小山田圭吾いじめ記事に関する検証 その1

目次

オッカムの剃刀で斬る

オッカムの剃刀」という言葉がある。ある事柄を説明するために、必要以上に多くを仮定するべきではない、という考え方である。
オッカムの剃刀 - Wikipedia

 こべにというブロガーが「小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証その1 その2」(以下「検証その1」「検証その2」)というのを書いているのだが、これが恣意的な切り取りによる憶測まみれのムダに長い記事なので、「オッカムの剃刀」によって事実に基づいた検証をしていきたい。id:kobeni_08

www.kobeniblog.com

こべには平気で文章を改竄する

 こべには「検証その2」の冒頭、自分の文章を引用して次のように書いている。

前回の記事の最後に、「小山田圭吾のいじめは、『2ちゃんねる(現・5ちゃんねる、以下2chのコピペ』という形のネットミームとして、一部のネットユーザーには有名だった」と書いた。
(太字強調は改竄箇所)

 驚くべきことに、こべには引用の規則さえ知らない。自分の文章を平気で改竄しているのだ。
 前回の記事「検証その1」の最後にある文章には、「ネットミーム」という言葉はない。正確には次の通りである。

小山田氏のいじめ記事・行為は、「2ちゃんのコピペ」として一部のネットユーザーには有名な話だったからだ。
(太字強調は改竄箇所)

www.kobeniblog.com

 こべにはおそらく、「検証その2」を書く直前になって「ネットミーム」という言葉を知り、それを加筆したのだろう。
 引用は、元の文章を改変してはいけない。しかし、引用されたカギ括弧(「」)内の文章は、元の文章を改変している。こべには、こんな基本的な知識すら知らない。それでいて他人の文章を改竄だのデマだのと拡散しているのだ。

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元の文章と、引用文(カギ括弧内)との比較

topcourt-law.com

こべにの「ネットミーム」という言葉にだまされるな

 こべには「ネットミーム」を、流言やデマゴキーと同じ意味として使っている。これは正しくない。id:kobeni_08

「ネットミーム」とは、「インターネットを通じて人から人へ広がってゆく文化・行動」(デジタル大辞泉)である。つまり、進化論をモデルとした社会的プロセスを意味する用語であり、これ自体に悪い意味はない。
「のびーるたん」(Longcat)のように、ネットミームとして世界中で愛された猫もいる。
www.j-cast.com

カエルの「ペペ」は特殊な事例

 検証というものは、用語を定義してから始めるべきだ。
「ネットミーム」を流言やデマの意味として使っているのは、以下の記事である。カエルのキャラクターが、ネットで改変されるうちに過激化し、差別主義者のシンボルになったという特殊な事例である。

www.buzzfeed.com

 こべには、こたつライターで読解力もないから、こうした記事をネットで拾ってきては、自分の都合の良いように解釈して、コピペして拡散する。まさに「ネットミーム」を一人でやっているのだ。

 そもそも「ネットミーム」とは社会現象につけられた用語であり、そのマイナス面としてデマとして拡散される場合もあるというだけだ。一般には、「のびーるたん」のような加工されたおもしろ画像を意味する場合が多く、カエルの「ペペ」は特殊な事例である。

 こべには、小山田圭吾いじめ記事は、この特殊な事例と同じようにネットで改変されて悪趣味な差別記事にされたと主張する。それは本当だろうか?
 カエルの「ペペ」は、差別主義とは何の関係もないキャラクターだった。むしろ「平和なカエル野郎」だった。それがネットの中で、人種差別をするキャラに改変させられたのだ。
 例えるなら、「のびーるたん」が差別主義のシンボルにされるようなものだ。

 一方、小山田圭吾の場合、元記事がすでに差別記事なのだ。
 それを問題視した人が、該当箇所を2ちゃんねるに転載した。こべには「コピペ」と書いているが、誰かが根拠のないデマを広めたのではない。根拠は元記事である。

「2ちゃんのコピペ」の根拠は元記事

 2004年に「クソガキどもを糾弾するホームページ」が、「ロッキン・オン・ジャパン」の該当ページの写真を掲載した。その紙面には、「ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」というのが小山田圭吾の発言として掲載されている。これが証拠となった。

 スマイリーキクチ中傷被害事件との決定的な違いはここである。スマイリーキクチ中傷被害事件の場合は、完全に何の根拠もない完全なデマなので、完全にネット民が悪い。

 しかし、小山田圭吾の場合は事実とみなされる雑誌記事の物証があったのだ。
 それも、あやしい芸能ゴシップのような第三者の噂話ではなく、当人がインタビューで発言していた。しかも「ロッキン・オン・ジャパン」だけでなく「クイック・ジャパン」でも。
 これでは最高裁判所の裁判長でも「証拠能力がある」と判断するであろう。

 外山恒一は著書『さよならブルーハーツ』(JICC出版局)『最低ですかーっ!』(不知火書房)の中で、「女子高生を強姦未遂」と自分で書いている。また、『見えない銃』(出版研)では、レイプ自慢をしたと指摘されている。これも、証拠能力ありとみなされるであろう。

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 2005年には、あびる優がテレビの深夜番組で窃盗を自慢するような話をして炎上し、芸能活動を自粛した。これも窃盗の事実の有無に関係なく、当人がテレビで話した内容が非難された。

 なぜこんなことを覚えているかというと、この時に俺のブログが炎上したからだ。
 当時は「荒らし」と呼ばれていたが、俺の記事があびる優を擁護していると思われて、2ちゃんねらーにめちゃくちゃに荒らされた。今とは立場が逆だな。
 記事は騒動が起こる前に書いたやつで、べつに擁護もしてないし、完全に2ちゃんねらーの誤解だったわけだが、これで炎上に耐性がついた。話せばわかる、というのは嘘だ。バカには説明するだけムダ。無視しろ。呪え。
 この時、強力な呪いをかけたから、俺のブログを荒らした奴らは、今はもう誰一人生きてない。
koritsumuen.hatenablog.com

 2004年には、悪趣味・鬼畜系の影響よる凶悪事件である「バッキ―事件」が起きた。
 多くの逮捕者を出したこの事件は、そのビデオの残虐性を問題視した有志らが、2ちゃんねる等で告発を続けたことで、摘発につながった。このようにネット民の正義感が正しく機能したケースもある。

 当時の人権意識の低さを、雨宮処凛が次のように述べている。(引用元「90年代サブカルを「消費」していた立場から~鬼畜ブームが行き着いた果てとしてのヘイト」)

 当時は過激なAVが人気を博し、スカトロをはじめ「なんでもアリ」の状態だった。人権無視を売りにするような作品が評判となり、カウンターカルチャーのような扱いを受けていた。当時のサブカル雑誌を開けば、そんなAVの撮影現場のルポやレビューが溢れるほどに載っていて、自分と同世代だろう女性たちが、目を覆うほど酷い目に遭っていた。例えば、女優が路上生活者の男性とのセックスを強要されたり、複数の男性から事前に聞かされていない暴行を受けたり、等々。
 そんな過激なAV作品をサブカル文化人たちは「社会派AV」などと絶賛していた。驚いたのは、サブカルの枠に留まらない有名文化人たちも絶賛していたことだ。

imidas.jp

鬼畜系AV監督と北尾修一

 雨宮処凛は明言を避けているが、これはバッキ―事件にも影響を与えたバクシーシ山下の『ボディコン労働者階級』『女犯』シリーズ等の作品である。平野勝之の『水戸拷悶2 狂気の選択』『ザ・ガマン』も、出演女優が負傷して引退、警察が出動する騒ぎを起こした。
 のちに『監督失格』(プロデュース/庵野秀明・音楽/矢野顕子)を撮る平野勝之だが、『わくわく不倫旅行』で林由美香にうんこを食わせている。
 当時でも女性人権団体からの抗議はあった。しかし抗議する側がおかしいという風潮で、抗議に屈しないことがかえって作品の評判を高めた。

 バクシーシ山下は著書『セックス障害者たち』(太田出版1995年・P24-26)でこう述べている。

 で、この「女犯2」をたまたまフェミニズム団体もどきの人たちが見て、後でモメるんですよ。これは発売されてからずいぶん後、「スーパー女犯」を撮ってた頃の話です。だから僕にしてみれば、まずは「何をいまさら」って気持ちが強かったですね。
 最初、「『女犯2』を考える会」という催しがあったんですよ。フェミニズム運動マニアの、見城美恵子みたいな顔をした女たちの集まり。「一応フリーライターです」とか、何やってるかわかんない人ばかりでした。その中のひとりが電話をかけてきて、「あなたのお話が聞きたい」って言うんですよ。それで「ああ、いいッスよ」って。僕もそういう人たちの話を聞いてみたいと思ってたんで、会いに行ったんです。
 それで新宿の喫茶店で待ち合わせて話をして、「何かよく分からない人たちだな」と思ってたら、「今度あなたのビデオについて討論する場を持ちたいって言うんで、また「ああ、いいッスよ」って。それで集会に行ったんですよ。そしたら向こうは8人くらい来てたかな。吊し上げみたいなもんでしたね。
 で、要するにどういう抗議だったかというと、向こうも意見が二つに分かれているんです。レイプ作品の存在自体を認めないヤツらと、それだと表現を規制することになるから、レイプ作品はあってもいいけど、この作品が本当にレイプしてるかどうかを議論しようと言うヤツら。でも、要するにどちらもこの作品はノンフィクションだろうという話になるわけです。違うと言っても聞く耳を持とうとしない。
「どうしてあんな演出ができるんだ」って言うから、「しようと思ったら出来ますよ」と。そうしたら「これが演出だったら、あなたは黒澤明以上で、女優さんは大竹しのぶ以上だ」と。そう言われれば、「ありがとうございます」としか言いようがないですよ。
 だから結局、その話し合いに結論なんてありませんでした。こっちとしては、たんに一視聴者の声を聞きに行ったのに、向こうは「打ち合わせの証拠を見せろ」とか、無茶な要求をするわけです。それは他の視聴者が「無修正のアソコを見せろ」って言ってるのと同じですよ。僕はそんなもの絶対に見せません。
 彼女たちも言ってみれば「マニア」なんですよ。フェミニズム運動マニア。だからこそ、しつこいし他人のことも考えない。そう思えば少しは我慢できました。この人たちも、僕に対して文句を言うことで精神のバランスが保たれていると思うと、反論する気も失せてきて、話を聞いてあげようという気になってくるんです。
 そうしたら図に乗っちゃって、しばらくして今度は「AV人権ネットワーク」って妙な団体を作っちゃった。要するに「女犯」という言葉を使うと宣伝になるから、固有名詞は伏せたらしい。でも、その団体の発足記者会見のときに配られた資料は、「女犯」の関連記事ばかりだったんですけどね。
 で、その団体の趣旨というのが、いまAV撮影現場で女性たちが犯されてて、この「AV人権ネットワーク」は「AV女優の駆け込み寺だ」とか言ってましたね。結局、誰も駆け込まなかったんですけど。
 そもそも出演してる女の子に「人権」なんて意識はないですから。
 親に隠れてやってるくらいですから、人権もクソもないですよね。予想通り「撮影現場でレイプされた」なんて駆け込むケースは、一件もありませんでした。
 そりゃ僕だって、ギャラがもらえないとか、プロダクションに騙されたとか、そういう問題があれば力になってあげたいですけど。あの人たちが言ってるのは、それ以前のレベルの話ですから。
 だいたい、女が裸になることは性の商品化だとか何とか、是非はともかくとして、いまさら問題にしてるような次元ですから。今の時代だったら誰からも相手にされないでしょう。
 ま、マニアだからしょうがないと言えばそれまでですけどね。

 この本の帯には「僕は差別されたい」とあり、「『女犯』『全裸のランチ』『ボディコン労働者階級』『死ぬほどセックスしてみたかった』などの快作を発表し続けるアダルトビデオ業界の鬼才バクシーシ山下が語ったウンゲロまみれの撮影記録。様々な誹謗中傷を横目に、ここに堂々の刊行!」とある。

 バクシーシ山下『セックス障害者たち』(太田出版1995年)の編集者が、同年に「村上清のいじめ紀行」を担当した北尾修一である。同じく、平野勝之の著書『自転車不倫野宿ツアー』(太田出版1997年)の編集者も、北尾修一である。
 まさに同伴者としての役割を果たしている。

 こべには、北尾修一のこうした経歴を知ってもまだあのブログを信用するか?
 俺は当時から、これらを批判してきた。
koritsumuen.hatenablog.com
koritsumuen.hatenablog.com
koritsumuen.hatenablog.com

 小山田圭吾インタビューの差別的な内容に、世間は怒ったのだ。これは「ネットミーム」ではなく、ヘイトスピーチへのカウンターや #MeTooや、Black Lives Matterに通じる社会運動である。

 今井佐緒里は以下の動画で、「今回に関しては、世の中の正義感がまともだったって私は思ってますけど」と語っている。(13:50頃から)

youtu.be

2012年に「村上清のいじめ紀行」の復刻版が発売

「2ちゃんのコピペ」ができる以前から、小山田圭吾の露悪的なイメージは元雑誌によって作られていた。

「うんこバックドロップ」というフレーズは「ロッキン・オン・ジャパン」(97年8月号)が紙面で使ったものである。
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「村上清のいじめ紀行」が掲載された「クイック・ジャパン」第3号は、「学校でウンコするとかいうのは、小学生にとって重罪じゃないですか?」という小山田圭吾の発言を目次に使い、同じく「だから、何かほら、『ロボコン』でいう『ロボパー』が転校してきたようなもんですよ」という差別発言をグラビアで使っている。

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 2012年には、当該雑誌の復刻版を出してフェアまでやっている。9年前には何ら問題だと思わず、今になって急に不適切な記事だと認めたのは、どういう心境の変化であろうか。村上清はこの時期にTwitterをやっていた。
 今回の騒動が起きなければ、謝罪する気もなかったであろう。

 これらは小山田圭吾が「お詫びと経緯説明」で述べたように、「被害者や同じ立場の方々の気持ちに対する配慮や倫理観に欠けたもの」であるのは明らかである。

 久田将義は、「記事原文(4、5回は読みました)を読むと不愉快とおぞましさ、しか残りません」と断じている。(引用元「なぜメディアスクラムは起きたのか 小山田圭吾さん問題「Quick Japan」を編集者目線で総括してみた」)

 しかしながら、赤田祐一も北尾修一も原文を読んでほしいと言ってるのだから、太田出版の要職にある村上清には、ぜひまた復刻版を出版してもらいたい。
 元記事を読めば印象が変わると言っているこべにたちも当然、これを歓迎するはずだ。みんなで、太田出版に復刻版を出すようお願いしよう。

www.cornelius-sound.com

tablo.jp

mobile.twitter.com
www.ohtabooks.com


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鬼畜系ライター・村崎百郎の自己演出

 なぜこのような差別記事が出版されたのか。

 小山田圭吾は「お詫びと経緯説明」でこう説明している。

 当時は、自分に対してなんとなく定着してしまったイメージを破り、露悪的なキャラクターを演じることで世間からの見られ方を変えようとしていました。過剰で自虐的なリップサービスを必要以上に行うことで、世間との距離を取ることを意識していました。

 つまり、自分で演出したのである。

 自己演出として露悪的なキャラクターを演じたら、当人の演出通りに、世間から露悪的なキャラクターとして見られるようになったのだ。当人の演出通りに、世間から距離を取られる事態になったのだ。
 自分でまいた種である。ネットのせいにするのは、責任転嫁である。俺のブログのせいにするなら、こちらも反証を出さざるを得ない。

 小山田圭吾は、こべにみたいなオリーブ少女にアイドル扱いされるのが嫌で、鬼畜系にキャラ変した。
 小沢健二が臆面もなく王子様キャラを自己演出してアイドルになったのとは大違いである。小山田圭吾は、こべにみたいなオリーブ少女に「小山田くん」「おやまっちゃん」と軽くポップな見られ方をされるのが心底迷惑で、嫌だったのだろう。

 では、小山田圭吾がキャラ変した鬼畜系とはどういうものだったのか。

「取りすました場を、一瞬にしてブチ壊す様な、ズルムケ親爺の下品なパワー」根本敬『因果鉄道の旅』26頁)
「世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!」村崎百郎『鬼畜のススメ』表紙)

 村崎百郎は、中卒の工員で強姦や暴力事件を得意げに語り、下着泥棒とゴミ漁りが趣味というキャラクターで、悪趣味・鬼畜系を代表する人気ライターとなった。しかしその正体は、明治大学卒で、ウィリアム・S・バロウズ等の幻想文学にくわしいインテリの編集者だった。
 日本一ゲスで下品な鬼畜系ライターというのは自己演出だったわけだが、それを信じた読者によって刺殺された。

 犯人は最初、根本敬を狙っていた。事件後、根本敬は殺害現場となったアパートを借りた。精神病院に措置入院となった犯人がいつ退院してくるかも知れないのに。少なくとも根本敬には相当の覚悟がうかがえる。
 ところが小山田圭吾は、鬼畜系を演出しつつ、障害者とは友人だと語り、ネットのせいにして、殺害予告で7キロほどやせる。
 
「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり」(徒然草

tomomachi.hatenadiary.org

NHK「青春メッセージ」コーネリアス鼻毛事件

 小山田圭吾ファンなら知っていることだが、1995年1月15日に小山田はコーネリアス名義でNHK「青春メッセージ」に出演した。
 これは「NHK 青年の主張全国コンクール全国大会」の後継番組である。病気や貧困や差別という苦難にも負けず懸命に生きている勤労青年によるスピーチコンテストを中継した、社会教育的なまじめな番組である。

 番組ゲストとした紹介された小山田圭吾は、司会の男性アナウンサーを公然と侮辱する発言を行った。また、番組参加者や視聴者をも侮辱する行為である。

 小山田圭吾にインタビューを始めた男性アナウンサーに向かって、「あっ、鼻毛が出ている!」と嘲笑し、それがテレビでも放送された。会場には一般の観客もいる公開放送でのことである。

 当時の小山田圭吾の露悪的なキャラクターを象徴するエピソードである。

 小山田圭吾は「お詫びと経緯説明」で、「村上清のいじめ紀行」の取材を受けた理由を次のように説明している。

『ROCKIN'ON JAPAN』で誤って拡がってしまった情報を修正したいという気持ちも少なからずあったと記憶しています。

 本当だろうか? それなのにどうしてこのような倫理観を欠く言動ができるのか。

「村上清のいじめ紀行」によれば、翌月の2月22日に村上清からいじめ企画のオファーを受け、4月2日に最初のインタビュー取材を受けている。掲載誌『QJ』の発行が、1995年7月27日である。

 NHKは、小山田圭吾のこの言動を問題なしとしたのか、1997年1月15日の同番組にも再び小山田圭吾は審査員として出演した。ただ司会者は、別の男性アナウンサーに変わっていた。

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girlschannel.net

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こべにの検証で信じていいのは日付だけ

 このように、小山田圭吾いじめ記事は、「平和なカエル野郎」の「ペペ」が差別主義のシンボルになった事例とは、全く違うことがおわかりだろう。
「ネットミーム」という用語は、加工されたおもしろ画像に使われるのが一般的で、「のびーるたん」にこそふさわしい。

 こべには、「ネットミーム」という一般読者にはわからない用語を使うことによって、陰謀論を思わせる恣意的な印象操作を行っているのである。
 こべにが訂正をせず、今後も「ネットミーム」だという主張を続けるのであれば、それは誤った情報を拡散する行為である。デマを広めることである。
 こべには俺のブログについてもデマを拡散している。まちがいを指摘しても訂正しない。聞く耳を持たない。
 生半可な知識で俺にからむな。恥をかくだけだ。

 こべに軍団のおかしさには、誰もが気づいている。
 世の中の正義感は、まともである。

 ある事柄を説明するのに、必要以上に多くを仮定するべきではない。

 小山田圭吾が自己演出として露悪的なキャラクターを演じた。その結果、露悪的なキャラクターがネットで広まった。
 事実はそれだけである。

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koritsumuen.hatenablog.com