科学とは何なんですか

 ぶっちゃけ、カール・ポパーのいう反証可能性というのが、よくわからない。だれか、バカにもわかるように説明してくれないか。
反証可能性を持つ仮説のみが科学的な仮説である」というのは、なんとなくわかる。わかったつもりで、科学とは仮説である、と考えている。
 それで、堀江憲一郎『いつだって大変な時代』(講談社新書)を読んでいたら、つぎのような記述があった。(「第2章 科学とはただの妄想かもしれない」)。
 天気予報の話である。天気予報は、外れることがある。気象庁の「梅雨明け宣言」も、外れることがある。

 彼らは何をしているのか。
 それはデータを収集しているのだ。今の状態を記録する。それをどんどんと積み重ねてゆく。それが嬉しいのだ。
 これはどういうことかというと、たとえば「降水確率0%」だと発表した日に雨が降ったとする。そのとき、この人たちはどうおもうか。「うわー、0パーセントと言ってしまってはずしてまずかった」とはおもわない。それは現場で発表している気象予報士に任せてある。気象予報士は科学ではなくてマスコミです。降水確率0%のときに大雨が降ったりしたら、彼らがおもうのは「うわーすげー、すげー珍しい現象だー。おもしろい。克明に記録しなきゃ」ということである。つまり、虫の研究者が珍虫を発見して興奮しているのと同じである。今までの概念とは違うものが存在した時に、現場では科学者はひとり興奮する。それとまったく同じだということだ。
 気象庁の基本的気分が科学なのか役所なのかはむずかしいところだけれど、そのおおもとのところ、気象に対する心持は、つねに観察と発見であり、また自分たちの征服してるものではないという認識にある。神に相対峙しているのと同じだ。
 科学的な態度の基本はそこにある。
 科学的成果の恩恵によって便利な世の中に生きているとおもってるわれわれは、科学はまたとてもクリアーで明晰なものだと想像しがちであるが、根のところは無知もしくは未明な部分を探っているばかりで、つねに神と対峙していることに近く、じつに不分明で、混沌としていて、ただの珍虫探しに熱狂しているという部分がないわけではない。そういうことを忘れちゃいけないってことでもあります。
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