ヘルメットのきみ

鴻上尚史『ヘルメットをかぶった君に会いたい』(集英社)を、読みました。
深夜テレビの、通販番組。昔のフォークソング集のCDを宣伝していた。そこに、1969年頃の学生運動の映像が流れる。
鴻上氏は、その映像に一瞬写ったヘルメットをかぶった女性活動家に魅了され、彼女が今、どこで何をしているのか、追い始める。
なかなかロマンチックな、動機ですけどね。
これは、小説(フィクション)ということだけど、モデルとなっている女性は、実在するし、おれも気になってネットで検索してみたら、ものの1時間もかからずに、彼女の本名も、属していたセクトも、わかりました。まあ、かつて”マドンナ”と呼ばれたほどの、女性ですから。
ついでに、鴻上氏が書き込んだと思われる2ちゃんねるのログも。
それによれば、2005/04/06の段階で、鴻上氏は、彼女の消息をある程度つかんでいたと思われ、小説に書かれたエピソードの多くは、まあ、創作かなと思います。
わりと長い小説だけど、その大半は、かつてエッセイなどに書かれたことの繰り返しか、焼き直しで、それはそれで面白い部分もあるのだけど、鴻上も映画で大コケし、演劇でも三谷幸喜松尾スズキに、水をあけられ、けっきょくもう昔の思い出話しか、ないのか、てな感じ。
それで、ヘルメットの彼女は、現在、55歳くらいになっていて、電波法違反(警察無線の傍受、漏えいなど)の罪で、指名手配中であります。
なんと、まだ現役だったのですね。
そういえば、テレビ番組の「探偵ナイトスクープ」で、むかし、学生時代にアルバイトをしていたソバ屋さんで、とてもお世話になった店員がいて、その店員に会いたい、消息を捜してください、という依頼が来て、桂小枝さんが捜しに行ったら、その人は、まだ同じソバ屋で働いていた、というオチがありました。
つげ義春の『李さん一家』みたいに、「その一家は、今もまだ、その家にいるのです」
でもまあ、19歳の美少女が、55歳となった現在も、この世のどこかで、身を潜め、革命を信じ、今もなお警察無線の傍受とか、やってるのかと思うと、なにか意味もなく、勇気づけられるものがありました。
ま、勇気づけられるというのは、変かもしれないが。
作中で、かつて学生運動にかかわった文芸評論家が、

「幸せになりたいと思っていましたが、
人より、よけいに幸せになるのはよそうと思っていました」

と、ロマンチックな真情を述べるのだが、内ゲバなんて、暴力団の抗争みたいなことを、やっておきながら、彼らがヤクザとちがうのは、ヤクザなら、他人を踏みつけてでも、おのれの、ブルジョア的な快楽が満たされればいいというただそれだけの生き方なのに対し、彼らは、まるで自分を罰するように、社会的地位も、快楽も捨て、理想のために生きようとしている、まあ、それも一部の、生真面目な人だけかもしれないが。カルトに洗脳されただけ、という見方もできるけど。
それでこの小説では、彼女が今も現役の活動家であることから、その筋の人から、

「面白半分で人の人生を追求すると、君が廃人になるよ。
たたかいは続いているんだから。すぐにやめるんだ」

なんて脅迫を受けたりもするんだけど。
たぶん、昔のビデオに写っている彼女を見て、惚れた、という動機と、こんな本まで出してしまう行為が、けっきょくは、テレビの「あの人は今」というのと、変わらない「面白半分」の追跡とも、受け取れるわけです。
でもまあ、むかし好きだったあの人が今どこで、何をしているか知りたい、というのは誰だって思うだろうけど。
『舞踏会の手帖』ですね。
それで、この小説を読み終えて、街に出ると、高校生くらいのカップルを見かけて、40年後の、彼らの人生をふと想像してみたり。