グルメ批評の薄情さ

小腹がすいて、目についた小さなラーメン屋にふらっと入ったんだけど、これが思いのほかうまかった。おれはグルメにまったく興味がないので、もしかしたら有名な店かと思い、ネットで調べたら☆5つ満点のうちの、☆2つしかない店だった。
それでその店について書かれているコメントを読んだのだが、当然ながら、きびしいというか、ひどいというか、そこまで悪く書かなくてもいいだろ、というようなものもあった。
食い物の好みなんて人それぞれだし、おれがうまいと感じたラーメンを、ほとんどの人がまずいと感じてもべつにかまわないのだが、ネットでああいうコメントを見てしまうと、心が痛む。
客のおれが心を痛めるのだから、店主やその家族が見たら、よけいに心を痛めるだろう。
たしかにまずい店や、汚い店はあるのだが、そういうのを仲間内で話題にするのと、ネットにさらすのとでは、影響力がちがう。
「まずい」と書かれた店は、確実に客足が減る。おれだって次は、☆2つの店より、☆5つの店に行きたいと思ったりする。そしてあの店はつぶれるかもしれない。
薄情なものである。


ひるがえって自分のことを考えるのだが、おれもブログで映画や本を酷評しているのだが、これだって当の作家や関係者が読めば傷つくだろうし、売り上げも減るだろう。食通ぶってラーメン屋に☆をつけるのと同じだと言われれば、その通りだと思う。
それならもう悪口を書くのはやめて、淀川長治みたいに、どんな映画でもほめるようにすればどうか、と言われるかもしれないが、そういうのもちがうと思う。
くだらないものは、くだらない。情にほだされて評価を変えるなんて、いやだ。
とはいえ、おれにも人の心があるので迷いながら書くこともある。情をかけるのが、それほど悪いことか。
あの店のラーメンをまずいと言ったやつは、別の日に、ファミレスのバイトが作った冷凍食品のハンバーグを文句も言わず食べているかもしれない。そういう人が多いから、個人営業の小さな飲食店が減って、大手のチェーン店ばかりが増えているのではないか。それならおれは、あの店の肩を持つ。
将棋の米長哲学ってのがあって、「自分にとって消化試合でも相手にとって重要な一戦ならば、相手を全力で負かしにいく」という。講談本の武将が吐きそうな言葉だ。将棋の世界はそれでいいのだろうが、こんなものを人生訓にされてはたまらない。世の中は勝ち負けがすべてではない。
巨人の槙原が引退登板をしたときに、すでに球威の衰えた槙原のストレートを、バッターの谷繁がわざと空振りして三振した。あれはあれで、感動的だった。