いじめのアイデア担当は共同正犯

 北尾修一は、いじめの実行犯は別の人で、「小山田さんは周りで笑いながら引いていた、というポジションです」と書いています。しかし、元記事には、「小山田さんは、いじめグループの中でも"アイデア担当"だったらしい」(『QJ』第3号 P55)と、はっきり書いてあります。
「ロッキンオン・ジャパン」の記事でも、小山田圭吾は「アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという」立場だったことを認めています。
 しかし、実際に犯罪を行わなくても、他人にそれをそそのかすだけで犯罪となる場合があり、法定刑は正犯と同じです。これを共同正犯と言います。
 刑法の条文は、次の通りです。

(共同正犯)
第六十条 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。
(教唆)
第六十一条 人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。
2 教唆者を教唆した者についても、前項と同様とする。

 アイデア担当だから、実行犯より罪が軽くなると思っている人たちは、こんな基本的な知識すらありません。教唆した者が、正犯者より重い刑を宣告される場合だってある、ということも知りません。
 けれど、誰にでも知らないことはあるので、そのことは責めません。出版関係者にこの程度の知識もないことは問題ですが。
 今この事実を知ったのだから、これまでの考えを改めてくれたらと思います。無知ゆえに犯罪者となる人が、いくらかでも減ればと思います。

 したがって、小山田圭吾を擁護したいなら、元記事にある「アイデア担当」という言葉を否定する証拠を示さなければなりません。

【追記】2021/08/15

 ここで刑法の条文を引用しているのは、「アイデア担当」だからと言って許されることではないという意見における、論拠としてです。北尾修一は「アイデア担当」だから罪は軽いと考えているようなので、共同正犯の立法理由からすれば、そうではないと書いたのです。その一例として、刑法の条文がわかりやすいだろうと引き合いに出したまでです。
 したがって、「いじめ紀行」を法律で裁こうとしているわけではありません。これは論評です。
 とは言っても、そうは読めない、という批判は可能です。こうした解釈の相違、あえて書けば「誤読」される問題は、もう少し深く考えてみる必要があります。
 もっとも私自身は、唯一の正しい解釈などないという立場なので、それは誤読の程度問題だと思っています。
 別項にて考察していきたいと思います。

【訂正とお詫び】2021/08/15

 コメント欄にて、私の法律知識の間違いを教示されました。
「いじめ紀行」の記述だけでは、小山田圭吾は刑法上の教唆犯には問えないとのことであり、比喩としても不適切と理解しました。
 指摘をしてくださった方、ありがとうございます。

 私の無知ゆえに、誤解を与え、申し訳ございませんでした。

 当該コメントを引用しておきます。

本件について誰も擁護はしません

ブログ主さんの記述内容といい、複数の方のコメントもあまりに無茶苦茶なので、共同正犯と教唆犯、幇助犯について

一般的に犯罪には実行した当事者が正犯としており、過失犯でなく確信犯罪で計画的であり、その犯罪行為の実行時に役割を分担し、一連の行為に参加した正犯以外の者を共同正犯者として扱います

また教唆犯については、実行正犯者に犯罪実行の意思を生じさせ、その意思により犯罪が実行され、結果が生じた場合、教唆犯として扱います

幇助犯については犯罪実行の故意がある場合に適用します

要は今回のようなアイデアを提示したといった場合、実行犯に明確な特定のものに対するいじめ行為を行う意思があり、その計画を依頼された事実があるか(幇助犯)、当初実行犯に犯罪行為実行の意思がないにも関わらず、この方法であれば出来るからやってこいという具体的指示をしているか(教唆犯)が共犯として成立する条件です

現時点で判明している事項のみを整理すると(推測は除外)
・小山田氏は行為のアイデアを考案したことがある
・実際の行為を行なったのは別人(先輩)である
・実行時は見ていたが制止はしなかった
これらは人格を疑う行為に違いはないであろうが、これだけでは共犯者(共同正犯)に問うことは不可能であり、具体的な手順を提示して実行を指示したと断定できる要素がないので教唆犯にも問うことは不可能である。
この時点で本ブログ主さんの記述は全くの的外れである
正犯に故意があったとしても、依頼を受けて手順を考案をしたなどの経緯も確認できないので幇助犯にも問えないのだから、刑法的には罪を問うことなどできないのである

確かに刑法犯は申告罪ではないので、その他のいじめ行為のうち、暴行、傷害、窃盗等行為が確認できれば罪に問うことは可能であるが、仮に実行者の自白であっても、客観的にその行為が実行された事が証明されないと起訴はおろか、警察から送検すらされないのが実態である(刑法犯は疑わしきは罰せずが原則)

前回の書き込みにも書きましたが、法の元で裁かれない行為を一般民間人が裁く(制裁を与える)事は禁じられている、にもかかわらず付け焼き刃的な法の知識で、具体的に刑法○条に抵触する行為だと断定するのはいかがなものかと思いますし、ましてやその誤った認識と見解を公開して世論に語りかける如き行為は決して褒められたものではない

小山田氏などの個人を対象としない問題提起のブログで有れば何の問題もないと思いますが、被害者が民事争議等を行うにあたり、援護を依頼されているというわけでもないのだから尚更行き過ぎの感が否めない

犯罪者であるとか無いとかの議論自体が不毛ですよ

本件について誰も擁護はしません

前記の内容を正しく理解いただければわかるとは思いますが、補足しておきます

よくテレビドラマなどで、殺人(犯罪)をそそのかした者を殺人教唆とする事がありますが、実際には唆しただけでは教唆犯として成立はしません
教唆犯として成立させるには、単に「いじめ行為をやってください」ではなく、具体的に「○○にどういったいじめをしてきて下さい」といった指示を行なっている必要があり、更にその指示によって初めて実行者に行為を行う意思が発生している必要があるのです
何かいじめ行為をしようとしている者に具体的な方法を教えて実行させた場合は、教唆犯ではなく第六十二条1項の幇助犯に当たります

今回のようにいじめ行為自体を先輩の意思で実行している場合(行為内容のアイデアに触れて実行を決断した場合も含む)は教唆も幇助も成立しません

本件について誰も擁護はしません

大事なことを書き忘れていました

「小山田圭吾を擁護したいなら、元記事にある「アイデア担当」という言葉を否定する証拠を示さなければなりません」

もっともらしく綺麗に纏められているように読めますが、日本の法律運用論では全く逆です
「小山田圭吾を批判したいなら、元記事にある「“アイデア担当”だったらしい」がいじめ行為を実行する際、実行計画の中での担当であったとする確証を示さなければなりません」
が正解であり、法を引き合いに出して論評をするので有れば間違えてはいけないことです
「この状況、記事の文章では本人も認めているのだからそうとしか考えられない」では確証にはなりません
※記事は2次情報であり、本人も全てが正しくわけではないという見解を示している

更に自身の記述を補完されるつもりでかはわかりませんが、追記でも論理構成が間違っています
「「アイデア担当」だから罪は軽いと考えているようなので、共同正犯の立法理由からすれば、そうではないと書いた」
百歩譲って(広義の)共犯者として扱う事ができたとして、実行者(先輩)のいじめ行為の実行意思が小山田氏のアイデア提示によって確定された事が証明されない限り、幇助犯にしかならず正犯ではなく従犯ですから法の裁く罪は確実に軽いです

要は強盗に入ろうとしている(強盗をする意思はすでにある)犯人に対して、その強盗を成功させる意思を持って包丁を渡し、見物していた者は教唆犯ではなく、幇助犯です
どうにかして金が欲しいと思っている人に包丁を渡して「これを持って脅せば○○の店に強盗に絶対成功するから、強盗を実行してこい」といって強盗をさせた者は実行した者と同様に教唆犯として正犯として扱う
という違いで、教唆犯の成立条件はかなり厳しいのです

分かりやすいだろうで、間違った法の解釈と引用を行い読んだ者に誤解を与える手法は意識誘導の手法と何ら変わらない非常に悪質なものと感じます

個人的には、法の解釈と運用の実態をもっと勉強されるか、中途半端に法を引き合いに出した理由を追記するのではなく、訂正文を追記されるべきだと感じます

電八郎

なるほど、こういう理解でいいですか。

間違い×「したがって、小山田圭吾を擁護したいなら、元記事にある「アイデア担当」という言葉を否定する証拠を示さなければなりません。」

小山田圭吾が教唆犯であると論評した場合、その立証責任は、私に移るわけですね。
これは私の理解が足りていませんでした。
ご指摘ありがとうございます。

本件について誰も擁護はしません

電八郎さん
コメントありがとうございます

概ねその部分の理解は良いのではないでしょうか

私はネームの通り、どちら派というわけではありませんし、法律の専門家というわけでもありません
(ただ、企業で契約やトラブル対応を業務としているだけです)

あくまで一般論としての見解に照らしてご意見させていただいているだけですが、昨今のネット上における文責を負わない世論扇動ともみえる活動がまかり通る風潮を危惧する者です

前にも書きましたが、具体的な個の事案を扱わないなら、個人の意見として関係者等への問題提起として有意義だと思いますが、制裁を受けるべきをありきで個の批判、批評(論評)を行うなであれば、刑事事案に則り、被疑者に立証責任はないとすべきですから、擁護派は批評される事案の客観的な証拠を提示しろだけで事足りるのです

引き続き、個を対象に批判を展開していく場合は本来その客観的な確証の提示とともに行うべきであると考えます

法秩序の維持という観点からも、誤った発信に触れて、無知ゆえに(法で裁かれる)犯罪者をでっち上げる人が、いくらかでも減ればと思います

日本はどれだけグレーでも裁判所で有罪判決を受けない限り、何人も犯罪者呼ばわりをしてはならないのです、それが現在の日本の法律です

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