おたくの名付け親

 1981年公開の映画『セーラー服と機関銃』の中で、薬師丸ひろ子は相手役の男たちを「おたく」と呼んでいる。
「どうしたの? おたくたち、授業中じゃない?」といった調子である。
 当時、この「おたく」は、たんなる二人称代名詞であった。しかしながら、「きみ」でもなく「あなた」でもなく、「おたく」と呼びかける薬師丸ひろ子は、今見てもじつにチャーミングである。
「おたく」がアニメファンなどを意味するようになったのは、1983年に中森明夫が「『おたく』の研究」と題するコラムを書いてからである。
http://www.burikko.net/people/otaku01.html
 中森明夫はここで、コミケに集まる人たちを次のように描写して、侮辱している。

その彼らの異様さね。なんて言うんだろうねぇ、ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴らが。モロあれなんだよね。髪型は七三の長髪でボサボサか、キョーフの刈り上げ坊っちゃん刈り。イトーヨーカドー西友でママに買ってきて貰った980円1980円均一のシャツやスラックスを小粋に着こなし、数年前はやったRのマークのリーガルのニセ物スニーカーはいて、ショルダーバッグをパンパンにふくらませてヨタヨタやってくるんだよ、これが。それで栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタかてな感じで、女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足を白いハイソックスで包んでたりするんだよね。

中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に「おたくらさぁ」なんて呼びかけてるのってキモイと思わない。

 そういうところから、「彼らを『おたく』と命名し、以後そう呼び伝えることにしたのだ」というのである。
 あきらかな差別と侮蔑であるが、今となってみればこの中森明夫というのは、モネやセザンヌの登場を笑いあざけり「印象派」と命名した批評家と同じものとして、語り伝えられていくであろう。生き恥はおろか、死後もなお。「おたく」の名と共に。