戦争は悪である。どうしてあの戦争を止められなかったのか。だが、もしもあの戦争が起こってなければ、東京空襲も原爆投下もなく、現在とはちがう歴史になっていた。
ということは、すべての人の運命は変わり、私たちも生まれていなかった。私たちが今存在しているのは、過去の悲惨な戦争のおかげだ。自分が生まれる前の過去をなかったことにしたいというのは、自分がいなければいい、という間接自殺の願望と同じである。
現在から見て、過去は追認するしかない。同じことが未来から見た現在についても言える。今、私たちは何をしてもいい。今だけ思いっきり楽しめばいい。
私たちがたとえ戦争を起こそうが、未来に生まれてくる人たちは、そのおかげで生まれてくるし、逆に平和が続けば別の人たちが生まれてくる。
未来の人たちは自分の存在を大切に思う限りは、どんな悲惨な世界に生まれてこようとも、苦情を言う資格はない。誰にも苦情を言われるはずがない以上、何をしても私たちは誰の権利も侵していない。未来の世代のことを考えて行動しようなどというのは勘違いだ。
私たちは今、自分たちのことだけを考えて好きなようにやるのが一番だ。そのせいで損する人は誰もいない。未来は、私たちが好きなようにやったせいで生まれてこれた人だけが、めでたく生きることになるのだから。
(三浦俊彦『論理パラドクス』(二見書房)問91より。P188-189を改変)
この問題について、本書では「権利主義」と「功利主義」の立場からの回答が用意されている。権利主義では肯定されるが、功利主義では否定される。
だがしかし、重い障害を持つ胎児を中絶すべきか否か、という問題になると両者の判断は逆転する。権利主義者は胎児の権利を考えて、中絶に反対するのに対し、功利主義者は、胎児が標準より低い幸福度しか実現できない人物としてこの世に誕生せざるをえない以上、中絶を選ぶ。
「未来の子供たちのために」などという文句をよく聞くが、いったいそれは誰のことか。

- 作者: 三浦俊彦
- 出版社/メーカー: 二見書房
- 発売日: 2016/09/01
- メディア: 文庫
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