事を入手するのにはそれなりに時間がかかるため、ROJに関しては実物を入手できず、QJに書かれている内容から引用するしかなかったのではないか。

記事を書いた 山下記者は本記事を、小山田氏の40年前のいじめ・また26年前にそれを雑誌インタビューで語ったことにNOと言い、いじめ自体の根絶に結びつけるという目的「ではなく」、ツイートの最後に「この怒りや違和感をどう受け止めますか組織委さん」とあったように、五輪組織委員会の問題点を追及するという趣旨でリリースしている。つまり目的としては「はるみ」氏と同じく、オリンピックの開会式ひいてはオリンピックそのものを、これらの関係者不祥事の発覚・それに対する人々の怒りによるネット炎上の力で止めたかった(あるいは、そのような人々を応援している新聞だとアピールしたかった)と推定できる。

(引用元「こべにのコタツ記事」id:kobeni_08

 何度も述べるように、毎日新聞の記事はツイートが炎上した社会現象を報じたものなので、雑誌の実物がなくても何の問題もない。

「五輪組織委員会の問題点を追及するという趣旨でリリースしている」というこべにの「推定」が正しいとしても、それで何の問題があるのか。
 新聞はニュースバリューがあると判断したものを、報道するのである。こべにのために新聞があるのではない。ムカつく記事を配信されたからといって、クレームを言うのは筋違いである。


毎日新聞は取材依頼したのに小山田圭吾が断っただけ

 こべには次のように書いている、

本文の末尾、緑色下線部分には、「15日午後6時現在、回答は寄せられていない」と記載がある。だが記事のリリースは同日の19:59だ。たった2時間しか待っていない。小山田氏サイドでは「炎上している」という事実を把握するので精一杯だった頃だろう。「一応、連絡はした」といった言い訳にしか過ぎないように読める。

(引用元「こべにのコタツ記事」id:kobeni_08


 中原一歩は、どのメディアも「小山田氏本人に当たった形跡がない」と言っているが、これでまたウソが判明した。

 毎日新聞はこの段階で、きちんと事実関係を照会している。
 だが、小山田側は現在まで「週刊文春」の中原一歩によるインタビュー取材以外受けていない。取材拒否を貫いているのだろう。
 したがって、2時間待とうが半年待とうが、同じことである。
 むしろ、ちゃんと裏取りのために「小山田氏本人に」当てて取材依頼している山下智恵記者は、えらい。

 それよりも、「15日午後6時現在、回答は寄せられていない」という文章を読んで、「記事のリリースは同日の19:59だ。たった2時間しか待っていない」と計算するこべには、本当にマスコミ関係で働いているのか?
 いや、算数ができるのか?

「15日午後6時現在、回答は寄せられていない」のだから、当然、取材依頼はそれ以前になされている。

 午後6時に記事の執筆を終え、19:59にリリースされたのである。つまり、2時間とは校閲作業の時間であり、小山田への取材依頼から何時間待ったのかは書かれていない。

 それなのにこべには、「たった2時間しか待っていない」と誤解をしたまま、「『一応、連絡はした』といった言い訳にしか過ぎないように読める」と悪し様にののしるのである。
 小学生でもわかるこんなデタラメが、現在に至るまで訂正もされずに拡散され続けているのだ。

 こべには、私に一切取材することなくデタラメを書き、訂正を申し入れても聞く耳を持たない。こたつライターに、マスコミを批判する資格などない。

小山田圭吾は「凶悪殺人犯」のファンだった

 こべには、次のように書いている。

小山田圭吾氏は21年8月現在、インターネット上で「猟奇的犯罪者」と呼ばれるまでになっている。小学校から高校まで「長年に渡り」いじめを繰り返し、またそれについて「笑いながら自慢した」人物。そのようなイメージが、既に多くの人に浸透してしまった。

7/16夜に小山田氏の発表した謝罪文には、

記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが」

との記載があるが、一度ついてしまった「猟奇的犯罪者」のようなイメージを、ここからどのように実像まで取り戻せるだろうか。

(引用元「こべにのコタツ記事」id:kobeni_08

 こべにが思っている小山田圭吾の「実像」が、本当に彼の「実像」だとどのように証明できるのだろうか。証明できなければ、それは元オリーブ少女の勝手な妄想に過ぎない。
「村上清のいじめ紀行」を書いた村上清の目には、小山田圭吾の「実像」は次のように映っている。

「この対談、読み物としては絶対面白い物になるだろうし、僕も読むけど、自分がやるとなると……(苦笑)」

『月刊ブラシ』のことは覚えていてくれたものの、やはり引き気味のコーネリアス。しかし話をしていくうち、お互いいじめ談義で盛り上がってしまう。小山田さんは、いじめグループの中でも"アイデア担当"だったらしい。僕の確信は間違ってなかった。小山田さんもこういうのが好きなのだ。
 大体、昔テレビの「私のお気に入り紹介」みたいなやつで、他の人は好きなパンとか好きな文房具とかを紹介してるのに、一人だけアメリカ凶悪殺人犯のトレーディング・カードを紹介していたぞ。
 小山田さんとのいじめ談義は、同じ学校の奴とバカ話しているようで、凄く楽しい時間だった。独り占めするのはもったいないので、僕がシビレた話を掲載しよう。

(引用元「村上清のいじめ紀行」P55)

 
 テレビの「私のお気に入り紹介」で、一人だけアメリカ凶悪殺人犯のトレーディング・カードを紹介するような自己演出を行っていたのだから、その結果「猟奇的犯罪者」のようなイメージで見られるようになったとしても、自業自得だとしか言いようがない。
 毎日新聞には何の責任もない。

モーリー・ロバートソンの名誉回復のために

 こべにの検証という名のヨタ記事は、この後もモーリー・ロバートソンへの誹謗中傷が続く。
 これを逐一反証するつもりだったが、長い記事になってしまったので、後日としたい。

 とはいえ、要点だけ先に述べておこう。
 モーリー・ロバートソンのツイートも、雑誌記事に基づいた論評である点で、「はるみ」氏のツイートと本質的には同じである。個人の意見の表明であるから、何の問題もない。

「朝鮮人へのいじめ」はあった

 モーリー・ロバートソンが「本人いわく『朝鮮人』という男子へのいじめを悪びれることなく告白している」と書いたことを、こべには次のように問題視している。
 

 朴くん(仮)は、クラスでからかわれた「いじめられっ子」として、小山田氏が回想したもう一人のクラスメイトだ。だが、ここの一連の文章に、彼がいじめをした・あるいはいじめを放置した、という描写はない。「手の上げ方がおかしくて、クラスメイトからは最初『変わってる』と認識されてしまったけど、自分は喫茶店に一緒に行ったり、『そんな(厳しい親の)家、出ちゃえよ。うちに泊めてやるからさ』と言ったりする仲だった」というふうに読める。

からかわれるようになってしまった理由について小山田氏は、「これ、実は根深いんだけど」と述べている。朴くん(仮)にとっては普通の挨拶が、彼の人種が違い習慣が違ったために、日本人のクラスメイトに笑われてしまった。そのような、差別・いじめが生まれる構造を「根深い」と述べているのだ。決してポジティブな意味合いではないと思うが、これが「悪びれることなく語っている」ことになるのだろうか。

(引用元「こべにのコタツ記事」id:kobeni_08

 
 私の記事で「コミュニケーション操作系」のいじめを知った人は、これもいじめだと理解できるだろう。
「村上清のいじめ紀行」という記事の中で、話題にされたことさえ、当人が知ればショックを受けるはずだ。そもそも小山田は村上清から、いじめた側の人としてインタビューを依頼されて、話しているのである。いじめた体験を語っていると考えるのが妥当である。
 
「悪びれることなく語っている」というのも、モーリー氏の感想である。そう思う人もいれば、そう思わない人もいる。それだけのことだ。私もこれを読んで「悪びれることなく語っている」と思った。

 これは報道として正しいとか、誤報だとかという問題ではない。
 こべにが間違っているのは、モーリー・ロバートソンのツイートを報道だと考えて、事実と違うなどと批判していることだ。モーリー氏はジャーナリストという肩書だから、そのツイートも報道だというのは、いくらなんでもおかしいと気づくだろう。
 モーリー氏は、他の人と同じに、新聞報道や雑誌記事に基づいた感想をツイートしただけだ。
 何の問題もない。

「村上清のいじめ紀行」の最後には、朴さんの消息も語られている。
 以下に引用しよう。
 

 全然消息のつかめなかった、朴さんの事も報告した。

「今、なんか『朝鮮のスパイだった』って噂が流れてて(笑)。『俺ら殺されるわ』とか言って。ホントにいなくなったっていうのは、僕も誰かから聞いてたんですよ。誰も連絡とれなくなっちゃったって。だから噂が流れて」

―――いま会ったら、何話します?

「あやまるかなあ、スパイだったとしたら(笑)。とりあえず『ごめんなさい』って。でもそんな朴とか、一緒に遊んでたからな。あやまるっていう程でもないかな」

(引用元「P68-69) 

 世間の批判を浴びた三浦瑠麗の「スリーパーセル」発言を持ち出すまでもなく、小山田圭吾のこの発言は朝鮮人への偏見に満ちている。これを読んでいながら、いじめはなかったと主張しているのであるから、「エクストリーム擁護」と言われて当然である。

匿名の人から聞いた話を論拠に使う片岡大右は研究者失格

 こべには、小山田圭吾の無実を証明するのに、人から「聞いた話」を持ち出すのである。

 ここで、和光学園の当時の同級生(小山田氏の一つ下の学年)の方から聞いた話を挟む。
(引用元「こべにのコタツ記事」)

 こんなものが証拠になると思っている時点で、「検証」を行う能力がない。どこの誰かもわからない人から聞いた話を読まされて、読者が納得すると思っているのか。ばかばかしい。常識で考えればわかる。

 こべにとは、しょせんこの程度のこたつライターである。

 ところが、ここまで検証してきた記事は、こべに単独の執筆ではなく、じつは片岡大右というフランス文学の研究者が協力しているのである。
 片岡大右というのは東大で博士号を取得しており、DEA(パリ8大学)の学位も取得している。それでいて、このありさまである。人から聞いた話を、論拠として引用して平気なのである。
 やはり、朝日新聞論説委員の藤生京子から「ほぼ無名の仏文学者」と書かれてしまうだけのことはある。(「朝日新聞デジタル」2019年12月22日)

 片岡大右は、「長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす」という論文を、岩波書店編集部のサイトに掲載している。読むとたしかに、こべにの検証と同じことが書かれている。ということは、信憑性のないヨタ記事だということである。

 さらに、脚注として書かれた次のような記述をみると、片岡大右はこれまで研究者として何をやってきたのかと思う。

(注10)なおこの件の初期報道については、ブロガーのkobeni(こべに)による詳細な検証記事「小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証 その1. 拡散までの経緯、初期報道の問題点」も併せて参照されたい。

(引用元「長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす(1)」)

 参考文献として自分の論文を挙げることは、べつに許されよう。
 だが、自分が執筆に協力しておきながら、それを隠し、「詳細な検証記事」という賛辞まで添えて紹介するのは、いかがなものか。
 まさか東京大学やパリ8大学が、このような不正を指導するはずがないし、このような論文を認めるはずもあるまい。
 一発アウトである。

 博士号まで持ちながら非常勤講師の職しかない高学歴ワーキングプアには、なにか人間性に問題があるのかとも想像したが、そうではなく、研究者としての能力がない者にさえ博士号を乱発した制度上の問題であろうか。

note.com

岩波書店の死んだ日

 問題の本質は、こんなヨタ記事を掲載した岩波書店である。

 片岡大右はこべにと親しく、小山田圭吾の騒動が起こって以来、Twitterでしつこく何カ月にもわたり、私への誹謗中傷を繰り返してきた。まさに率先して、思想統制と言論封殺の旗を振っている文筆家の一人である。

 岩波書店は、戦時の軍国主義にあって出版統制の対象となり、多くの著作が危険思想との烙印を押されて発禁処分とされた。津田左右吉も岩波茂雄も出版法違反という罪で起訴されている。
 思想統制と言論封殺には、なおさら敏感なはずである。

 また、『人権読本』『人権は国境を越えて』『ヘイト・スピーチとは何か』という本を出している出版社でもある。

 岩波書店編集部には、もはやそうした歴史さえ知らないスタッフしかいないのだろうか。
 残念なことである。




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