そして精神科医は野放しにされる

 足利事件が冤罪だということで、あいかわらずマスコミが騒いでますが、どうも肝心なことが問われていないようです。それはあの犯人とされた人物に対して、福島章教授が行った精神鑑定についてです。
 足利事件一審では、裁判所が福島章教授に、被告の精神鑑定を命じた。福島章教授は、被告と三度面会した上で、被告は「代償性小児性愛者」であり、本件犯行は、「小児性愛を動機として行われたもの」との内容の精神状態鑑定書を作成した。
 一審、二審の裁判の判決ともに、この精神鑑定が証拠採用され、被告は無期懲役となった。
 マスコミや人権派の団体が、警察や検察や裁判所を糾弾し、それによって司法関係者が謝罪しているが、では福島章の責任はどうなのか。被告の弁護士は福島教授の鑑定結果は誤りだとして、民事訴訟を起こしたのだが、請求棄却になったという。くわしくは以下のブログで。
blog.livedoor.jp

 この精神鑑定の結果が妥当かどうか、検証する必要がある。誰もがそう思うだろう。ところが福島章教授の責任を追及する声は聞かれない。なぜだろうか。これを追求するとなにか、やばい事情でもあるのか。あるんだろう、たぶん。
「代償性小児性愛者」という精神鑑定が正しいなら、冤罪の男性が「無辜の人」ではなかったことになる。反対に、精神鑑定が誤りだというのなら、福島章がこれまで行ってきた精神鑑定の妥当性にも疑いが生じる。いずれにせよ、これは精神鑑定と司法制度そのものを揺るがす大問題であるはずだ。

 福島章上智大学名誉教授というのは精神医学の権威で、これまでにも数々の事件の裁判で精神鑑定を行ってきた。福島章による精神鑑定によって心神喪失と判断され、不起訴となった凶悪犯はいる。同じく心身喪失と判断され、減刑された凶悪犯もいる。何人もいる。
 その精神鑑定のあり方に疑問を投げかけたのが、日垣隆の『そして犯罪者は野に放たれる』という本である。
 精神鑑定の現場はじつに杜撰なものだという。被害者やその遺族の心情を無視して、ただ形式的に犯罪者を免責するだけの精神鑑定が乱発されている。同書からその一例をあげる。

 1984年3月12日。当時26歳の犯人が、歩行中の横浜市立東高校一年生4人を、ワゴン車で背後から撥ね飛ばした。さらに倒れている被害者の顔や背中を、あらかじめ用意してあった登山用ナイフで刺した。1人が死亡、3人が重軽傷。逮捕された犯人は取調官に、「あいつらの歩き方が悪かったからです」と語った。
 犯人の男には、精神分裂病の疑いでの通院歴があり、それが判明すると全マスコミは報道を自粛した。
 横浜地検から起訴前鑑定を依頼された逸見武光・東大医学部教授は、この犯人について、「犯行時、治療が必要な精神分裂病にかかっていたと思われる」と結論づけた。次いで、福島章教授も同様の鑑定結果を提出した。
 これにより、高校生四人を殺傷した犯人は不起訴となった。日垣隆氏の前掲書によれば、犯人の男は「不起訴処分後、措置入院となったものの、わずか三ヶ月で解放治療に切り替えられ、その四ヵ月後には自宅に戻り、さっそく愛車を乗り回している」(93ページ)

 こんな裁判所の決定に、被害者や遺族が納得できるはずがない。
 この事件の被害者家族は、『犯人を裁いて下さい』という手記を自費出版して、その心情を世に訴えた。ところがこれに対し福島章教授は、「犯人を裁かないで下さい」という被害者家族を愚弄するような文章を書いている。

 以下、日垣隆氏の文章を引用します。(日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』新潮文庫・92-93ページ)

 私が心底愕然としたのは、この遺族による自費出版を「たまたま手に取った」と言う精神鑑定人・福島章氏による、以下の冷酷な一文に接した時だ。
《最近、町の本屋をぶらついていると、奇妙な題名の本を見つけた。タイトルは『犯人を裁いて下さい』とあり、「横浜・東高校生殺傷事件〔被害者〕の会」という発行所が目を引いた。〔中略〕この本を買って帰ったのは、実はこの犯人を精神鑑定して、「心神喪失に相当する精神状態にある」とした鑑定人のひとりがほかならぬ私だったからである。
〔中略〕問題はふたつある。ひとつは、検察庁の段階で不起訴処分と決めて、公の裁判で裁かれないことは合理的だということである。いったん起訴して公判になると、〔中略〕精神鑑定も何回か反復されるのが常である。日本の裁判では、この間に数年ないし数十年が経過する。これではせっかく無罪になっても、年を取りすぎてしまう。〔中略〕第二は、被害者感情の問題であるが、犯人が死刑になったり、懲役に行ったりすれば、被害者が生き返ったり、関係者が幸福になったりするわけではない》(福島章『犯罪者たち 罪にいたる病』平凡社、八七年)
 福島氏は、ご自分で語っている内容を、わかって書いておられるのだろうか。被害者と遺族に鞭打つこの攻撃的な居直りを正当化する根拠は何か。
 この冷酷な一章を単行本に収めるにあたって福島氏は、遺族の手記『犯人を裁いて下さい』という切実な願いが込められた書名をちゃかして、ご自分の文章に「犯人を裁かないで下さい」という章タイトルをつけている。精神の異常が疑われる。
(引用終わり)

 足利事件における精神鑑定結果を問題にするとは、福島章が過去に行ってきたこうした事例をも問題にするということである。そうでなければならない。人権屋どもが、精神鑑定と「刑法三九条」を錦の御旗にして、被害者よりも、加害者の人権を重く見てきたことも考えなければならない。
 冤罪で最も苦しい思いをしているのは殺された少女とその遺族である。精神鑑定とは何なのか。いったい誰に正常と異常の判断がつけられるのか。なぜ精神鑑定という非科学なものが証拠採用されるのか。

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)