アラーキーが性的虐待で告発される

 アラーキーこと荒木経惟電通出身を鼻にかけたエリート意識のかたまりで、女は下等な虫けらくらいにしか思っておらず、だからこそモデルの人格を無視したあんな薄汚い下劣なヌード写真を撮れるのである。そんなただのポルノ写真を芸術だと誉めそやしてきたバカどもはみんな腹切って詫びろ。
 こんなクソ写真家なんかさっさと死ねばいいが、生きているうちに責任を取らせないといけない。
 湯沢薫さんがFacebookで、荒木経惟から受けた性的虐待を告発している。
www.facebook.com

When I was young,I was a modeling for the fashion magazine,TV comercial,fashion show.When I was 19 years old,I had to work with Nobuyoshi Araki who is the famous photographer,at that time, I was suffered sexal abuse from Nobuyoshi Araki that was not rape.It is hard to talk about the detail….It was horrible experience for me.After It's happened this incident,I needed to go to mental hospital.....I was so hurt by his sexal abuse.
If I were rich,I wanted to sue him,but I didn't have energy at that time & I didn't have enough money also.
When there is opportunity to meet curators of art museum and gallery,I have been telling this story as much as I can.

美術館やギャラリーのキュレーターに会う機会があるとき、私はできるだけ、必ずこの話をしてきました。
彼の大きな展覧会は現在、東京都写真美術館で行われています。
彼の顔の写真と彼の作品を見た後、私は未だに、嘔吐してしまいます。荒木氏の投稿をfacebookで偶然見てしまい、その後、急速に具合が悪くなり、ここ数日間、発熱と嘔吐という病状に襲われ、寝たきりの情況に陥りました。
この恐ろしい思い出は、私の頭と私の心の中でまだ深く生きています。
私は荒木経惟氏の性的虐待の犠牲者が他にもいることを知っています。これは本当の話です。
彼は現実には刑務所にいなければならず、彼は犯罪者ですが、多くの人々が彼の作品を愛しています。
私はもし、あなたが彼の作品が好きであれば否定するつもりはありません。ですが、できるだけ多くの人に彼の犯罪行為を伝えたいと強く想い、私はこの真実の話を投稿することに決めました。
この真実の告白は勇気のいることでしたが、皆さんに芸術とは何か?ということを、改めて考えて頂けるきっかけになれば幸いです。有名だからといって、罪を犯してもいいのでしょうか?私はそうは思いません。(引用終わり)

 荒木経惟の性犯罪を知っていて黙認してきた美術関係者は、この問いに答える義務がある。

性犯罪被害とたたかうということ (朝日文庫)

性犯罪被害とたたかうということ (朝日文庫)

マイケルとエルビス

 湯川れい子マイケル・ジャクソンに二度インタビューしている。最初は1973年、まだ「ジャクソン・ファイブ」の頃。そして二度目が1983年3月、マイケルは23歳。
 その時のことを湯川れい子は、読売新聞の「時代の証言者」という連載記事(第21回)で、次のように述べている。

 忘れられない会話があります。アルバム「トライアンフ」の中にある「ハートブレイク・ホテル」について、「エルビス・プレスリーのファンにとって、彼の代表曲のタイトルは神聖な存在なのに、なぜ同じ題名の曲を作ったの?」と、うっかり聞いてしまったのです。マイケルはキッとした目で私をにらみ、「神聖でもなんでもない。エルビスは、僕たち黒人の音楽を盗んで有名になったんだ」と言い切ったのです。
 私は食い下がりました。エルビスが社会からバッシングを受けながらも、黒人の音楽を自分の中に取り入れてロックンロールとして爆発させた土台があったからこそ、白人社会でも黒人音楽への理解が進んだのではないか、と。それに対してマイケルは、私の目をじっと見据えながら、こう問いかけてきました。「僕たちは何も変っていません。黒人のスーパーマンはいますか? 黒い肌のピーターパンはいますか?」
(引用終わり)

 しかしながらその後、マイケルはエルビスの娘と結婚した。そして肌が白くなったことから整形によって白人になろうとしているのではないかと噂されたが、のちに尋常性白斑という病気のせいだと判明した。マイケルは黒人であることに誇りを持っていた。その肌が白くなることに、どれほど精神的に苦しめられたか。
 スターになりスキャンダルにさらされ、マイケルはマスコミに何も語らなくなった。
 もしも人種差別撤廃の訴えを続けていれば、キング牧師のようになったかもしれない。でもキング・オブ・ポップだ。誰がうまいこと言えと。

キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション

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「私の支援者が黙っていませんよ」と家永三郎は言った

 家永三郎は教科書裁判で左翼のヒーローとなったが、戦時中は軍部に迎合していた。その変節を秦郁彦が『日本占領秘史』(朝日新聞社)の中で指摘したら、家永三郎から抗議された。
 秦郁彦はそのときの家永三郎の態度について、読売新聞の「時代の証言者」という連載記事の中で次のように述べている。

 朝日新聞出版局は、手打ちに持ち込みたかったのでしょう。その年の暮れ、私は築地の旅館で家永さんと会談しました。
 私は「表現の緩和や修正には応じるので具体案を出してほしい」と提案しましたが、家永さんは拒否。問題部分の全面削除、再版時に陳謝の意味で断り書きを入れることなどを求め、応じなければ名誉毀損で告訴するというのです。
 私は家永氏の著作を引いて反論しました。例えば、「学界の一兵卒として学問報国の戦列に参加することの出来た吾人は誠に願っても無き幸せ者」など、戦時中の迎合的表現をいくつも取り上げました。
 しかし、家永さんは「検閲に対する避雷針だ」と釈明します。「我々がどんな苦しい思いで当局に協力せざるを得なかったか若い人には分かるまい」とか「私の知的水準が低かったのであって、節操が変ったのではない」などとも弁明しました。結局、話し合いは物別れに終わりました。
 ところが「自分は我慢してもいいが、教科書裁判の支援勢力が黙っていないだろう」という脅し文句に、朝日新聞は震え上がったらしい。1週間後、私の講義部分が載った『日本占領秘史』下巻を絶版にすると一方的に連絡してきました。
 10年後の87年、私は家永さんと再び対決します。家永さんの教科書裁判で、国側の証人として出廷したのです。私は、家永氏の天皇観が、右から極端な左へ変遷したことを指摘し、「こういう振幅の大きい方は、教科書の執筆者には不適当」と陳述しました。
 当時の家永さんは、進歩派陣営の大スターでした。私は学界から、まるで右翼反動並みの扱いを受けましたよ。(引用終わり)

 まあ、家永三郎というのは曲学阿世の徒ですわ。