【外山恒一】女性への傷害事件とストーカー

 電八郎著『外山恒一と中原一歩 ある政治活動家の光と影』より、第5章「弱い者がさらに弱い者をたたく」の章から、外山恒一が最初に有罪判決を受けた事件を調べた「女性への傷害事件とストーカー」を公開します。
 興味を持たれた方は、ぜひ本編もご一読ください。
 なお、現在も追加取材を進行中。関係者からの情報提供をお待ちしています。


 1999年3月8日午前6時頃、外山恒一は交際女性の側頭部等を平手および手拳で多数回にわたって殴打する暴行を加えた。被害女性は、後頭部にこぶ、背中や肩などに痣ができるほどの傷害を負い、鼓膜も破れていた。民事裁判の訴状によれば、同年1月、被害女性は外山の子を妊娠し、外山に相談したが、「自分には関係ない」「何の興味もない」と言われ失望し、中絶手術を受けた。手術当日、外山は同行したものの女性を気遣う様子はなく、女性は別れを決意した。しかし別れ話を切り出すと、外山が泣いて拒んだため、関係を清算できないまま時が過ぎた。
 事件前日、外山は女性のアパートを訪れ、セックスを求めたが、女性が拒否すると外山はふてくされて寝た。しかし、翌朝再びセックスを迫り、これも拒絶されて暴行に及んだ。
(外山恒一「〝フェミニスト〟をやっつけろ! 反「フェミニズム」裁判HP」民事裁判・資料・訴状)
https://web.archive.org/web/20010715160235/http://ww7.tiki.ne.jp/~newestleft/sojo.html

 なお、以下に引用する記事は1994年に雑誌『バンドやろうぜ』(宝島社)に掲載されたもので、そこで語られている女性は本件とは別の人物とみられる。しかし、以前から、外山が同種の女性問題を繰り返していたことはうかがえる。

 ある女性を妊娠させてしまった。
 もちろんそのこと自体がどうだというわけではない。わざとやったわけではない。
 結局堕ろしたのだが、妊娠を知らされてから堕ろすまで、ちっとも深刻になれなかったのだ。(略)
 彼女が最初に「子どもが出来たみたい」と深刻な声で電話をかけてきた時も、べつに大してショックでもなくて、まあどっちにしろ堕ろすことになるんだから金のことは心配だなあと思ったが、頭の中では「おれは種ナシではなかったのか」などと呑気なことを考えてしまったのだ。
 実際に堕ろすまでの約一週間のあいだ、彼女が「生むか堕ろすかまだ迷っている」と云った時も、なんとも思わなかった。おれとしては生んでもらっても全然かまわなかったし、その場合には子育てをしないわけにもいかないなあと思ってもいたが、問題は彼女だ。たかが子どもを生んだぐらいで結婚する気はないし、仮に役所に届けを出すことはあり得るにしてもそんな紙切れに縛られる気はない。あっちこっちに女をつくるぞという基本方針は変わらない。もしかしたら他でも子どもが出来るかもしれない。おれにとってはどうってことないが、果たしてそういう状況に君は耐えられるのか? と彼女に訊くと、耐えられそうにない返事がかえってきたので結局堕ろすことになったのだ。おれと付き合う女はつくづく大変だ。なにしろ道徳が不自由なのだ。彼女は泣いたが、ちょっと困りはしたが心が痛むということはない。

(外山恒一「「ある女性を妊娠させてしまった。だが…」所収『バンドやろうぜ』1994年4月号・宝島社)
https://web.archive.org/web/20010421061503/http://ww7.tiki.ne.jp/~newestleft/i3-1-15.html

 女性に暴力をふるったとの事実は、外山が構築しつつあった「福岡版だめ連」交流圏に直ちに影響を及ぼした。同年3月下旬には、長年の同志であった矢部史郎・山の手緑らが福岡入りし、事件を「ドメスティック・バイオレンス」として問題視した。外山の言い分によれば、外山を排除するための「欠席裁判」が開かれ、約100名規模のネットワークは混乱し、一挙に崩壊へと向かう。
 外山の言い分によれば、事情は以下のとおりである。

「せっかく進むべき道が見えてきたところで、すでに「だめ連・福岡」を名乗っていた外山流の〝交流圏〟はあっけなく崩壊する。当時付き合っていた彼女を痴話喧嘩の末に殴ってしまい、下手に〝交流圏〟など形成していたものだから(〝DV〟問題に目ざとい〝メンズリブ〟運動まで引き込んでしまっているのだ)、彼女の側が圏内の幾人もに(もちろん自分の側に都合よく話を加工して)〝相談〟しまくり、やがて東京から矢部・山の手までが乗り込んできて、〝外山糾弾〟の機運が盛り上がってしまうのである。当時の外山はむろん気づかなかったが、矢部・山の手が何度も繰り返す行動パターンを踏まえれば、これは要するに、外山が福岡で作り上げた一定規模のネットワークから外山を追放し、それを簒奪してしまおうという矢部・ 山の手の策謀だったことははっきりしている。」

(外山恒一『全共闘以後』イースト・プレス、463頁)

 被害女性は外山に明確な別れを告げ、5月には転居したものの、外山の執拗なつきまといは止まらなかった。6月になると、外山の友人からストーカー行為をやめさせる手段として、「2週間に1度、5分だけでいいから外山と会ってほしい」と提案される。女性は、これで外山がストーカー行為をやめると約束するのであればと、やむなく応じることにした。
 その結果、〝外山は女性の別れたいという意思を尊重し、7月から2か月間、週1回会うことを了承し、その後は徐々に回数を減らしていく〟という合意が成立した。両者の関係を整理するためのルールを定めた「協定書」が作成され、共通の友人が立会人となった。
 だが、外山の誕生日である7月26日、台風接近との理由で女性が面会を断ったところ、外山は電話で「これ以上怒らせるな」と脅し、女性宅に押しかけて「ぶっ殺してやる」などと怒鳴りちらし、女性が警察に通報すると、窓ガラスに石を投げつけて帰った。

 同年10月18日、女性は、外山の友人から、外山が女性の顔写真と実名の入ったビラをまいていると知らされた。しかも、外山はその友人に、ビラを女性本人に届けるよう指示して、ビラを渡していた。
 翌2000年3月19日、女性は福岡県警中央署に、被害届と告訴状を提出するに至った。
 すると、外山はミニコミ誌『月刊外山恒一』を制作し、表紙には女性の顔写真と実名を載せ、中絶の事実なども記載し、東京のミニコミ専門店に持ち込んで販売した。さらに、外山はホームページでも女性が中絶したことや暴行を受けて鼓膜を破られたことなどを書きたてて侮辱した。

 また、3月18日、山の手緑に対しても頭や顔を拳で3、4発殴るという暴行を働いた。先述のとおり、矢部史郎・山の手緑は外山の傷害事件を問題視してこれを活動家仲間に伝え、また、『情況』(1999年5月号)に論文を寄稿した際に、末尾の筆者近況報告欄に以下のとおり書いた。

「先日、知り合いの活動家がサイコパスだったことが判明。運動を組織しながら、女を殴っていた。女を殴るぐらいなら運動なんかやるな。関係者に根回しして排除したら、恨みのファックスを送り付けてきた。気持ち悪い。」

(矢部史郎・山の手緑「負債とファシズム」所収『情況』1999年5月号)

 外山は「サイコパス」と書かれたことに激怒した。加えて、「女を殴るぐらいなら運動なんかやるな」という点にも反発し、「女を殴った奴にも、人を殺した奴にも、『運動』をやる権利がある」と主張した。そして、「恋愛問題への政治的介入に対する報復」として、「矢部・山の手グループ事務所に宅配便業者を装って侵入し、一方的に殴る蹴るなどして撤収。経緯を手記にまとめパンフにして配布」する(活動年譜02)。
 外山はこれを「テロ」と称し、次のようにも述べている。

「もちろん、ぼくはHを殴ったことそれ自体を反省していない。怒った時には、相手が男であろうが女であろうが、また恋人であろうが赤の他人であろうが、殴っていいのだと当時も今も思っている。」

(外山「なぜ山の手緑をテロったのか」所収『外山恒一vs矢部・山の手 外山側の見解』)
www.warewaredan.com


 騒動の渦中にあった1999年には、「桶川ストーカー殺人事件」が発生している。
 女子大学生が元交際相手の男を中心とする犯人グループから嫌がらせを受け続けた末に殺害されるという悲惨な事件で、埼玉県警が被害者側の訴えに対して必要な措置を取らなかったことも問題とされた。これを契機として2000年、ストーカー規制法(ストーカー行為等の規制等に関する法律)が制定・施行された。
 このようにストーカー行為への社会的関心が高まる中、外山恒一は雑誌『AERA』(2000年5月15日号・朝日新聞社)の取材に応じ、それは「ストーカー男性の告白 彼女の体を傷つけたい」と題する記事として掲載された。
 この記事で外山は以下のとおり述べている。

「ストーカーするのは、恋愛がうまくいかなくなって関係を切られたからです。別に悪いことだとは思いません。理不尽な形で関係を切られたら、追いかけるのは当然じゃないですか。
最近では、昨年の春ごろ。一年半ほど付き合った相手です。
 彼女が妊娠したとき、僕は何も言わなかったんです。産む産まないは、女性が決めることだと思ってたので。結局、彼女は産まなかったんですが、それ以来、心を閉ざしてしまった。しまいには無視され、「別れてほしい」と。
 訪ねていっても、会ってくれない。手紙を二日に一通は書き、長いときは何十枚に。それでもだめで、四六時中、電話をかけてたら、「週に一回だけ会う」っていう約束に。でも、彼女がそれも守らないので、石を投げて家の窓ガラスを割ったんです。約束を破ったのは、彼女なんです。
 一度だけ殴りました。拳で三、 四発。加減がわからなくて、鼓膜を破っちゃった。告訴され、僕も疲れたので、やめましたけど。」

「振り返れば、これまでも似たようなことを繰り返してきました。 たとえば、昆虫マニアとからかわれたときに、全文を暗号化した抗議の手紙を出したり、好きな相手に三年間、誕生日のたびにプレゼントを贈ったり。学中見舞いや年費状は、好きな人がまわりにパレないよう、クラスメート全員に出していました。
 高校時代は、少女漫画誌の文通優に載ってる女の子に片っ端から手紙を書き、新しい相手ができるたび、地図帳に赤で印をつけました。好きな女の子が寝ている横で三十分間、寝息をテープに録ったこともあります。」

「ときに、相手のことが心配になったりもするんです。僕にストーカーされるのが嫌で、自殺してないかって。自宅まで行って自転車がないと、「ああ、逃げたんだな」ってホッとしたりする。自転車があれば、家の中で死んでないかって、 また電話をかけてしまう。
 もちろん、殺してやりたいと何度も思いました。入れ墨ができないので、皮をはがしてペンキを流し込んでやろうとか、僕がどこかでエイズに罹って強姦してやろうとか。消えない傷を残したくなるんです。ああいう殺人事件が起きるのは、よくわかります。
 こっちは拒絶されて傷ついてるわけです。僕をわかってほしい。 そう思って近づいても、もう相手は心を閉ざしてる。なかに入れてもらえない。傷つけることもできない。だから、体を傷つけるんです。僕がこれだけ傷ついてるんだから、同じように苦しんでほしい、 と。心の傷は見えないから、目に見えるかたちで。」

(諸永裕司「ストーカー男性の告白 彼女の体を傷つけたい」所収『AERA』2000年5月15日号・朝日新聞社)

 この身勝手で病的な自己愛に満ちた告白は、外山の認知の歪みと倫理観の欠如を世間にさらし、被害女性の精神的苦痛をいっそう深める結果となった。被害女性は、この記事がプライバシーを侵害しているとして『AERA』編集部に抗議し、同誌は後日、謝罪文を掲載している。
 なお、外山のストーカー行為に対する認識は現在も変わっていない。本人は自らの行為を改める意思を示さず、逮捕された政治活動家が拷問を受けても思想を変えないことになぞらえて「非転向」を貫くとうそぶいている。
 外山は、独自に「外山恒一賞」なるものを設けており、これは反体制的な右翼運動・左翼運動・前衛芸術運動などの分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を外山が独断で選び、一方的に授与するという趣旨のものだ。その「第13回・外山恒一賞」ノミネートとして、実在のストーカー殺人事件の犯人を取り上げ、次のように讃えている。

 前回に引き続き、まずは世間で非難轟々、鬼畜扱いの革命的犯罪者を顕彰しておこう。
 今年1月16日、福岡市の博多駅近くの路上で38歳の女性が元交際相手にメッタ刺しにされ殺害された。殺害した側が31歳の寺内氏である。報道では、「女性から別れを告げられたあとも職場に押しかけるなどの行為を繰り返し、事件のおよそ1か月半前、警察からストーカー規制法に基づく『禁止命令』を受けていました」(NHK福岡放送局・3月14日)などとされ、事件直後の報道では〝逆恨み〟との表現もよく見かけた。
 だがちょっと待て。とっても良識的な私のバランス感覚では、警察を介入させたことを恨むのは〝逆恨み〟ではなく〝正当な恨み〟である。
 むろん程度の問題というものはある。切り出された別れ話に納得できなくて「考え直してくれ」と食い下がった結果、何ヶ月か揉めてしまうぐらいのことは〝よくある話〟だと思うが、何年もつきまとい続けたら、そりゃあ警察に相談されても仕方がないと私だって思う。〝よくある話〟と〝警察に相談されても仕方がない〟レベルとの境界はケース・バイ・ケースだが、別れ話がコジれ始めたらいきなり警察に駆け込む、なんてことであれば駆け込むほうが百パー悪い。
 で、実際どうなのか?
 西日本放送の報道(2月16日)によれば、交際が始まったのは2022年4月、別れ話を切り出されたのが同10月、警察が寺内氏にストーカー規制法に基づく〝つきまといの禁止命令〟を出したのが同11月26日とのことである。つまり殺された女性は、別れ話を切り出してから最大でも2ヶ月足らず、ことによると1ヶ月足らずで警察を介入させたことになる。警察も相談を受けてすぐ動くわけではあるまいから、別れ話を切り出す→警察に駆け込むの時間間隔はさらに短かったはずである。
 私は断固として寺内氏の肩を持つ。

(外山恒一「第13回・外山恒一賞 受賞者発表」2023年5月12日)
note.com


 外山自身に省察の気配は終始うかがえない。その姿勢は歳月を経ても揺らぐことなく、そして後に述べるように、54歳を迎えてなお30歳下の女性に対するストーカー事件を引き起こすに至る。外山の言動は、若き日の過激な自己演出がそのまま老境へと持ち越されたかのようであり、そこには変わらぬ信念と、変わらぬ問題性が同居している。