ようつべに「教育基本条例を寸劇で」という動画がある。この寸劇に、演劇の原点を見た。おそらく築地小劇場で上演されていたプロレタリア演劇というのは、このようなものであったろう。
『歌わせたい男たち』も『ソウル市民』も『僕たちの好きだった革命』も、左翼演劇である。しかし彼らは頭がいいから、公正中立であろうとする。みずからの左翼的立場を、自己批判したりもする。しかしそれは利敵行為ではないか。ごまかしではないか。左翼なら、もっと左翼らしくあれ。日教組のように。
これはちょっと自分の演劇観がひっくり返るような、おもしろさである。本来の意味での前衛演劇である。チェルフィッチュも五反田団もシベ少も、まったく及ばない。高いチケットを買って、蜷川幸雄や野田秀樹や三谷幸喜を観たことを後悔させられた。ほかにも「金返せ」と思った劇団は山ほどある。
それにしてもこのオヤジ、ノリノリである。ベテラン教師と若手教師の掛け合いは、まるで志賀廣太郎と阿部サダヲである。現職の教師が教師を演じているのであるから、これぞスタニスラフスキー・システムである。この観客の喜びようはどうだ。劇団四季やキャラメルボックスの、澄んだ瞳の観客より無邪気である。若手教師が「組合に入りますわ!」と叫ぶオチは、井上ひさしにさえ書けまい。
いま一番おもしろい劇団は、日教組である。