『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を見ていると、はたして映画のおもしろさとは、なんだろうか、てなことを再考せずにはいられない。
「クレヨンしんちゃん」なんてものは、マンガもテレビアニメも、くだらないと思うし、事実、低俗で、くだらないのだが、この映画だけは、評価しないわけには、いかない。
子供向けのシリーズアニメが、突然変異のごとく化けるという現象は、押井守『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、宮崎駿『ルパン三世 カリオストロの城』などの先例があるわけですが、この劇場版アニメも、まちがいなくそういう奇跡の一本といえましょう。
この映画の、何がおもしろいのか。
絵の稚拙さ、汚さというのは、問題外のレベルだし、さほど制作費が、かかっているわけでもないし、それでも、そういう欠点を補って余りあるというか、そういうアニメだからこそ可能になる表現というか、やっぱりシナリオがいいのと、監督がこの映画に込めたテーマが素晴らしい。
未来に希望をなくした大人たちは、謎の組織”イエスタディワンスモア”に洗脳され、仕事も家事も放棄して、懐かしい「あの頃」の思い出に、浸りきる。そこはパパやママたちが、かつて子供だった頃の、テレビ番組や、おもちゃ、お菓子があふれた、懐かしいテーマパーク。大人だけの楽園”オトナ帝国”
しかし、見捨てられた子供たちは、自分たちの未来を取り戻すために、抵抗する。幸福だった思い出に浸るより、幸福な未来の建設を!
これは、昨今の、回顧趣味というか、ノスタルジアという流行に対し、深いところで批判しているわけで、なかなか、やりますよ、しんちゃんは。
とくに、洗脳されて、ふぬけになったパパひろしに、強烈な靴下の臭いをかがせて、目覚めさせるわけですが、これは「懐かしいテーマパーク」というものが、いい思い出だけを集めた、”臭いのない世界”であることの隠喩ですね。
そういう観点からすると、『ALWAYS 三丁目の夕日』は、やっぱりダメな映画です。
この”ALWAYS”という中途半端な英語タイトルが、この映画を象徴していると思うんですが、(原作通りに、『夕焼けの詩』か『三丁目の夕日』とした方が、ずっとよいと思う)
ここで描かれた昭和30年代の街並み、暮らしは、どれも、CGで合成されたバーチャルな世界に過ぎません。しょせんは、いい人だけが暮らし、いい思い出だけがある、そんな都合のよい「仮想空間」に思われます。
”強烈な靴下の臭い”が、ない世界です。
まあ、おれが生まれる前の時代なんで、実際には知りませんが、本当はもっと悪人がいて、悲惨な事件が起こり、泣いている人がいただろう、ということは想像できます。
この映画の世界観は、『オトナ帝国の逆襲』から、二歩も三歩も後退していることは、言うまでもありません。
こんな映画の続編を作るよりも、山野一のマンガ『四丁目の夕日』を、映画化してくれないだろうか。
無知と、貧乏と、不幸と、畳み掛けるように襲い来る悲惨な出来事の数々。これこそ現実に目を開かせてくれる”強烈な靴下の臭い”だと思います。
映画『三丁目の夕日』にひっかけて、このマンガに触れているブログがあるかなと、探したら、小明(あかり)さんの、「小明の秘話」で書いていた。
http://yaplog.jp/benijake148/archive/4697
さすが、サブカルに詳しい”あかりん”
あかりんは、しょこたんのお友達ですが、どうも彼女たちは、
かわいい顔して、かなりディープな趣味をお持ちのようです。
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