1988年のセクハラ すちゃらかフェミに答える

 おれが書いた上野千鶴子はものすごいという記事に、「すちゃらかフェミ」を名乗るid:akupiyoが、次のようなコメントを寄せた。

id:akupiyo
ほんとに上野の本読んだんか、と疑いたくなるような読解力。ちなみにこの本が出た時はセクハラという言葉さえなく、訴えた被害者が解雇されたり強いものがやりたい放題だったんですのよ。

 これに答える。
 上野の『女遊び』(学陽書房)が出たのは、1988年6月である。
 ウィキペディアによると、「セクシャル・ハラスメント」という言葉は、1970年代初めにアメリカで生まれた造語である。日本では、1986年「西船橋ホーム転落死事件で加害者の女性を支援する女性団体が、セクハラという言葉を使い出した」との記述がある。
 1988年となれば、「セクハラ」という言葉あったことは明白である。翌年の1989年には、「セクシャル・ハラスメント」が新語・流行語大賞さえ受賞している。
 id:akupiyoは、いったいどういう根拠で、「セクハラという言葉さえなく」と書いているのか。
 当時、セクハラという言葉が一般には広まっていなかったという理由で、「なかった」ことにしたいのかもしれない。id:akupiyoにしてみれば、当時はなかった「セクハラ」という言葉を使って、おれが先の記事で上野千鶴子の愚劣な行為を「セクハラ」だと批判したことが気に食わないわけだ。
 これは事後法の問題である。あとから法律で罪を作って、裁くということは許されない。大陸法系近代刑法における原則である。
 東京裁判では、第二次世界大戦時には存在しなかった「人道に対する罪」と「平和に対する罪」という罪が新しく作られ、これによって裁かれたことが今なお議論されている。
 事後法は許されない、よって戦犯らは無罪である。現在の価値観で過去の戦争犯罪を裁くな、というのがid:akupiyoの立場なら、それもよかろう。
 ちなみに第二次世界大戦時に、従軍慰安婦という言葉はなかった。
 パワハラアカハラ、という言葉もセクハラ以後の造語であるから、その言葉ができる以前の行為を批判するのは許されないと考えるか。児童虐待はどうか。上野が『女遊び』において得意げに記した、男子児童への性的嫌がらせを俺は批判したが、それも当時は児童虐待という言葉はなかったから許されるというのか。
「ほんとに上野の本読んだんか、と疑いたくなるような読解力」という文言は、あなたにそのままお返しする。
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女遊び

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