脳はあり合わせの材料から生まれた

 ゲアリー・マーカス著/鍛原多惠子(翻訳)『脳はあり合わせの材料から生まれた』を読む。
 原題は「クルージ(KLUGE)」という。これはエンジニアやプログラマーが、根底にある問題を本当には解決しないで、とりあえず暫定的な「あり合わせ」の解決策を説明するために用いられている言葉である。
 プログラマーは、ソフトウェアのバグを修正しようとするとき、クルージという手段に訴えざるを得なくなることがよくある。たとえば万事順調だが、どういうわけか37という数字を入力した場合だけ、サブルーチンの動きがおかしくなり、間違った答えを出す。バグの原因はどれだけ調べてもわからない。こうした場合、直すのをあきらめる。
 その代わりに、37を入力したときの正答を手作業ではじき出す。それが、234だとする。そのあと次のような一行のコードを最初に書き加える。
「インプットされる数字を受け取り、サブルーチンにかけるが、その数字が37の場合に限り、ただ234を答えとして送り返す」
 これがクルージである。(この考えを人間の脳に応用したのが、ダニエル・C・ダネット『解明される意識』)。
 人間の脳もまた、サルの脳味噌から進化するにあたり、こんな行き当たりばったりの「あり合わせ」の方法で進化してきたのではないか、というのが著者の仮説である。たしかな目的やきちんとした設計図があって進化してきたわけではない。それは、建て増しに建て増しを重ねた温泉旅館みたいなものなのだ。
 理性や合理的思考は、膨大な数のクルージの集積で可能になっている。しかし、根底にある問題は残されたままなので、ほかの機会に再びバグが出現しないとも限らない。
 これで思ったのは、たとえば何かを学ぶときのコツみたいなやつね。英語学習だと、聞き流すだけでペラペラとか、英語脳とか、シャドーイングだとか、やっぱ文法が重要だとか、いろんなことをいう人がいるけど、どれも一長一短があり、それで上達する人もいればできない人もいる。
 ヒューリスティックというのがあって、無意識に使っている法則や手がかり、経験則みたいなものだけど、それは必ずしも正確な答えが出せるわけじゃないけど、とりあえず役に立つ。
 人はほとんどのことを「とりあえず」で、やってるんじゃないだろうか。行き当たりばったりの「あり合せ」というのは、脳そのものの性質なのだ。社会学や心理学の理論とか哲学とかもそうだよな。
 そういえば立花隆が、人それぞれ脳の働きがちがうんだから、万人に合った勉強法なんかない、と書いてたのを思い出した。