モードとしての人種差別

とくに選んだわけじゃないのに、最近見た映画に、人種差別をテーマとするものが、いくつか。

『クラッシュ』ポール・ハギス監督
マンダレイラース・フォン・トリアー監督
『隠された記憶』ミヒャエル・ハネケ監督

もちろん、表現方法は、それぞれ違いますし、『クラッシュ』『マンダレイ』の舞台はアメリカで人種差別を直接に描いていますが、『隠された記憶』は、フランスにおけるアルジェリア人差別を、主人公の内なる「やましさ」として描いています。

ブロークバック・マウンテン』もゲイ差別であるし、これからも、こういうテーマの映画が増えるのか。

映画のストーリーというものは、人物の葛藤を描くものだから、差別というのはまさに深刻な葛藤を生むものであるし、差別というテーマを、タブーなく使えるとするなら、おもしろい物語を、作れると思いますが、そういう映画ばかり増えますと、ありふれた出来事になってしまうという逆説。

差別というものは、ありふれた出来事になったほうがいいのか、よくないのか。