向田邦子の『阿修羅のごとく』(1979年)の冒頭は、心理描写の手本としてよく言及される。滝子が姉と電話で会話をしながら、曇ったガラス窓に「父」と書く。セリフで説明するのではなく、アクションで見せる。みごとな描写である。
●図書館(朝)
冬の朝。
コートの衿を立てた竹沢滝子(30)が古ぼけた建物に入って行く。ひっつめた髪。化粧気のない顔にめがね。鍵をあけている老いた用務員の姿が見える。
滝子「おはようございます」
用務員「相変らず早いねえ、竹沢さん」
建物は区立図書館。
看板の字も読めないほど、見捨てられ、忘れられたオールド・ミスのように寒々とした姿で建っている。
スチームの湯気で曇る窓ガラスの向こうに、人の影が動く。
赤電話をかけている滝子の声が曇ったガラス越しに聞こえて来る。
滝子「お姉さん。あたし。滝子。うん。まあまあ元気。うん? うん? ちょっとね、ハナシがあるのよ」
滝子、曇ったガラス窓に、大きく、「父」と書く。
その字をどんどん太くなぞってゆく。
白いブラウスに紺のセーター姿で電話をかけている滝子の姿が、「父」という字の中で、はっきりと見えてくる。
滝子「そんなのんきなハナシじゃないわよ」
(岩波現代文庫より)
窓ガラスに文字を書くという描写は、『あ・うん』(1980年)でも使われている。さと子が見合い相手の辻本から断られたのを知り、窓ガラスに「辻本さと子」と書いてそれに×をつけて消し去る、という描写で彼女の心情を表現している。
じつは、窓ガラスに文字を書いて心理描写をするという手法には、先行作品がある。
倉本聰のシナリオによる『大都会』である。「少年」という話で、やくざに恐喝された教師が、学校の理事長に助けを求めて電話をかけている。そのシーンで、教師は自分の心情を窓ガラスに書く。
●公衆電話
林。
蒼白に相手の声にうなずいている。
その指がボンヤリ、曇ったガラスに文字を書いている。
その文字。
「責任」
林。
必死に電話口に、
林「しかし理事長、先方はやくざで。ハイ。それはそうです。私だって後でわかったンです」
「責任」の文字。
林の指が消す。
(『倉本聰コレクション19 大都会』理論社P215)