あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」が抗議により中止された。しかし作品が撤去されたわけではなく、展示室の入り口が封鎖されているだけらしい。閉ざされた室内に作品を並べて誰にも見せない、というのもある種のインスタレーションを思わせ、これはこれでいかにも現代美術らしくはあるまいか。
ともかく中止されたことで、私もこの美術展を見ることが叶わなくなったが、それでもどのような作品が展示されていたかは知っている。主催者のサイトには概要が載っているし、展示内容に怒った人たちが無断で画像をtwitterなどに投稿してくれたおかげだ。皮肉なことに中止になったおかげで、現代美術などにまったく興味がない人にまで作品が知れ渡ることになった。これもまた、ある種のコンセプチュル・アートを思わせる、じつに現代美術らしい現象である。
「表現の不自由展・その後」というのは美術館などで展示を拒否された作品を集めたものだが、そうした封印作品がどのような形であれ陽の目を見るのはじつに結構なことではあるまいか。それなのに実行委員会は美術展の中止は表現の自由への侵害であり、「戦後日本最大の検閲事件」とまで言う。
しかしながらこの美術展は当初、来場者が作品の写真や動画をSNSに投稿することを禁じていたのである。これでは美術展に足を運べる人しか作品を見ることができない。それが表現の自由をうたう美術展にふさわしい展示のあり方であろうか。
芸術作品というものは、その作品を見る資格のある人だけが、鑑賞すべきものなのだろうか。美術館の中でしか鑑賞してはいけないものなのだろうか。美術館の中で限られた人にだけ鑑賞されることを、作者たちも望んでいるのだろうか。
現代美術展の主催者がヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』を知らないとは考え難いが、美術館の中にこそ本物の芸術があるという、このような芸術作品の「アウラ」を捏造するやり口こそファシズムである。
展示作品の中で私がなんともばかばかしいと感じたのが、「9条俳句」である。公民館の俳句サークルで第1位に選ばれたというこの俳句は、政治的だという理由で、公民館側の判断により月報に掲載されなかった。それゆえ、これは「表現の不自由展・その後」に出品するのにふさわしい作品だということらしいが、たかが俳句である。俳句というテキストをどうやって展示するのかと思ったら、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と、紙に書いてあるだけである。こんなものをわざわざ美術館に展示する必要があるのか。
「表現の不自由展・その後」の再開を求める声も多いというが、それはせっかく野に放たれた封印作品を、再び左翼活動家や現代アートおたくの閉鎖的なコミュニティの中に封じ込めることになりはしないか。
われわれは『複製技術時代の芸術』の、後の時代を生きている。著作権の問題を別にすれば、たとえ写真や動画であろうと誰でもが好きなようにその作品を鑑賞できることの方が、より自由な開かれた社会ではあるまいか。
censorship.social
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