テレビの品格

文芸春秋』10月号
テレビの品格を問う みのもんたから亀田兄弟まで

永六輔黒柳徹子久米宏、の御三方が、テレビの現状を嘆いてらっしゃいます。

そこで、永六輔氏のこんな発言。
明石家さんまが、白洲次郎を紹介する番組について。

ぼくも生前の白洲次郎・正子ご夫妻をよく存じております。

お手紙もいただいたことがあるし、本当に尊敬しています。
さんまも白洲さんが好きで、その生き方に共感しているようですが、ぼくは番組を見ていて、久しぶりにテレビをぶっ壊そうかと思ったほどだった。

たぶん作っているスタッフは面白い番組だ、と自負していたに違いないし、白洲次郎という人物の魅力を伝える役目として明石家さんまは適任だ、という作り方をしていた。
でもそれは大いなる勘違いなんです。

はっきり言えば、あの白州さんをヨシモトの友達のように語ってもらいたくない。
その傲慢さは、テレビという世界の向う見ずな部分というか、怖さを感じさせてくれました。

まあ、永六輔さんのお怒りは、もっともだと思います。

しかし、少し引っかかりを覚える箇所があるとするなら、そう発言する永六輔の側には、傲慢さがないのだろうか。
お笑い芸人ふぜいが、文化人について語るな。

つまりは、そういうことを、おっしゃっているわけです。

永六輔さんをはじめ、文化人の先生方は、好んで芸人について語るのだけれど、それなら、芸人が文化人を、語ってもよいではないか。何をそんなに怒るのか。

ようするに文化人というのは、自分の寛容さを示したいがために、芸人を取り込み、しかしながら自分が、芸人ふぜいと同列に扱われるのは拒む、そういう差別意識においてのみ、芸人を評価しているのではないか。
永六輔黒柳徹子久米宏の番組に、さほど品格があるとも思いません。
彼らはもう、過去の人でありましょうが、今のテレビに品格がないと嘆くなら、そのテレビを作ってきたあなたたちにも、いくらかの責任がありましょう。