向田邦子『父の詫び状』(文春文庫)より。
七、八年前の年の暮れのことだが、関西育ちの友人が伊勢海老の高値に腹を立て、産地からまとめて買って分けてあげると言い出したことがあった。
押し詰まって到着した伊勢海老の籠を玄関脇の廊下に置いたところ、間仕切りのない造りだったので、夜中に海老が応接間へ這い出してしまったのである。海老たちはどういうわけかピアノの脚によじ登ろうとしたらしく、次の日に私が訪ねた時、黒塗りのピアノの脚は見るも無残な傷だらけになり、絨毯には、よだれというかナメクジが這ったあとのようなしみがいっぱいについていた。
結局高い買い物についてしまったわねと大笑いしたことを思い出して、三和土の隅のブーツを下駄箱に仕舞った。
おれが、向田邦子の文章にいやみを感じるのは、こういう記述です。
「ピアノの脚」というからには、このピアノは小型で安価なアップライトではなく、もちろんグランドピアノであるわけだ。
グランドピアノがあるお宅というのもすごいが、まあそういう富裕層の奥様が、「伊勢海老の高値に腹を立て」たりする。
そんで、産地からまとめて買う、というのだが、こういうのが優雅なご婦人にとっての節約術だったり生活の知恵なのかと思うと、その生活感覚の違いに、おれのように育ちの悪い者は、ケッ、勝手にやってろ、などと毒づきたくもなるのでした。
他のエッセイを読んでいても、向田邦子というのはずいぶんと育ちがよろしい。
前掲書所収の『身体髪膚』によれば、生家には、かなり大きな池を作れるほどの庭があり、弟が熱を出せば、わざわざ馬肉を取り寄せてそれで冷やしたという。
『あだ桜』では、次のように書かれている。
父、母、祖母、弟や妹達が食卓にならんで、朝ごはんを食べている。
小学生の私は、お櫃の上にノートを広げ、国語の教科書を見ながら、「桃太郎」の全文を写し取っている。
登校の時間は迫っているのに、まだ宿題は大方残っていて、私は、半ベソをかきながら書いている。「どうしてゆうべのうちにやって置かない。癖になるから、誰も手伝うことないぞ」
大きなごはん茶碗を抱えた父がどなっている。祖母は、いつものように殆ど表情のない顔で、そばの青い瀬戸の大きい火鉢で海苔をあぶり、大人は八枚に切り、子供をそれを更に二つに切ったのを、海苔のお皿とよんでいた久谷の四角い皿に取り分けている。
母は、
「落ち着いてやれば間に合うんだから、落ち着きなさい」
といいながら、お弁当をつめたり、お代わりをよそったりしている。
これが昭和十四年ごろの、向田家の食事風景である。
こういう生活をみると、同じ頃、貧しい農家では、娘が売春宿に売られていた、というのはどこの国の話かと、思ってしまうのです。