推定有罪

イギリス人女性を殺害した容疑で指名手配されていた容疑者が、とうとう捕まりましたなあ。
わざわざイケメンからブサメンに整形してまで逃亡していたわけですが、公開された整形後の顔写真がおもしろすぎて、ヤマトタケルとかミノカサゴに似ているとか話題になってしまって、かえって目立ってしまったわけですな。
それはそうと、「推定無罪の原則」からしますと、裁判で有罪が確定するまでは、あの容疑者のことも、無罪の推定がされるものとして扱わなければならないはずです。ところがマスコミはあの容疑者の氏名、顔写真はおろか、両親の顔出しインタビューまで堂々と放映しております。もしあの容疑者が裁判で無罪となったら、どうするのでしょう。
いえ、私はマスコミの報道姿勢を批判したいのではなく、その報道を見てなんら抗議の声をあげない人権派の人たちこそ批判したいのであります。ふだんは「推定無罪の原則」だの、犯罪者の人権を守れだの、警察批判だの、死刑反対だの、そういういさましい活動をやっている人たちが、なぜひとたび事が起こると沈黙してしまうのでしょうか。
どうやらあの手のイデオロギーの持ち主は、世の中が平穏な時には大声で騒ぎたてて、いざ何か起こると、急に元気がなくなって沈黙し素知らぬふりを決め込むようです。
そもそも推定無罪というのであれば、まだ裁判にもかけられていない者を指名手配することさえ、重大な人権侵害であります。推定無罪の人たちの顔写真が、交番の掲示板をはじめ街のいたるところに貼られていることに、なぜ抗議しないのでしょう。

さて。推定無罪という考え方について、福田恒存は次のように書いている。

それから、羽仁さんは「犯罪を起こしても裁判によって判決が下るまではわれわれは無罪なんです」と言っていますが、そのことを逆に言えば、裁判によって誰かが有罪と決まるまでは、全国民が被疑者だと言うことになります。
福田恒存『一読三歎 当世書生気質 巻の一』より)