政権選択の自由、あはは〜ん

いつもふしぎに思うんだけど、あの選挙運動というやつには、どれほどの効果があるのだろうか。
候補者とかその支援者が、頭を下げて回ってるけど、あんなもんいくら必死になってお願いしたってさ、実際に有権者がどの候補者に投票したかなんてわからないんだから、むなしくならないかね。
「がんばってください、応援しています、ぜったい投票しますから」
なんて擦り寄ってくる支援者が、そのじつ平気で裏切っていて、対立候補に投票してるかもしれないんだぜ。
そのてん宗教というのは、ウソをついたら地獄に堕ちるぞよ、などと脅して洗脳して、個人の内面の自由まで奪うわけだけど、まともな国家はそこまではできない。
投票の秘密は憲法で保障されてる。

憲法第十五条第四項【秘密投票の保障】

すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

この条文をもって呉智英は、民主主義は無責任の思想であるという。*1
なぜなら、国民が選挙で誰を選ぼうが、その選択には一切責任がないことを、憲法が保障しているからだ。

しかし、民主主義なら、これが当然なんです。選挙人、すなわち、国民国家における国民ですね、これに、社会に対し、歴史に対し、人類に対し、何の責任も負わせないからこそ、民主主義は成立するんです。そうでなければ、賢者の政治、哲人政治しかありません。
政治を担う賢者は、人民に対し、歴史に対し、社会に対し、人類に対し、常に絶対的に無限の責任を負うから哲人政治です。民主主義はちがう。なぁーんの責任もない。賢者も哲人もへったくれもない。無責任でよろしい、バカ万才。これが民主主義なんですね。
私が民主主義者・人権思想家に対して抱く根本的な疑問は、憲法を守れと言いながら、歴史への責任とか社会への義務とか人類の使命とか、何故平気で口走るのか、ということです。そんなことを国民に要求するのは、明らかに憲法違反なんです。
呉智英『賢者の誘惑』双葉文庫・120ページ・引用終わり)


さらに付け加えれば、ここには匿名という問題もある。ネットで匿名で何かを書くと、卑怯だと非難する人がいる。それなら秘密選挙(無記名投票)こそ卑怯ではないか。表向きは自民党支持を表明しながら、じつは社民党に投票している卑怯者もいるであろう。
匿名を卑怯だというのであれば、まずは憲法を改正し、秘密投票をやめさせるよう主張してほしいものだ。

東に自民党の候補者あれば、行って握手してやり
西に民主党の候補者あれば、めざせ政権交代、と手を振り
南に死にそうな共産党員がいれば、行ってその赤旗の束を負い
北に社民党員がいれば、憲法を守ろう、とデモに加わり
学会員から電話がくれば、いっしょにお題目を唱え
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
投票用紙には、「涼宮ハルヒ」と書いてくる
さういふものに
わたしはなりたい

賢者の誘惑 (双葉文庫)

賢者の誘惑 (双葉文庫)

*1:呉智英憲法第十五条は民主主義の危うさを暴露している」(『賢者の誘惑』所収)より