放射能と美術品

 フランスが日本向けの美術品運送を禁止している。その影響で、美術品を借りることができず、いくつかの美術展が中止となった。放射能汚染を恐れて、とのことだが、こういった事態はこれからますます、深刻化するだろう。 
 平田オリザの『東京ノート』では近未来、ヨーロッパが戦争状態にあり、フェルメールほかの名画が日本に避難してきている、というなんとも嘘臭い設定でそれがどうにも「リアルな芝居」を毀損しているように思ったが、現実はその逆になったわけだ。福島県にも美術館はあったはずだし、被害を受けた美術品もあるだろう。いずれ、日本の美術品をごっそり海外に避難させることになるかも。
 ニュースではあまりこういうことは報道されていない。美術品より人の生活が大事、というのもわかるが、そうであれば、美術品を売って復興資金に当てる、という議論もされていい。浮世絵なんか、ヨーロッパの方が大切に保管してくれるだろう。
 美術品だけでなく、海外アーティストの来日も見送られて、公演中止なんてことも続いているし、もう日本は外タレ天国でもなくなるんだなあ。

 多くの日本人は、故郷の古い姿が破壊されて、欧米風な建物が出現するたびに、悲しみよりも、むしろ喜びを感じる。新らしい交通機関も必要だし、エレベーターも必要だ。伝統の美だの日本本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである。
 京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。我々に大切なのは「生活の必要」だけで、古代文化が全滅しても、生活は亡びず、生活自体が亡びない限り、我々の独自性は健康なのである。なぜなら、我々自体の必要と、必要に応じた欲求を失わないからである。
坂口安吾『日本文化私観』より)